心配事

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こんにちは 住職です。

今日は久々の小雨。天気が悪いので、体感温度も寒く感じますが、それでも例年からすれば

暖かいのだと思います。

昨日、お手紙が届き、私の芸術の師匠が入院されたことを知りました。非常に心配です。

しかし最近、私と師匠のちょっとした思い違い(私からすれば)により、理解にすれ違いが起こってしまい

私はしばらく出禁となってしまっているのです。

ですから、訪ねるわけにもいかないのです。師匠をこれ以上刺激してもいけません。

そういえば以前、師匠は「年老いて、正確な判断ができなくなることが怖い」と仰っておられました。

さらに、「そのような姿を他人に見られたくない」とも仰っておられました。

先月末、最後にお会いした際には、全くそんな状態でもないし、むしろ頭はキレキレだったので、

師匠の不安は実現しないことでしょう。

しかし、入院されたと聞いたので、もしかしたら身体がシンドイのかもしれません。

これまでの師匠との対話の中で、ある意味、師匠の性格や考えも理解できているつもりなので、

お見舞いは控えようと思っているのです。コロナの件もあるので、病院に面会を断られるかもしれません。

もっとも、お見舞いに行かない本当の理由は、お見舞いに伺って、師匠の機嫌を損ねてはダメだと思ってい

るからなのです。

師匠の思いは、「弱った姿ならば、他人に見られたくない」と考えてるから。

上記の理由によって、私は経過を知る事しか出来ない状態となりました。これはこれで、ただ心配だけの情

況ですので、気持ちのやり場がなく、シンドイものなのですね。

家族時間

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こんにちは 住職です。

連休も終わり、私も普段通りの生活に戻りました。

この連休は2日連続でご法事が勤まることがなく、私は久々に世間の皆様と同じような生活を

経験出来ました。といっても、コロナの心配もあったので、遠出はしないで、近場を巡っただけでしたが。

それにしても、久々に家族と祝日に出かける経験をしたわけです。私的には、こういった時間も有意義であ

ることを体感したわけです。

普段の生活では、好き勝手というのか、あまり家庭を顧みないような、妻に任せっぱなしの生活でしたので

、改めて反省をしてみました。

おそらく、私は仕事人間なのでしょう。そっちに専念している方が、自分的にも落ち着いてしまう感覚があ

りました。

そもそもがこんな性格ではなかったのです。そもそもの性格は、もっとゆったりと生活したい派。

仕事に追われることなど、嫌いなタイプでした。

真剣に仏教を勉強しよう!と思って必死に頑張った頃、つまり大学院に入り、それ以降から、

段々と性格が変わってきたように思います。

大学院の博士課程を終えて、自坊に戻って以降も、築地本願寺の中にある研究所に所属し、東京大学の先生

にお世話になって、勉強会をしてもらったりしている内に、さらに鍛えられたのだと思います。

段々と「こんなことではダメ!もっとしっかりしないといけない!」と思うようになり、自分に負荷をかけ

ることに慣れて行ってしまったのです。頑張って頑張って、東大の先生の前で、発表をしたりするようにな

ると、頑張っただけ自分でも収穫があって、それが心地よいというか、ご褒美の状態になるのです。

こうなると、余計頑張ることができる。それがいつの間にか習慣化して、違う分野でも頑張ることを憶える

わけです。このような循環が生じると、それが仕事であれば尚更頑張ろうとする。

さらに、欲深いのでしょうね。自分をより高める為に自己投資するようになって。。。

自己投資(自分のお金で塾に入ったり、あるコミュニティーに属したり、師匠に鍛えて貰ったり)をして学

びを深め、さらに色々と知見を深めるのです。

振り返ってみると、今の所、私は自分の贅沢などには興味も無く、自己成長に最もお金を費やしてきたよう

に思います。それで突き進んできました。

しかし、自分だけの人生ではないことを、最近考えるようになりました。

少しは家庭の事も考えないといけませんでした。そこで、この連休は、家族との時間に費やすことにしてみ

たのです。すると、思いがけずリラックスすることができたように思います。

これまでは、自由な時間があっても、自分でやることがわからない状態でした。だから、仕事をしてしま

う!そんな状態になっていました。それが、家族と過ごす時間を意識した結果、やることなど探さなくても

家族と過ごす時間だけで、リラックスできるんだ!と発見したのです。

きっと、普段と異なる環境が、私をそのようにさせたのだと思います。

家族と過ごす時間を得たことで、家族にとっても良いでしょうし、私もリラックスできたし、これで普段の

仕事に戻っても、今まで以上に頭が回転しそうだし、良い事づくめですね。

新しい発見をしました! これを続けてみよう!!!

岩殿観音 正法寺

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こんばんは 住職です。

今日も祝日だったのですね。勤労感謝の日。

今日も西照寺ではご法事が予定されておらず、私にとっては時間を得られた日となりました。

秋ということで、紅葉を見たいと望む妻が近隣を調べたところ、東松山市にある岩殿観音正法寺さん

のイチョウが有名であると知ったようで、散歩も兼ねて行ってみたい!と言い出したので、私も一緒に行く

ことに。

実は正法寺さんは、ずいぶん古い歴史を持っており、今から1300年前からあるお寺さん。

真言宗智山派?だったと思います。

数年前、西照寺も加えて頂いた「東松山・滑川仏教会」の中に、正法寺さんのご住職がおられ、数年前

お話をさせていただいたことがありました。

そのご縁もあって、私がまだ比企青年会議所の正メンバーだった際、新入会員を探す目的で、正法寺の

ご住職に、「ここら辺のお寺さんの中で、若手で地域への興味をもった方がおられませんか?」と覗った

ことがありました。すると、「うちにも息子がおりまして・・・」と言われたので、早速「ご紹介くださ

い!」とお頼みしたことがあるのです。そのような流れから、副住職と面会させていただき、

JC(青年会議所)に勧誘したのです。

「地域をより知りたいので!」となって、入会していただきました。

そんな関係で、私は正法寺さんには何度か伺っていたのです。もちろん、イチョウが素晴らしいことも

知っていました。また、イチョウの横にある、観音堂も素晴らしい雰囲気の建物です。

そんな関係もあったので、一言「妻を連れ観光しにいきます!勝手に観光させていただきますね」とライン

を入れ、気を遣わないよう考えたつもりでした。

そしたら、観光中に、副住職がでてきてくださって、解説などしてくださいました。

イチョウは埼玉県で一番古いようで、樹齢は700年と言ってました。凄いイチョウです。

その他にも、色々と聞いてみたら、やはり古くからこの地域を作り上げたお寺というのか、有力者と繋がっ

ていたのでしょう、とてつもないお寺さんだったはずだと、私は理解しました。

私も一応、仏教の研究者の端くれでもあったので、古い寺院がどのような影響力を持っていたのか、

あるいは、どうして大きな寺院が存在し得たのか、など、少しは知っているのです。

聞いてみれば、正法寺さんのもともとの境内地は、大東文化大学やたかさか自然動物公園、もろみ山など

全て境内地だったとのこと。江戸から明治にかわり、廃仏毀釈があった際、かなり境内地を失ったようです

。ですから、高坂のあの一帯は、すべて正法寺さんの境内地で、おそらく修行僧(修験道)が修行をする山

だったはずです。しかも1300年前に創建されたということは、700年代頃。つまり、仏教が日本に入

ってきて間もなくの頃なのです。すると、東松山市という土地は、当時からお寺が建つほど、有力な地域

ということが言えるのです。そういえば以前、東松山市埋蔵文化財センターの学芸員さんに教えてもらった

ことですが、「東松山市で発掘された埋蔵文化財の中には、日本に仏教が伝来した頃の寺院跡が発掘さ

れている」との事でした。これは何を意味するかと言うと、当時の政治文化の中心は、西日本。関西です。

当然、仏教伝来後まもなくお寺が建てられるなんて事は、日本の中でも相当の有力者の庇護があったか、当

時の政治を司る権力者と関係が深くなければ、成し得ないことです。

現代の感覚で言うとすれば、日本国にオリンピックを招致できたので、あらゆる主要地域に「競技場を建て

る」という感覚に近い位の事だと思います。競技場を作るのですから、地方の中心都市や、権力者と関わり

が深い場所に建てられることでしょう。お金も莫大にかかりますし、人手もいります。

それと似たような感じだと思うのです。

仏教伝来の600年から700年代頃、東松山市の地域は、日本の中でも相当栄えていたか、あるいは政治

の中心にも影響力を有する権力者がいたか、それほどの影響力がある地域だったはずなのです。

あまりに古いことですので、もはや文字などの記録には残っていないのでしょう。しかし、発掘やお寺の歴

史や規模をみると、かなり古い段階から、この地域には何かしらの有力な地域であったことが確実に言える

のです。特に調べられていないようですが、正法寺さんもあれば、ときがわ町にある慈光院さんもあります

。これらのお寺さんは、おそらく当時、とんでもない影響力を有していたでしょうし、相当力のある権力者

と通じていたことは確かなのです。しかし、調べられていないし、古すぎて資料がない!というところが

注目を浴びれない理由なのだろうと思っています。

地域おこしするなら、このようなポテンシャルのあるお寺を掘り起こしてみることも大事な作業だと思いま

す。正法寺さん(特に副住職)、有難うございました。

いつもと同じ

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こんにちは 住職です。

季節外れの暖かな日が続きましたが、昨夕頃から気温も少し下がってきました。

しかし、今日も晴れており、風はありますが、例年と比べても暖かいと思われます。

昨日と一昨日は、起床時の肺の調子が芳しく無かったり、身体が重かったりと、朝の運動を休みました。

しかし、今朝は調子も良好! 久々に、日曜日なのにご法事も勤まる予定はなく、私は時間がありました。

朝から運動を行い、たまたまですが、お寺の法務の予定がない日に子どもの学校のお手伝いがあるとの

事でしたので、普段は参加できない学校手伝いに参加してきました。

午前中で終わったので、大したことしてないのですが、行けて良かったです。

帰宅後、昼食をとって、午後からは折角休みとなったので、書斎の片付けや情報整理を行っています。

稀に、こんな日もあるのです。ご褒美の日みたいな。自由な時間です。

折角の自由時間なのですが、普段、このような時間に慣れていないので、何をしていいのかわかりません。

困りますよね。本当に困る。ストレス解消や気分転換などすれば!?と言われそうなのですが、何をするこ

とがストレス解消になるのか?気分転換になるのか?がわからないのです。

ある意味悲劇ですよね。自分でも悲しくなります。

結局、何をしていいのかわからないから、PCに向って仕事と同じようなことをしてしまってます。

あぁ不器用だ。もっとメリハリつけたい。

慣れ

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こんばんは 住職です。

昨日と続けて暖かな一日となりました。寒いのが苦手な私は、とても嬉しいです。

しかし、明日の夕刻から例年通りの気温に戻っていくようなので、我慢です。

私は今朝起床した時、肺の調子が芳しくなかったので、朝のトレーニングはお休みしました。

今は普通です。どうも起床時は調子が芳しくなく、時間と共に普通になっていくようです。

でも、早朝に違和感を感じるのですから、何かしらおかしいのかもしれません。

無理はしないようにしたいものですが。

さてさて、明日から3連休だそうです。私にとっては連休なんて無縁。そもそも世間の曜日感覚とは

かけ離れているのです。もちろん、曜日の感覚は有りますが、土日祝日はご法事が勤まることが多く、

その意味で、お寺は土日祝日が忙しない曜日となるのです。

平日はどうか?と言えば、私の場合は築地本願寺での仕事があります。今はリモートなので、通勤がなくて

身体は楽です。しかし、平日も結構忙しくしているのです。

ですから連休と聞いても、他人事なんですね。私には関係なし!というところです。

しかし、TVを見ていたら、明日からの3連休は「秋の連休は我慢の連休です!」なんて言われてました。

コロナ感染者が全国的に増えてきている為、確かに外出を控えるほうが、全国民の為にもなりますね。

経済も回さないといけないけれど、感染も抑えなければいけません。

秋冬で気温が下がって乾燥してきています。もし、気候が関係するのであれば、ウイルスにとっては

環境が整う季節でしょうから、警戒しなければいけませんね。

しかし、ここまでGO TOトラベルやイートで、外出などに慣れてきてしまって、コロナに対する警戒感が

弱まっていることは事実でしょうね。死者数も多くないので、恐れる人が減ってきているような気がします

。最初の頃は、志村けんさんが亡くなった衝撃もあり、とても気を付けていたと思いますが、

第二波を過ぎた頃から、あまり恐れなくても大丈夫そう!との認識に変わってきているように感じます。

私も当初よりは、慣れてきてしまっていると思います。

そもそも当初のように、外出した後は、2週間ほど自宅で自主隔離生活をしよう!などと発想すらなくなり

ました。4月5月の時は、ご葬儀を勤めさせていただいた後、自坊で一人になって自主隔離の生活をしてい

たのですよ。もし私が感染していたら、家族やご門徒さんにうつしてしまう恐れがある!と本気で思ってい

たので、徹底していました。本堂の一室で、一人で寝泊まりしていたのです。

そんな時に限って、夜中に緊急地震速報で携帯が異様な音をたてて鳴ったりしたのです。しかも3日間で2

回も。あの時は本当に恐ろしかった。結局地震はなかったのです。今思い出しても、携帯から流れる

「テテーン テテーン 緊急地震速報です」というあの音。あまりの恐ろしさに、音を消そうにも消えない

それなりの音量で、一人本堂の一室で寝ている深夜に、あの音で目覚めてしまった時は、それはもう恐怖と

しかいいようがありません。懐かしいですね。コロナが流行し始めた頃は、あんなに緊張感があったのに。

それが今では、すっかり隔離なんかしないで、外出も控えめですがしています。

あの事よりも感染リスクは高いですし、感染が身近なのですが。不思議なものですね。慣れって恐ろしい。

身体のケア

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こんにちは 住職です。

最近は、本当に暖かい日が続きますね。私にとっては嬉しい限りです。

ここ数日、朝のトレーニングを続けており、暖かいこともあってか、肺は大丈夫!

運動を始めてから、4日続けて、1日休む。×2回続けています。

6月から運動を始め、7月は雨が多かったので、半月くらいしか運動ができませんでしたが、

その後、8月はほぼ毎日。9月はお彼岸まで結構な日数を続けていました。

ですから、丸3ヶ月の運動で足に疲労が溜まっていました。

秋のお彼岸過ぎから、咳喘息で1ヶ月半、運動を休みましたが、それでも完全回復しておらず、

特に足の裏が痛くて。疲れが溜まったような痛みがありました。

私は足の裏を触られるのはくすぐったくてダメなのですが、そんな私が足裏マッサージに行きたい!と

思うほどの症状でした。

そこで先日、意を決してリラクルというマッサージ店に行ってきました。足裏マッサージを受けに。

リラクルは、私何度か行ったことがあって、すべて身体のもみほぐしを受けていたのですが、今回初めて

足裏を受けました。

気持ちいい!と絶賛することはなかったのですが、施術後、足裏の痛みはとれて、足の疲労も緩和された

ような気がしています。今のところですが。

気持ちいい!との実感は然程ありませんでしたが、効果はしっかりと感じ取れています。

また受けに行こう!と思えてきました。

健康の為に運動を行い、付属効果として体重の減量もできる。身体に負担をかけるわけですから、

身体のケアも重要ですよね。だから、少しお金をかけてケアしてあげようと思っています。

今後は、定期的に足裏マッサージ受けにいこうと思っています。 

ファシリテータ―

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こんにちは 住職です。

今日は、午後から会議が2つ続けてあるみたいです。

予定でみれば、会議時間が長い(1つ目が3時間)のですが、どうもさきほど受けた連絡(ファシリテータ

ーから連絡を受けました)によると、今日の会議は短時間で終わるつもり!との事でした。

因みに、今回のファシリテーターは、私のポストの後任の方なのです。だから私に事前連絡があるのです。

私のポストを後任に引き継ぐ為に、以前の上司から言われたことが、きちんと引き継ぐには、数年必要だか

ら!と言われていました。ですので、そのご意見を受け、現在引継ぎ体制で臨んでいるのです。

会議のファシリテーターはとても重要で、高いスキルが必要です。現在、ファシリテータ―の役目を徐々に

移行しており、経験値と現場慣れ、スキル向上を目的として担っていただいているのです。

もちろん、私も会議に参加し、ファシリテータ―が織りなす会議の流れや全般の意思決定について見守って

いるわけです。これはこれで、結構辛いものなのですね。会議に参加するといっても、意見を出す立場でも

ないし、意見を集約する立場でもない。会議時間をコントロールできるわけでもないし、ただ参加している

初めてこんな役割を経験していますが、見守りポジというのはかなり大変です。

正直言えば、こんな役割、面倒だし楽しくないからあまりやりたくない。

私はこの役割で会議に参加して、以下のようなポイントをチェックしてたり、想像したりしています。

会議内容の把握、またファシリテーターがどのように会議の流れを作っていくのか?

会議の参加者の反応、そこから見えてくる参加者の納得度、そもそも会議に臨む以前の事務局の準備状況

の推察、会議に要している時間、色々とチェックしたり会議の現場の実情から想像したりするので、

かなり意識を使うし、ストレスが溜まるのです。私は短気なのかもしれませんね(笑)

もっと効率的にいけるよ!とか、もっと短くできるだろ!とか、余計な事言わなくていい!などと、内心思

ってしまうのです。

当然、ファシリテータ―は人によって性格が違うように、やり方も人それぞれだと思うので、私がやって

いることが全て正しいわけでもありません。

だからこそ、あまり私のやり方や私が個人的に感じている事を、後任者に押し付け得るのは良くない。

そう考えているので、私は内心ストレスを抱えるだけで、それを指摘することはしません。

だって、何が正解なのか、見えづらい部分があるわけですから。

それを承知しているので、細かいことは言わないようにしています。だからストレスも溜まります。

では、何を基準に、ファシリテータ―のスキルを測るか?

私はそこの部分を、会議に参加している参加者の反応に頼っています。

参加者の会議に対する反応や納得度など、ファシリテータ―自身の行動ではなく、会議参加者の反応に

気を回す必要がでてくるのです。参加者の反応を見ることで、ファシリテータ―が導く会議の流れが良いか

どうか、測る! 参加者が活き活きと意見を言える。参加者が会議内容を真剣に検討している。

そして一番大事なのは、会議は意思決定機関の場ですから、参加者が納得して同じ意思決定ができるか。

ここら辺をポイントとして、私は会議の流れを見ています。

上手なファシリテーターであれば、上記ポイントは難なくこなすし、しかも効率的な時間でそれができる。

何よりも、参加者が笑顔になって、良い会議だった!と感じられる。それができるのが上手なファシリテー

ターです。

下手なファシリテータ―だと、意見が纏まらないし、そもそも話題が脱線し始める。あげく意思決定ができ

ずにダラダラ長時間の会議となって、何も決まらず、次の会議に決めましょう!となって、ズルズルいくの

です。日本では、こんな会議が多すぎるような印象があります。これは下手なファシリテーターが会議を取

り仕切ることでできあがる悲劇なのです。

会議後の参加者は、苦虫を潰したような顔をしています。やっと終わった!と思っているし、もう会議にで

たくない。と内心思っています。こんなマイナスな反応をつくっていけるのが、下手なファシリテーターで

す。しかも厄介なのが、ファシリテータ―自身が、その事に気付いていないということ。

だから、そのようなファシリテーターは成長や改善点がないので、また同じように会議をファシリテートし

てしまうのです。こうやって悲劇が出来上がっていくわけです。

会議参加者だって、無駄な時間は過ごしたくないので、このような会議が続くと、意欲が薄れていくのです

。そんな会議にならないよう、後任者のファシリテータースキルを見守っているのです。

今日もやります(笑)

覚悟

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おはようございます。住職です。

今日は大変な一日ですね。ご葬儀を勤めさせていただくのですが、ご遺族には悲しい一日と

なります。だって、慣れ親しんだ故人のお姿を荼毘しなくてはいけないから。

頭ではわかっていますが、いざその現場に直面すると、嫌なのです。

私もお祖母ちゃんの時が初めての経験でしたが、とても嫌でした。

今でも、火葬場に行くと、その時の思いが蘇ってきて鮮明に思い出してしまいます。

正直、職業病として慣れてくる!と思うでしょうが、全然慣れません。

何度やっても、嫌なものは嫌なのです。ですから、ご遺族の気持ちが良くわかるような気がします。

そんな現場に今日もいかねばなりません。覚悟を決めて向き合ってきます!

ご葬儀

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おはようございます。住職です。

今朝起床してから、肺に違和感を感じているので、運動を控えました。

違和感といっても、咳喘息のようなものではなく、ちょっと変な違和感です。

おそらく、寒くなってきたことに慣れてないのだろう!と自分勝手に思っていますが、クリニックに

行くほどでもないと受け止めています。ですので、ちょっと運動は控えて様子見です。

さて、今日はある方のお通夜を勤めさせていただくご縁を頂戴しました。

特にご遺族の方は、突然のお別れとなったようで、心労が多いことだと思います。

ましてや、愛着ある方との別れですから、とてつもなく大きな悲しみ苦しみだと拝察することです。

私達人間は、このような大きな別れを迎えると、どうしていいのかわからず、しかし何かしないといけない

と思え、とても苦しい状況になるのです。

そこで遥か昔から行われてきたことが、ご葬儀です。

有名なのは古代のネアンデルタール人は、亡きがらに花を手向けて弔っていたと言われています。

人類と他の動物の大きな違いは、「葬儀をするかしないか」つまり、「弔う心の有無」であるとも言われま

す。私達人間は、亡き人をそのままにしておくことができません。古くはネアンデルタール人が故人に花を

手向けて弔った。人間の祖先は、故人を弔うための作法を儀式化していき、やがて宗教がそれを取り入れ

現在は宗教が葬儀を担う専売特許のようになっています。

もちろん、宗教は教義的にも死の先の世界の事を指し示す部分もあるし、仏教でも人間界を超えた悟りの世

界についても説かれているので、ある意味死を縁として悟りの世界について触れる貴重な機会となっている

とも言えるでしょう。

因みに、仏教を説かれたお釈迦様は、死んだらどうなるのでしょう?との弟子からの質問に、答えなかった

(無記)と言われています。しかし、答えなかったこと=わからなかった ではないのです。

おそらく、それを説明してしまうことで、そこに捉われてしまう人間の本質をご存知だったのでしょう。

だからこそ、そこに捉われない(実体視しない)よう、敢えて説かれなかったと、私は解釈しています。

人間界を超えた世界のことを、人間界で説くことは、不可能なのですからね。

ちょっと難しいことを綴ってしまいましたが、ご葬儀は人間として、とても大切な営みであることを

綴りたかっただけなのです。現在社会は、葬儀にお金をかけたくない。あるいは、葬儀を重視しないよう

な傾向が進んでいます。しかし、大事なものではあります。もちろん、お金をかければいいというもので

はありません。しかし、お金がかかる部分はかかるのです。仕方ない部分もあるのです。

大事なことは、葬儀とは、ご遺族それぞれの人生に、区切りをつけていくこと!なのです。

人として、故人を弔い、亡き方とのこれからの関係性を再構築し、それぞれの人生に区切りをつけていく。

ここに葬儀の重要な意味があるのです。もしお金をかけたくない!というのであれば、家族なのですから、

葬儀社さんにご依頼せず、自分達で行えばいいのです。自分達でも、ある程度できるのです。

ただし、普段から宗教を学んでいなければ、また宗教が腹落ちしていなければ、死んで往った先が

どうなっていくのだろう?との難問に対し、答えがでないでしょう。

それは人生をかけて、そこに賭けている宗教者(しかも、きちんとした宗教者)でなければ、担当すること

が難しい領分だと思います。

ストレス

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こんにちは 住職です。

今日も暖かいですね。素晴らしい天気。私はこんな陽気が大好きです。

今朝、運動はお休みしました。足の裏が痛いのです。疲労のせいか。

さて、私はお坊さんなのですが、もちろんストレスも溜まります。人間だもん。

ということで、今月上旬、ついにストレスが溜まりすぎて、プチ切れしてしまいました。

精神的にキツクなることは、私にとって珍しいことなのです。さほど精神的に追い込まれるというか、

精神的な負荷に耐え切れなくなることは、これまであまりなかったのです。

しかし、今回は違いました。

色々な方面で同時多発的に問題が沸き起こり、精神的に追い込まれたのです。

それらの問題も、普段はなかなか起こり得ないようなことでした。

病気、お互いの思い違い、忘却、証拠の不備などなど。さらに、通常以上の業務が舞い込んできたため、

大変な日々を過ごしてきました。ようやく全てが解決したところで、ストレスが顔を出しました。

よくよく考えれば、病気にならなくて済んでいる時点で、良かった!と思いますが、ストレスは溜まって

いたようです。精神的に少し休みを欲しているのです。気持ち的に落ち着ける状態にもっていきたい!

そんな状態になりました。

最近、家族の協力もあって、自分の時間を持てるようになってきています。ようやく、少しですが落ち着き

を取り戻しつつあります。

これまで、ストレス発散など考えたこともなかったので、私的にはどうやればいいのか?がわからないので

すが、取り敢えず今は、自分の好きなように行動することを心掛けているのです。

私は趣味や打ち込むような事もないので、そこが難点ですね。