おはようございます。住職です。
今日も梅雨空。私は朝から運動をしてきましたが、疲労を考慮し、通常の3分の2の運動量で終えました。
私の運動内容は、walking3キロにランニング4.5キロ。合計で7.5キロの距離。それを50分程度で
終えます。この内容にしたのは、今年の2月からです。それ以前は、walking4.5キロ強にランニング2キ
ロ強で、合計7キロを1時間前後でやっていました。なので、今年の2月から強度をあげた感じなのです。
今の運動強度だと、これを毎日続けると疲労が蓄積してしまい、日常生活に支障がでてしまいます。
すでに経験済みで、2週間毎日続けていたら、疲労困憊で体調不良となりました。
なので、今は週に3日程度を目安にやっています。
先月末から今月初旬まで、体調が芳しくなかったので、運動は控えていたのです。約10日間ほど。
しかし、ようやく体調が復調してきたので、先週の土曜日から運動を再開。
10間お休みをしたのだから、取り戻さないと!という、良くわからない義務感にかられてしまい頑張る
ことに。頑張る必要はないのですが、性格なのでしょうか? 頑張ってしまいました。
結果今週は、5日間やってしまいました。休みの2日間は、雨だったからできなかったのです。
1週間で5日やるのは、ちょっとやりすぎ。
やりすぎたようで、今朝はランニングがとてもキツク、2キロちょっと走り終えて、疲労を考慮し中止する
ことに。こんな所で無理して頑張る必要なんて、全くないですからね。自重しました。
明日は、雨の可能性もあるし、疲労を考慮し運動は控えようと思っています。
それにしても、昨日は心配なニュースが入ってきました。イスラエルがイランを攻撃。
そして今朝、イランが報復でミサイルを。
ロシアとウクライナの戦争も未だ解決に至りません。世界で戦火が拡大しています。
誰だって死にたくないし、大事な人にも死なれたくありません。皆が平和な日常を求めています。
しかし、各国の主導者は自国の為の政策を考えます。時に、他国と関係が悪化することもあるでしょう。
しかし、その解決の1つの方法が、国民の命まで奪ってしまう戦火に発展することになるなんて、悲劇でし
かありません。人間ですから悲劇を生み出してしまうのです。これが愚かな人間という生き物なのです。
ロシアとウクライナ、イスラエルとイラン、それぞれとも、相手への不信感から生まれた戦火だと
思えます。ロシア的には、ウクライナがNATO入りすれば、ロシアの隣国まで敵対勢力がきてしまう。
それはロシアにとって脅威と考えたのかもしれません。イスラエルは、イランが核を持つことで、イスラエ
ルの未来は末永く脅威にさらされることになる。
ロシアもイスラエルも、先制攻撃した側の言い分は、相手国の脅威を取り除くこと。それは相手国への不信
感からでてくるものでしょう。
しかし、相手国とは対話にならない。対話しても意見が通じない。ここに不信感が高まるのでしょう。
対話が通じ無いと割り切ったら、次の手段は武力行使。
そう考えると、対話はとても大事です。
でも、もし対話が成り立たない相手の場合、どうしたらよいのでしょう?
ここが私にとっても、解決策が難しいと思ってしまう課題です。
もし仏教なら、どう考えるのだろうか?
私の中では、固執する意見を持つな!との見解になりそうな気がします。
つまり、対話の前に、そもそも相手にわかってもらいたいと思う、固執する意見を持つこと自体が
争いの根源だ!となるのだろうなと思えます。
となると、例えるなら、イスラエルはイランの核を放棄させようとする意見に固執しているので、
その意見に固執しないようにする。イランの場合は、核は放棄しない!との意見に固執している。
だから、その意見に固執しないようにする。そうなると、対話は可能になり、武力行使までいかないで
済む。そんなストーリーだろうと思います。
しかし、今から両国首脳が、意見に固執しないようになるはずもないのが現況でしょう。
となると、首脳になる以前から、人間性の問題として意見に固執しないような人を首脳にしていかないと
いけない!となるのでしょう。
しかし、各国首脳は、自国を導く為の意見は持っていなければいけないわけで、そこが矛盾する部分と
なるのも確かでしょう。難しい問題ですよね。人間の世界って。