こんにちは 住職です。
今日もとても良い天気。素晴らしい陽気です。
私はこの時期(新緑が清々しい頃)が一年の中で一番好きです。
特に、西照寺は森の中にあるお寺なので、周りは木だらけ。
今、西照寺は新緑に囲まれたお寺となっています。
こんな感じです。この写真よりも、現場はもっと綺麗。最近の写真はよく撮れるのですが、現場の臨場感
までは写さないですね。現場はもっと清々しいし、光っている。新緑も神々しいというのか、輝いていま
す。まさに、命の伊吹!
因みに、本堂裏も写してみました。
こっちの方が、新緑が近くですね。でも、この写真も私からすると、今一。もっと綺麗。
どうしても画面を通すと、現場の臨場感や生々しさ、あるいは視覚では感じられない「何か?」が伝わらな
いのです。これはネットでも同じですね。
考えてみれば当然ですね。私が今写真で新緑を紹介してますが、画面を通じて確認できることは、現場の見
た目。色とか明るさなど。
しかし画面に写ってない部分で、当日の温度や、太陽の日差しの温もりや、空気の冷たさとか。あるいは、
空気のおいしさとか、森の香り、鳥の鳴き声や森の中の音(静寂とか)もあります。
これらは視覚ではない部分で感じることなので、なかなか写真では確認できません。
しかし、現場の新緑の美しさは、それらが相まって、美しさを何段階にも引きあげている。
感動は現場にしかない!のであります。
今、このブログで写真で伝えようとアップしたんだけど、どうも伝わらないんだな。と思っています。
更新している私が、伝わってないなぁ。と思える程の違いなのです。全然ダメ。現場はもっと綺麗。
私は近年、縁があって芸術を楽しんでいます。これまで私が一番縁遠いと思っていた芸術が、思いもよらな
い縁にあって、今、結構身近になっています。芸術には正解なんてものがない。自由だったのです。
これまで芸術というのは、正解があって、私にはセンスがないので、その正解が理解できないと思ってまし
た。そしたら、完全な勘違い。芸術は○×があるのではなく、自由に感じたまま楽しめばよいのです。
それを知ってからか、色々なことに気づけるようになってきました。
だからこそ、上記、写真に写らない部分に気づくことができたのだと思っています。
これはとても大事で、今、こんな事になって様々なことがネットを通じて進められるよう変化してきてい
ます。しかし、視野が狭いまま環境を整えてしまうと、もしかしたら人間にとって悪い方向に進む可能性も
ありますね。視野を狭めず、大きな視点で変革を遂げていく必要があると思っています。
ネット会議は便利だし、私は推奨している派なのですが、直接会って会議するのと、画面を通じて会議する
のと、何が違うのでしょうか。熟考してみる必要があります。
(因みに、直接集まる現場会議は、参加者が意見を言わない。その場の雰囲気で進む。目くばせができる
。どちらかというと、水面下のやり取りの方が大事。長時間のダラダラ会議となる。会議後、コミュニケー
ションがでてくる)
(対してネット会議だと、参加者に意見を求めやすい。現場じゃないから、場の雰囲気がない。進行役が重
要。時間が決まっていてよい。会議後のコミュニケーションが取りずらい)
そんな違いのように感じています。う~ん。やっぱり後者の方がいいんじゃないか!?