日記

お彼岸 中日

おはようございます。副住です。
今日はお彼岸の中日です。秋分の日。
お彼岸の中日は年間2回あります。春分の日と秋分の日。
この日は、昼夜がちょうど同じであり、太陽は真東から昇り、真西に沈みます。
仏教では、この真西に沈みゆく太陽の方角に大きな意味があります。
それは西には西方極楽浄土といわれるように、阿弥陀仏の極楽浄土があるのだと、お経様にはでてまいります。
例えば、『仏説阿弥陀経』などでも確認ができます。
現代語訳をみつけたので、こちらの(2)の部分に口語訳されてます。
昔は今のように方位磁石がなかったでしょうし、方角を知ることは大変だったと思われます。
しかし、お彼岸の中日には、明らかに東と西がわかります。
この日に太陽が沈みゆく方向の遥か先に、私達のご先祖をはじめとした亡き方々が往生された浄土があるのだと偲びながら、
また、私達もいずれは参らせていただくお浄土に思いを馳せ、阿弥陀仏の教えに耳を傾けることがお彼岸の大きな意味だと思います。
私達が死んで往く世界を考え、受け取っていくことは、私達が生きていくことでとっても重要なことなのです。
私達が生きている世界は、対によって成り立っている部分が多くあります。
例えば、美味しい・不味い。どちらか一方だけしかなかったら、もう一方はわからなくなります。
両方あることで、片方がもう片方を成り立たせているのです。
不味いことを知るからこそ、美味しいことがわかるという構造です。(反対も然り)
以前も、ご紹介しましたが、
私達は生きています。しかし、生きている時に死ぬことはありません。(死んだらもう生きていないので)
そうなると、私達は死を経験できませんから、死がどういうものかが解りません。
死がどういうものかが解らないと、生がどういうものなのかが解らなくなります。
私達は死んでいく世界を明らかにできなければ、生きている世界のことも明らかとできない ということになります。
ですから、何の為に生きているのかが見えづらくなるのです。
生きている時に、何をすべきなのかが解らなくなります。
しかし、死んでいく世界が明らかになると、生きている時に何をすべきかが明らかとなるのです。
私は死んでいく世界が極楽浄土であると思います。本当にそうだと思ってます。
だから生きている時にすべきことは、仏様をお参りさせていただくことと、
人間として束縛された状態を思い切り生ききることだと思ってます。
色々と失敗や苦しいこともありますが、これも人間として束縛された状態だからこその愉しみなのです。
お浄土に往ったら、今の経験はできません。だからこそ、苦しいことも思い切り苦しんで(嫌だけど)
楽しいことは思い切り喜んで過ごしていこうと思います。
そのことを確認させていただく有名な仏縁こそが、お彼岸という仏事なのでしょう。
お彼岸は彼の岸と書きます。あちら側の世界(浄土)のことです。
私達がいる世界は此の岸ですから、此岸といいます。
お彼岸ですから、私達が死に往く世界に思いを馳せましょう。
さて、西照寺は彼岸会法要が勤まります。
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太陽の沈みゆく方向を偲びたいのに、今日は曇りだぞ。
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去年か、春の彼岸も曇りだったような。

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