日記

月参り

おはようございます。副住です。
昨日はブログ更新を忘れてしまいました。完全に。
このブログを始めて、かれこれ3年を過ぎましたが、今では日課のようになっております。
でも希に、更新意識が薄い日があるのですね。といっても、年間2日くらいだろうけど。
さて、昨日はこんな本を読んでいました。
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私が大学4年生くらいだったでしょうか。
今後のお寺のあり方に漠然と危機感をもったのです。
その時は、京都のあるお寺で週末にお手伝いをさせていただいておりました。
各ご門徒宅の故人のご命日にあわせ、ご自宅のお仏壇の前で読経をさせていただくというものです。月参り(ツキマイリ)と呼ばれています。
例えば、お寺のご門徒が200件あれば、月に200件の月参りがある。ですから、平均すれば1日6~7件のご自宅に伺い、お参りをさせていただくこととなります。
もちろんご命日はそれぞれ違うので、実際は1日10件の時もあるし・・・というようなことです。
お寺では土曜日・日曜日にご法事が勤まります。そうなると、土日に住職は月参りに行けません。
ですから、住職の変わりに月参りをさせていただくという、ある意味見習いのようなお手伝いをさせていただいておりました。
(因みに、月参りにはスクーターで行きます。お坊さんの格好をして、フルフェイスでスクーターに乗って、袂をなびかせながら走っています。
私はその格好で走り、何度か雨で濡れたマンホールの上や、線路を横断しようとしたとき、タイヤが滑って転んだことがあります。
皆、お坊さんが大転倒する姿に、驚いて助けに駆けつけてくれます。私も恥ずかしいのですが、フルフェイスなので、すぐさま立ち上がり走り直します。
骨折などの大怪我はありませんでしたが、擦り傷や打ち身などは 結構ありました)
この月参りという形態は、月に1度、ご門徒のご自宅に伺うので、顔を見れるし、会話もできる。
何より大切なのは、一定の距離が保てるということです。
しかし、関東では月参りはほぼありません。
関東は、多くの方が働いており、また引越しをされたりすることもあり 月参りが定着しません。
(もっとも、自坊で月参りをしようにも、ご門徒の住んでいるエリアがバラバラだし、不可能に近いですね)
京都のような伝統がない地域では、生活のスタイルが違います。
皆、忙しいし、ある意味仏教が日常にありません。
そのような違いに気づき、お寺の未来に危機感をもったのです(もっとも、京都でさえも、伝統は薄れてきているのです)
日常生活から排除されつつある仏教は、今後この経済社会の中で、何を提供できるのか? お寺が生み出す価値とは?
そもそもお寺が提供するものに、定価はあり得るのか? 逆に定価がないとすると、いくらでもいいのか? それでお寺は成り立つのか?
などなど、問題は色々とでてきます。
それ以来、頭の片隅に「経済」という問題がでてきたのです。
もっとも、大学4年以降の数年は浄土真宗の教義について学びを深めることとなったのですが・・・
その後、お寺に戻って副住職に就いてからは、「経済」について少し学ばねばと思っておりました。・・・(でも手付かずのままでしたが)
2年ほど前に、「未来の住職塾」で非営利組織のメネジメントについて学ぶ機会があってから、「経済」のことについて(足りない頭で)考えるようになりました。
(住職になるのですから、色々と勉強せねばならないのです(;´д`) 住職って意外に大変なんですね)
最近私が考えていることは、この世界は「お金」に支配されすぎている。という問題。換言すれば、「お金」に影響されすぎている。
もちろん、「お金」は大切だし、必要です。
しかし、「お金」に私たちが支配されているように思える現在の世界の構図には問題があります。
私たちは無自覚に、「お金」に支配されてしまっていると気づいてきました。
もしかしたら、この世界は一部の大金持ちの方々が繰り広げるマネーゲーム(ある意味)によって、国の価値にさえも影響を及ぼし、
国の価値次第では、国民が大変苦労をしないといけなくなるというような構図なのかもしれません。
これが現在のグローバル経済の形だとしたら、私たちは ある意味の保険を用意しておいた方が生活に安心感が増すだろうなと思っています。
グローバル経済から完全に脱却することなどはできないでしょうから、グローバル経済の新しい形、あるいは保険を用意することが大切なのかなと考えています。
もしかしたら、それは昔日本でも営まれていた形に近いのかもしれませんね。
今日は漠然とした内容でしたが、明日も少し経済に関して綴ってみようと思います。

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