日記

お寺のクリスマス あるある話

こんにちは 副住です。
今日はクリスマス。しかし、お寺ではクリスマスはありません。
花祭りです。(お釈迦様の誕生を祝う会。4月8日です)
クリスマスにおされて花祭りが注目されない現状をなげきます。
確かに、イベントとしてクリスマスよりも圧倒的に弱い。
日本の多くの方は、クリスマスがイベント化しているので、
キリストの誕生を祝うという宗教的意味よりも、ある種のお祭り的な感じで受け止められているのだろうと思います。
子供達には1年に1回サンタクロースが望みのプレゼントを持ってきてくれるという、一大イベントでもあります。
お寺に生まれた子供達にはサンタクロースは来ません。残念。
お寺で生まれた子供達が一番残念なのが、周りにはサンタが来るのに、家には来ないという、とてつもない絶望です。
ただ、
1、クリスマスのかわりに、花祭りに仏様からプレゼントをもらえたりする。
2、クリスマスにサンタではなく、阿弥陀如来様がお参りをするお寺の子供にプレゼントを持ってきてくれる。
3、お寺には煙突がないから、サンタが入れないんだ!と子供に説明し、プレゼントはもらえない。
などなど、お寺によって違いがあるそうです。
因みに、西照寺では2番でありました。
1番の場合は、年に1度のプレゼントはもらえますが、周りの友達と喜びの時差ができます。
3番の場合は、悲劇的です。年に一度のプレゼントがありません。
どこから来るのかわからないプレゼント。いい子にしていたら届けられるプレゼント。
子供には魅力であり、かつ学ぶ機会かもしれません。
私の場合は、お参りを毎日していたから、それをみていた仏様がプレゼントを持ってきてくれたんだな!と言われたとき、
誰もみてなくても、みられているんだな! 誰もみてないからといって、悪いことできないな!と学びました。
どこから来るのかわからないプレゼントには、上記のような宗教的情緒が育まれる意味もあるのではないかな!?と思うと、
私はやはりサンタや阿弥陀如来からのプレゼントは必要な気がしてます。
もちろん、お参りを欠かさずしている子に来るのだよ!ということを教えねばなりませんが。
さて、私が京都の龍谷大学に行って知ったことは、全国のお寺の子供達の幼少期の「あるある話」
あるある話の筆頭は「クリスマスにサンタは来ない!」でした。
幼少期にサンタが来なかったお寺の子供たちは、クリスマスに負けない強い心を持っています。
クリスマスが何だ! 
お寺は、花祭りじゃ!!!
と、クリスマスに対抗意識を持っている人が多かったです。
でも、対抗してもイベント的な盛り上がりでは、負けちゃうんだけどね(笑)
私はクリスマスをイベント的な意味(1年に1度、盛り上がりたい!という意味)でお寺で利用すればいいのではないのかな?と思います。
因みに、キリストが生まれたことを祝うのであれば、祝ってあげてもいいのに!と思う心もあります。
これは信仰とは別の話。キリストも素晴らしい方ではありませんか。仏教徒もそれをお祝いし、花祭りもキリスト教徒からお祝いされる。
そんなお互いを認め合いながら、歩んでいってはいけませんかね?