日記

戒名と法名 (昨夜の会)

こんにちは 副住です。
昨夜は地元の仲間と、食事をしました。
少しお酒も飲みました。
私はあまりお酒は得意ではありません。仏教徒だし。
仏教では、戒律というものがあります。
戒律というのは、ルールということです。
昔、お釈迦様がご在世の当時、その教えに魅力を感じ
沢山の方がお釈迦様に「弟子にしてください」と申し入れ
沢山のお坊さんが誕生します。
沢山のお坊さんが集団生活を始めると、徐々に生活面で
色々なことが問題化されてきました。
例えば、「托鉢(食事をもらう)をして、肉をいただいたのだが、
食べてもいいのだろうか?」とか「女性と関係をもってもいいのか?」とかです。
そのような生活における疑問をお釈迦様に聞いてみたのです。
すると、お釈迦様は「それらのことを行うことは、僧侶の集団生活の妨害(修行の
邪魔)となるだろうから」ということで、禁止するルールをつくられました。
そのルールというものが戒律です。
戒律で止められていることは、煩悩を煽ってしまうものが多い事柄ばかり。
例えば、「肉を食べてはいけない」。これは肉を食べると攻撃性が増すように、
行動的になります。それが瞑想にとって邪魔になります。修行の邪魔。
あるいは「女性と関係をもつ」。これは快楽に陥ってしまい、修行に集中できなく
なります。修行の邪魔。
あるいは「飲酒」。これは酔っ払うと理性が失われ、誤った行動をしやすくなりま
す。これではせっかく修行してきた積み重ねも、いっきに壊れてしまいます。
これも修行の邪魔。
こんな理由から、仏教徒では戒律が守られてきました。
因みに、戒名というものがありますが、これはこの世界で戒律を守って来なかった
方が、次の世界にいって、次は戒律を守って修行をし、仏様の世界(さとりの世
界)にいけるよう、願ってつける名前なのです。だから「戒律を持つ者の名前」と
いう意味です。だから戒名。
浄土真宗は、戒律を守れるような立派な私ではありません。と自己反省をする宗
派。つまり、形だけ戒律を守っていても、心の中では「肉が食べたい」「女性と関
係がもちたい」「お酒が飲みたい」と思ってしまっては、
本当の戒律とならないではないか!というのです。
しかし、いくら心を清らかにしようとしても、どうにも「ふと、肉を食べた
いとか、女性と関係がもちたいとか、お酒飲みたい」と思ってしまう心を
留めることができません。
そのようなことから、戒律を守れるほど、立派な私ではありません。
と自己反省ができあがるのです。ある意味、自分の汚い部分を認めざるを得ない
厳しい宗派です。ですから、戒律を守るということはありません。
戒律を守るよりも問題なのは、私の心なのです。
ですから、浄土真宗では戒名はありません。法名というのです。
法とは「仏教の教えの内容のこと」、法を聞いて、自分と照らし合わせながら
自己反省する生き方を遂げる。これが浄土真宗の法名という意味なのです。
さてさて、そんな私はお酒を飲みたいとは、思いませんが、昨夜は飲んでみまし
た。普段は、飲まないし、誘われてもいかないのですが、昨夜は特別。
気の合う仲間を見つけたので、久々に楽しい時間が持てました。
もちろん、お寺関係の話もしましたよ。