日記

科学と不可思議

おはようございます。副住です。
皆さん、最近ダルくないですか?疲れるというか。
あと、とても眠い。
私は上記2点が酷く、昨日は朝の運動を取りやめました。
体がとても疲労を感じていたからです。
聞く所によると、どうやら気圧のせいのようです。
それを聞いて安心し、今朝はいつもの倍運動してやりました。
しかし、ダルイ。
さてさて、昨日の続き。
科学とは、例えば再現性が証明できる因果関係を言うのだと思います。
例えば、摂氏0度以下になると水は氷となる。
これはそのような条件が整えば、必ず再現ができるので、科学的なわけです。
私たちは、再現ができる、証明ができる科学的な考え方が好きですね。
ある意味、私達現代人は科学的な考え方に汚染されているのです。
科学は再現できるからこそ「間違いない」と思ってしまう心が私達に生じます。
だからこそ、私達は科学的な物事の見方に重きをおいてしまいがちなのです。
一方で、この世界には、再現性がないものもあります。例えば出会いです。
出会いは、その時にしか訪れません。ある意味で偶然ですね。
再現性なんてあるわけないのです。
再現性がないので、これは非科学的となります。
出会いを科学で説明しろと言っても、それはできないでしょう。
もっと言えば、私がこの世界に生まれてきたのは・・・これも非科学的ですね。
偶然というか、たまたまなのです。科学的に説明ができません。
(お父さんお母さんが産んでくれたからと言っても、そこに「私」が生まれてくる
とは限らないでしょう)
どうして、この親の子供として「私」が生まれてきたのか・・・?
ここに科学的な説明なんてあり得ません。たまたまなのです。
まさに不可思議(思議とは、私達の頭で考えられることということです。
不可思議とは、私達の頭では追いつかない(理解不能)ことをいいます)です。
この世界には科学を超えた、人間界での論理を超えた不可思議の世界があるので
す。私たちは意識しないだけで日々、不可思議の世界を体感しているはずなので
す。例えば、この世界に私が生まれてきた不可思議。親子や夫婦として関係するこ
ととなった不可思議。(この不可思議というのは、人間界の論理では把握できな
い、説明がつかない、人間界の論理を超えている事柄のことを言うのです)そんな
世界に触れているはずなのに、私たちは科学的な考え方に重きをおいてしまい、非
科学的なことは「怪しい」と理解してしまいがちです。まさに、考え方が狭いと言
わざるを得ません。
もっと不可思議という世界の重要性を受け入れるべきだと私は思います。
宗教は人間界の論理を超えていく世界観をもっています。
だからこそ、難しいのです。人間界の論理が通じないのだから。
人間界の論理で生きている者にとっては、受け入れ難いのです。