日記

戒律 髪の毛があるお坊さん なんで?

おはようございます。副住です。
今年は書斎の大掃除を3年ぶりに行おうと、ゆっくり進めています。
昨日は、本棚の掃除を行いました。
ここ数年、本が棚に入りきらず、重ね置きをしてました。
それを昨日綺麗に収納。
そろそろ、本棚(備え付け)の空きスペースも限界。
これ以上増えると、綺麗に入りきれなくなります・・・
さてさて、今日は久しぶりに散髪をしてきます。
浄土真宗という宗派では、僧侶は剃髪しなくても、してもどちらでも良いのです。
私は普通に髪の毛がある僧侶。
宗祖である親鸞聖人は、剃髪されていたようですが。
理由は、教えにあります。
そもそも、仏教では「さとり」を目指す為に、生活上で
「さとり」の弊害となりやすい行為を禁止してます。
それが戒律というルール。
因みに、戒律は、「戒」と「律」にわかれます。
「律」というのは、お坊さんの集団に対するルール。
いわゆる出家をして集まった者同士が、生活をしていく上のルール。
これが「律」です。
そして、「戒」は、仏教徒(在家や出家を問わず)が、「さとり」
を目指す上で、弊害となる行為をやらないよう心掛けるルールのこと。
例えば、
不殺生戒(生き物を殺さないようにする)
不飲酒戒(お酒は飲みません)
不邪淫戒(みだらな性行為をしません)
不邪見戒(自己中心の誤った見方をしません)
あるいは、お化粧や装飾などをして、飾りません。みたいなものもあります。
立場によって、「戒」は色々定められていました。
上記は、代表的なものです。
よく戒名といわれますが、これは生前「戒」を守って「さとり」を目指します!
という方の名前のこと。だから本当は葬儀の時につけるよりも、生きている時に
つけていると、意味深いですね。
葬儀の時につける意味は、死後、これからは戒を守って「さとり」を目指していきます!
という意味ですね。
さてさて、髪の毛は、おそらく「お化粧や装飾などをして、飾りません」に該当する
ものだと思います。髪の毛が「飾り物」に考えられるのだと思います。
特に髪型とか気にする行為が、「飾る」につながるのでしょう。
剃髪すれば、髪型とかないですしね。
さて、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人は「戒」が守れない私であったと深い内省をされた方です。
因みに、仏教では、人間の行為を3つにわけます。因みに行為のことを「業」といいます。専門用語ですね。
3つとは、身・口・意です。仏教の専門用語では「三業」といわれます。
身業とは、身体で行う行為のこと。
口業とは、口で行う行為のこと(つまり「しゃべる」ということ)。
意業とは、心で思う行為のこと。
中でも、仏教は「意業」を一番大切な行為と考えます。
つまり、「意業」の行為が、「身業」や「口業」へと展開すると考えます。
なので、一番重要なのが、「意業」なのです。
さてさて、そのような基本的考え方があって、「戒」を考えてください。
「戒」は、行為の禁止というか、行為の抑制みたいなものです。
ただし、仏教では行為の一番重要なことは、「意業」です。
表面的な行いだけで行為を禁止しても、本当の意味になりません。
浄土真宗の宗祖、親鸞聖人は素直な方で、純粋な方だったのでしょうね。
表面的な行為をしないことはできますが、「意業」で思う心の行為が
できなかったようです。つまり、不邪見戒(自己中心の見方をしません)
が根本的に無理だと感じられたようなのです。(←ここについては、後日綴ります)
その結果 俺、「戒」守れない。と思ってしまったようです。
因みに、親鸞聖人は比叡山で20年、厳しい修行をされています。
その中で、諸々「戒」とは違う行為を、つまりは「心」で思ってしまう
自身の在り方に気づいた方で、素直にそのことを告白された方なのです。
あ~、、、なんだか、散髪を説明するのに、思いがけず長いブログとなってしまいました。
もう疲れたので、続きは後日(明日か明後日)にしときます。