こんにちは 副住です。
そうでした。世間ではクリスマスなのですね。めでたい!!
今日は、お坊さんあるあるを綴ります。
他宗のお坊さんも、たぶん同じなのでしょうが、お寺にはサンタクロースは来ません。
そのかわり、仏様がプレゼントを持ってきてくれます。
私は京都の龍谷大学という大学に進学をしました。
理由は、龍谷大学は浄土真宗本願寺派の大学であり、
その大学には、浄土真宗の教え(教義)を学ぶ学科があるのです。
私は龍谷大学文学部真宗学科という学科に進学をしたのですが、
その学科は、全国各地のお寺の息子(お寺後継者)によって9割占められていました。
当然といえば、当然ですね。
だから、全国のお寺事情がわかるわけです。
これまでは、お寺の友達(特に同じ宗派の同級生)なんて出会ったことない状態だったので、
ある種の衝撃を受けると同時に、「お寺あるある」があふれている環境なのでした。
そんな「お寺あるある」を一つご紹介。
毎年、この時期になると、お坊さんはクリスマスなんかに負けない!と強がります。
世間に流されるな!と、その時ばかりにお坊さんのアイデンティティが顔をだします。
さらに、「まさかクリスマスなんかやってないよね!?」と同士から裏切りがでているんじゃないかと
疑心暗鬼に。
お坊さん後継者の集まりだからこそ、変な空気感が漂い、「パーティーとかしたことないし」
「ケーキなんか食べない」「チキンってなんだ?」とか言い出します。というか、言わざるを得ない。
でも、きっと心の中では、「クリスマスいいよな」「騒ぎたいな」とか思っているはずなのです。
その反動が、上記の「反クリスマス」となっているのだと思います。
そんな私はどうだったか。私はケーキも食べたし、プレゼントももらってました。
普通にしていました。
だからこそ、大学時代は衝撃でした。
全国の多くのお寺の後継者は、親御さんなどに 1、「うちはお寺だからクリスマスはないのよ」
2、「お寺だからサンタさんは来ないんだよ。プレゼントは花祭り(お釈迦様の誕生日。4月8日)にもらえるからね」
3、「うちはお寺だから、仏様がプレゼントをもってきてくれんだよ」
などなど説得されて育てられてきたのでした。
しかし、世間では盛り上がりをみせる、この一大イベント。
クリスマスがこないお寺で育てられたお寺の後継者は、同級生から「お寺ってクリスマスないから嫌だよね」と言われたり
サンタが来ないけど、花祭りにプレゼントがもらえるお寺の後継者は、タイミング的に同級生と喜びを分かち合えない苦しみを
プレゼントがサンタではなく、仏様から届くといわれて育ったお寺の後継者は、なんか自分だけ違う・・・と思ってみたり
各自、それぞれ世間と共有できない部分があって、それぞれに苦い思い出となって、
そしてそれがある意味でお坊さんとしてのアイデンティティとなって形成されてきたのです。
そんな連中が大学生の時に一同に集うとどうなるか!?
「反クリスマス」として表出されるわけです。
その空気感は、結構すごい。「お前、わかってるよな!」というような暗黙の空気感。
もし、「うちは普通にクリスマスあったよ」などと言おうものなら、「お前のところはお寺じゃない!」
「お寺やめたようがいい!」「キリスト教に変わった方がいい」と言われるでしょうね。
もちろん、いじめとかにはなりませんよ。その日というか、その1週間くらいは、そんな扱いを受けるでしょうけど。
西照寺の住職の考えは、クリスマスはキリストが誕生されたことを喜んでいるイベントなんだから、
宗派は違うけど、偉大な方が生まれて良かったね。とキリスト教の信者さんと一緒に喜ぶことが、どうしていけない。
ことさら、そんな気持ちもあまりなく、ただのイベント的に過ごすクリスマスだったら、尚のこと、宗派とか関係ないんじゃない。
という考え方でした。
それはそうだな!と私も今でこそ同感です。
仏教徒でない人が、花祭りを喜んでくれたら嬉しいし、親鸞聖人の誕生日である降誕会(ゴウタンエ)5月21日を宗派が異なる方が
喜んでくれたら、それはとても嬉しいことです。尊いですよね。
もちろん、世界三大宗教として、認められていることは世間的にも大きいこと。
それぞれの大事な方の喜びごとを大切にできる寛大さがあれば嬉しいですね。
それを宗派が違うから、祝わない。とか意気地になることは、むしろ、ちっちゃい!
この時期ばかりは、若いお坊さんも器がちっちゃくなるのです。
いいんです。お坊さんも悩みや苦悩を抱えてるんです。
気持ちがちっちゃくなってもいいんです。
それがクリスマス。
もう私みたいなおっさんになったら、イベントとしてのクリスマスとかどうでもいいようになります。
ただ、めでたいなという気持ちは、ちょっとあります。
もちろん、これは色々な考え方の人がおられるので、一概には言えませんが。
若いからこその、プライドもあるし、おごりもあります。
若いからこその反発心もあります。
お寺としてのプライドもあります。
それぞれを如何に心から納得させていくか。ここが一番大事ですね。
しかし、それぞれのお寺さんが、クリスマスないんだよ!という育て方は、大事なのかもしれませんね。
だって、クリスマスにこそ、お坊さんとしてのアイデンティティが強烈に確認できるんだから。
結論としては、それぞれ(クリスマスあるお寺とないお寺)あっていいのだと思います。
「お坊さんあるある」あまり知らない、ゆるーい内部事情だと思います。