土浦へ

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
さてさて、数日前の続き(おじ様との話)とします。
再来訪をさせていただき、その時はお話しをしました。
そこでおじ様から、ある頼み事をされたのです。
遠方(土浦)に行って、「ある問題を解決したいので、
確認をしてきて欲しい」ということでした。
私も親鸞聖人のお手紙について、教えていただいたこともあり、
お手紙を何度もいただいたのに返信もしなかった気兼ねもあり、
若干面倒なご依頼でしたが、引き受けました。
再度時間を空け土浦にでかけ、ある方とお会いし、
問題の確認を行い、帰宅してきました。
さらに数日をあけ、今度は神奈川のおじ様のもとへ。
諸件ご依頼された事柄をお伝えし、
私の見解も述べさせていただきました。
おじ様にとって、あまり喜ばしくない出来事でしたが、
正直にお伝えしたことを覚えています。

東日本大震災から6年

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
昨日は博報堂さん(赤坂)に研修の為、お邪魔しておりました。
博報堂
さすが一流企業。
素晴らしい場所と設備。
一日中の研修だったので、ブログも更新できずじまい。
さてさて、今日は3.11です。
東日本大震災から6年。
仏事でいうならば、7回忌にあたります。
たまたまですが、今日は第二土曜日ということで
西照寺法話会の日でもあります。
そこで、今日はご門徒と共に、気持ちを
東日本大震災で亡くなった方々に向けながら
お勤めをしたいと思います。
あの大災害は、特に日本人の多くの人々に深い心の傷を残したと
思います。その傷は、ひるがえって「絆」や「思い遣り」などの
心の大切さを実感させました。
7回忌に際して、それらをもう一度、振り返りたく思います。

手紙が届くようになって

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
昨日はじめのブログの続きです。
私はおじ様と別れ、帰宅してからほどなくして、
おじ様からお手紙を頂戴するようになりました。
ただし、私は手紙を書くことが苦手で、字も汚いし、
そのまま返信もせずしばらく放置しておりました。
誠に無礼極まりありません。しかし、おじ様はしぶとく、
何度も何度も手紙を書いてくださいました。
終いにこちらが申し訳なくなって、お電話をさせていただく程。
また来なさい!と言われました。
正直、私は用事もないし、神奈川に用事もないし、別に行かなくても・・・
と最初は思っておりました。
そこで、数か月時間を空け、時間に都合がつく日を見計らって、再来訪をしたのです。

比企の地で 男性と女性の出会いの場 ちょっと真剣くらいが丁度いいかも。 

投稿日: カテゴリー: イベント

おはようございます。副住です。
今日のブログは2連投です。
初回のは、すでにアップしてます。
そしてこれが本日2回目の投稿。
比企青年会議所の例会のご紹介です。
4月1日(土)に春の「比企コン」を開催いたします。
未婚の方が対象で、いわゆる「出会いの場」を企画しております。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
詳細は比企青年会議所2017のHPでも。
春の比企コン
まだ申し込みは間に合うので、是非是非申し込んでみてください。
男性はそろそろ定員オーバーになるかもしれないとのことです。
素晴らしい男性の方も申し込まれている模様です。
私の知り合いも申し込みました。
女性の方は、まだ定員オーバーになりそうと聞いてないので、
まだ間に合うと思います。
気楽な「出会いの場」として、しかし誠実な場を企画しているそうです。
ですから、ちょっと真剣にパートナーを探したい!と
いう方くらいが丁度いい企画となっていそうです。
昨年は私のブログで取り上げていたのに、
今年のブログで宣伝しないのは、どうなのか?と
会員の方からお叱りをいただいてしまいました(笑)
もう私は卒業したから、出しゃばらないようにと思っていたのです。
しかし、外部でも監事として関わっているのだから・・・との主張でした。
なるほど!と思って、遅くなりましたが、ブログにアップさせていただきました。
折角なので、私は多くの女性に、この情報をお伝えしたいです。
なぜなら、素晴らしい男性が申し込みされているからです。
この記事を読まれたあなた! 周りにおられる未婚者の女性がお
られましたら、是非進めてみてください。
チャンスです。

研究者

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
今日のブログは2連投です。
初回が連載物。2番目が比企青年会議所の例会の宣伝です。
まず始めに、数日前から続く、連載物です。それでは、続き・・・
研究者の私が言うものおかしな話ですが、おじ様はかなり細かい方でして、
研究者というものは妥協を許さない傾向が強く、
従って細かいことにもこだわりが強くでてしまうものなのです。
細かい部分に着目できるからこそ、研究者なのかもしれませんが。
研究ですから追及心が強いのですね。
私も研究する!という時期を過ごしたあったので、よくわかるし、
ある意味おじ様と話が通じる部分があったのですね。
ただし、私は根っからの研究者ではないと自分で思う位、研究が嫌いです。
面倒くさい。でも研究している最中は、どっぷりとつかってしまって、
時間を忘れて、そればかりを追及(ただし、頭を使うので猛烈に疲れます)
してしまうのです。だからどっぷりとつかれる環境も大事。
ですが、私はお寺を継ぐという役割があるし、今はすでにお寺に戻ってきて、
色々な業務をこなさねばならない環境です。
研究!という環境ではないので、もう研究者でもありませんし、
研究者になりたいと思ったこともありません。
やっぱり研究が嫌いなんですね。
さてさて、おじ様も研究者だと、話をしていてわかりました。
通じる部分があったのです。それをおじ様も感じとっておられたようです。

おじ様

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
写真を拝見させていただき、目的を果たせた私は、
お礼を述べ、その場から立ち去ろうとしました。
すると、その方(おじ様とお呼びすることとします)が、
私に異なるいくつかの物を見せてあげようと呼び止めてくださいました。
どれも貴重そうなものばかり。
私も骨董などに若干の興味がある方
(骨董屋さんなどがあれば、見たいなと思う程度のものです。詳しくありません)なので、
マジマジと見入ってしまうと共に、
ただならぬ雰囲気を漂わせるこれらの品物を前に、
ちょっと怖さをも覚えました。
しばらくおじ様とお話しする内に判明したことですが、
おじ様は、美術品というか、文化財を研究されている方だったのです。
もちろん、学問的というよりも、むしろ実践的なというべきか。たぶん相当な研究者でしょう。
過去の新聞(週十年前の全国紙)に名前が紹介されてました。
切り抜きを見せてもらいました。肩書も美術商だったか、画廊だったかです。
今はもう、だいぶご高齢でして、一線から退かれておりましたが。

親鸞聖人のお手紙

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
昨日の続きです。
私は、母などを経由し、これまであまり会ったこともない親族に連絡し
色々と聞きまわり、やがてある情報をキャッチします。
その情報こそ、ある方がそれを持っているかもしれない。というもの。
しかし、その方に私はこれまで会ったこともないのでした。
もちろん、連絡先なども全くわかりませんでした。
そこで、連絡先を教えてもらい、ちょっと連絡しづらかったのですが、
そこは伯母が手伝ってくれて、何とか連絡をとることが可能となったのです。
それが、ちょうど4年~5年前のことでした。
私の趣旨をご理解くださり、場所を鎌倉に指定され、お会いすることとなったのです。
それが4年ほど前のことでした。
初めてお会いした際、親鸞聖人のお手紙を見せていただけるのだろうと思っていたのですが、
残念ながら、そうはいきませんでした。
鎌倉を訪ね、再度趣旨をお伝えし、「親鸞聖人のお手紙に興味があるので、もしお持ちでしたら
拝見させてください」とご依頼すると、「残念ですが、今はもうないの」とのご返答でした。
どこかのお寺(浄土真宗らしい)に寄贈されたということでした。
ただし、写真をお持ちでしたので、それを見せていただきました。
しかし、現物が古いもの(もし、親鸞聖人のであれば、鎌倉時代のものですから、当然古い)なので
黒ずんでいるんですね。それを写真に写しても細かなところがわかりづらいのです。
現代は、筆跡鑑定などで真筆なのか、ある程度判明しますが、現物がないと・・・
との思いもありました。
私も30代までは、一応浄土真宗の教えの研究者(教義が専門)だったわけで、
親鸞聖人の文字の書きぶりや癖なども、ちょこっとわかります。
もちろん、親鸞聖人の真筆の複製の手紙や書物なども所有しているので、
それと見比べれば、ある程度の予測はできるのです。(素人ではないということ)
そのような意味で、私が写真を見ても、「う~ん。微妙」とも思えます。
綺麗な字なのです。親鸞聖人の字は、角ばっているというか、特徴があるのですが、
それよりも綺麗。ただ、似てる特徴も見受けられます。
また、親鸞聖人は晩年に沢山の書物を書いています。
しかし、関東時代の手紙であるとしたら、若かりし親鸞聖人の文字となるので
晩年の字とは、多少異なっていても不思議ではありません。
親鸞聖人の若かりし時代の真筆は、あまりないので、見比べるものがないのです。
ただこの手紙には付属として、蓮如さん(本願寺8世)なのか、親鸞聖人の毫であるとの証明書が
別紙に付けられてありました。
だからといって、真筆の可能性が高いといえないところが、難しいところなのですが。
ただし、お手紙の宛名には、佐竹〇衛門〇〇とありました。
見せてくださった方も、「これは親鸞のではないと思う」と話されていました。
この手紙に関しての口伝は伝えられていない模様でした。
私もやっぱりそうだよね。と内心思いながら、若干の落胆をしたのでした。
ある程度目的を果たせた私は満足し、その場を失礼することとしたのですが・・・

親鸞聖人 なぜ関東に?

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
今日はいい天気でしたね。穏やかで小春日和みたいな。
そんな天気だからこそ、花粉が舞っているようです。
私は今のところ、花粉症ではないので大丈夫ですが。
母と妻は花粉症で、騒いでいます。
さてさて、昨日の続きです。
具体的に動き出し、とある情報を聞きつけました。
代々伝わっている親鸞聖人が書かれた家宝を所有する
可能性がある方の情報を親族を通して探し出したのです。
なぜ、私が親鸞聖人の書かれた家宝を見たいか!?といえば、
以前、祖母の話で聞いたことがあった内容が大きく影響しているのです。
それは、「親鸞聖人が、ある殿様にあてた手紙が残っていた」との話です。
実は親鸞聖人は茨城県で生活されていたこともあるのですが、親鸞聖人の
関東時代の足跡は、今の研究でも明らかではないのです。
ほぼ不明なことが多いわけです。
なぜ、関東に来たのか? なぜ茨城県にお住まいになったのか?
親鸞聖人が特にゆかりのない関東に住まわれた背景には、
きっと有力な武士や殿様と関係があって、それをつてに
関東に入られたのではないか?などと推測する学者さんが多いのです。
そのようなこともあって、「親鸞聖人が殿様にあてた手紙が残ってる???」
と思い出し、大変興味を抱いたのです。
だって、もしそれが本当であれば、何という殿様にあてた手紙なのか?
その内容だって気になるし、何より親鸞聖人の関東での足跡が判明する
大事な大事な資料になるのです。もし、それが本物であれば、浄土真宗として
大変なことなのです。
だから、とっても気になった。というわけです。

JC スキー お見送り

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
今日と明日は、JCジュニアスキー例会です。
土日は私は法務の為、お寺を留守にすることは無理。
そんなわけで、JCのジュニアスキーには付き添うことができないのです。
ただ、スキーに出発(一か所に集まって、バスで出発)する早朝のお見送りと、
到着する夕刻のお出迎えは、ご法事と被らないので、行くことができます。
今朝は、朝4時にJC会館に行き、臨時理事会を行い、その後5時前から用意を行い
6時過ぎにバスが出発することになり、お見送り。
7時前にお寺に戻って、諸々終えました。
明日は、夕刻にお出迎えに行ってきます。
さてさて、昨日のブログの続きです。
西照寺は浄土真宗という宗派のお寺です。
浄土真宗の宗祖(宗派の始祖)は親鸞聖人です。
その親鸞聖人が書き残されたお経や、名号(南無阿弥陀仏)や
お手紙というものは、現在でも日本の中にいくつか残っているのです。
もちろん、お宝です。
多くは本願寺など、宗派の本山クラスが所有していたり、
歴史ある古い寺院に宝物として保存されているのです。
いずれも国宝や重要文化財など、文化財として扱われています。
ただ、誠に少ない可能性ですが、一般の旧家で代々家宝として引き継がれているものも、
現存する可能性はあります。
実は、私の母方の祖母の生家に、その可能性があるのです。
祖母の生家は、かなりの旧家で、由緒ある家柄だったのです。
それが判明(由緒ある家柄ということ)したのが、4年ほど前のこと。
もちろん、祖母は既に20年以上前に浄土往生されてますが。
祖母が亡くなった時、私はまだ大学に入って間もない頃だったので、
浄土真宗の教えを真剣に勉強する前のことでした。
なので、祖母の生家が親鸞聖人の書き物したものを家宝としていた!
などの情報は、あまり興味もなく、そんな話を聞いていたとしても
詳しいことは耳に入っておりませんでした。
しかし、私がこの年になって、「そういえば・・・」
と思い出した時が5年ほど前のことだったのです。
既に祖母はおりませんし、祖母の生家も残っていません。
何か情報を聞きたいと思って、これまで全然あったこともなかった
方々に事情を話、情報を求めるため、具体的に動き出しました。
それが5年程前のことでした。

お墓という情報

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
昨日は築地本願寺に出勤してきました。
夜も遅かったので、ブログを更新する余裕はなかったです。
ここ最近、自由な時間が持てずにいたのですが、ようやく本日の午前中に、
フリーな時間が持てました。本日は、午前中に隣の市である坂戸市に行ってきました。
とあるお寺様に、あるものを見学に行ったのです。

 
 
 
 
 
 
 
このお寺様の境内と思われる駐車場の中に、
墓地の中ではないのです。駐車場の中に、唐突とあります。
行ってみると

 
 
 
 
 
 
 
先日の文化財鑑賞会において、ある方が来てくださり、情報をくれました。
それがこちらのお墓。墓碑に書かれてある文字は、古くなって読み取ることが難しかったのですが、
名前の部分は確認がとれました。
今後、もっと調べてみたいと思っています。
このお墓が何なのか?・・・それについては、明日からの連投に綴ろうと思います。