日記

やりたい事(好きな事)を仕事に

連載6日目です

今、思いつくまま、これまでの経験などに関して、自分なりの満

足度を振り返ってみました。そうすると、自分なりに見えてきた

ことは、私は自発的に「これをやりたい!」と思っての行動があ

まりない。(ただし、自分が興味を持ちえた分野があれば、そこ

に没頭できるタイプであり、大きな満足感を得ることはでき

る)

自発的な行動があまりないのは、何がしないのか、自分でもわか

ってないからだと思われる。一方、「誰かから何かを依頼される

(必要とされる)」ことに、ある種の嬉しさを感じる反面、必ず

しもそこに遣り甲斐は感じてはいない。(だからこそ、忙しない

と、愚痴が出る。これは自分の現状を責任感という言い訳で誤魔

化しているからだろう。やりたいことで、忙しかったら、たぶん

愚痴はでてこないから)

依頼された業務内容が、自分では望んでないものであっても、内

容によっては満足度を感じている。自分の満足度が高い時は、

「人間の苦悩という深い問題に、それなりに関われる時」。しか

も、そこに「仏教が発揮できる」時。どうも、私はこのような時

に、満足感を、つまり遣り甲斐を感じているようです。ただ、人

間の苦悩に仏教者として関わる事が、「自分がやりたい事!」と

声を大にして言うのは、ちょっと抵抗がありますね。やっぱり、

苦悩に関わる事が、「やりたい事」なのか?と疑問に思ってしま

います。私の考える「やりたい事」って、もうちょっと煩悩に根

付いているというか、欲求と相性がいいようなイメージなので

す。だけど、人間の苦悩に関わりたい!というような欲求

は・・・そんなものはないと思うんですよね。

そこで最近、ハッとさせられた言葉が、「自己実現」というこ

となんです。自己を実現するということが、欲求としてあるので

あれば、それは換言すれば、「自分がやりたい事」となり得るの

かもしれません。だとすると、ここまで僧侶として仏教を学びな

がらお寺で活動を続けてきた私にとっては、「人々の苦悩に、仏

教者としてそれなりに関わり、お寺を役立ててもらう」ことに満

足感を得ていました。「私の満足感」=「私の自己実現」だっ

た!と考えれば、それこそが「自分がやりたい事」なのかもしれ

ません。

おぉ!答えがでました。自分では認識できていませんでした

が、私がやりたい事は「人々の苦悩に、仏教者としてそれなりに

関わり、お寺を役立ててもらう」です!

凄い、簡単に答えがだせました。今までは、自分がやりたい事

なんてない!と思ってましたが、ただ見えていなかっただけかも

しれません。