日記

東日本大震災から9年

おはようございます。住職です。

今日は東日本大震災から9回目の3・11です。

私的には、もう9年か。との思いです。あの地震が起きた際、私は自坊に居りました。

子どもがまだ幼稚園児で、確か幼稚園が終わって、自坊の寺務所に私と妻と居たのです。

そしたら、あの地震が。西照寺の地盤は固く、地震でもあまり揺れなかったりするのですが、

あの時はとても揺れました。西照寺の現寺務所は、大きな窓ガラス(一面が多分180×90)が5面

並んでいるのですが(つまり、畳が5枚並んでいるようなもの)、そのガラスが地震の揺れで割れて

しまう!と思った程でした。あまりに揺れるので、すぐに子どもを抱えて屋外に非難しました。

自然な行動でした。後で思ったのですが、ご本尊(阿弥陀様)を抱えず、子どもを抱えて避難した

所が、何とも自分らしいなと苦笑してしまいました。皆さんからすれば、何言ってる?と思われてしまう

のでしょうが、僧侶の世界では、地震や火事などの緊急事の際、住職が真っ先に逃げ出さず、ご本尊を抱え

て逃げ出してきた!という話が武勇伝のように伝わっているのです。緊急事態だからこそ、本物の宗教者

かどうかが問われる一面と見なされているのかもしれませんね。

私の場合は、真っ先に抱えたのは、ご本尊ではなく、我が子でした! 阿弥陀様、申し訳ありません。

まぁ、それでいいんです。そんなものなのです。凡夫だから。

さてさて、大きな地震がおさまって、何事だ!?と思いTVを見ていました。今でも当時の光景が鮮明に

思い出されます。当時は寺務所のパソコンでTVが見れた(今は見れない)のですが、ヘリからの映像で

大津波がまさに来るという場面でした。確か、解説者が津波の心配の話をしていたら、津波が実際に来た!

という展開でした。その映像に言葉を失いました。川を遡上する津波。それを現場で見ている人。

その光景を上空のヘリで映し、それを見ている私。 上空からの映像では、広範囲が映し出されるので、

明らかに現場の人は、あと数分で大津波に飲み込まれる!と思える光景。

「何やってんだ!早く!、逃げろ!逃げて!」と画面に向かって喚く私。しばらくすると、画面は違う部分

を映してました。人が飲み込まれる姿なんて見たくないし、映してはいけないのでしょうね。

その時、死を見せない(隠す)現代社会を実感しました。見たくはない。でも現実に起こっている事。

それをどう捉えればよいのか。時には現実から目を背け逃げ出す勇気も必要だとは思ってます。

でも、逃げ出すことが当然となると、辛い現実を見ないようにするし、無かったことにしようとする。

そういう部分が問題を大きくしていくことに繋がっていくのだと思うのです。

だから私は、現実から目を背けすぎるのはいけないのではないか!?とも思うわけです。

この思いが、稀に私を「現実を正々堂々受け止めよう」との思いにさせてくれます。

教誨師として現場に向かう時や、東京教区の運動、人権の研修会での学びなど。

これらは、正直に言えば、私の自発的興味の領域にはありません。皆無。

でも、縁が整って、そのような取り組みと関わるようになる。

「興味がないから、見ないようにする」のは簡単。でも「興味はないけど、現実を受けとめてみよう」

と思うと、かなりの勉強というか、問題というか、大ごとであることに気づけるのです。

自分が受け止める世界の領域が拡がれば、様々な現実を知ることとなるので、本当に些細なことが

大事である事もわかってきて、行動が変わることもあります。感じることも変わってきます。

結局のところ、そんな現実を受けとめるだけでも、私は良かった!と思えます。

事は複雑で、悲しい現実もあるんだけど、それらを無かったことにして、見ないようにする生き方

よりも、現実を受け入れる生き方の方が、私は良かった!と思えます。何か明確な理由がある

わけでもありません。何が良かったのか!?との明確な説明もできないのですが、何となく良かった!と思

えるのです。そして、たぶんですがそう思える重要な要素は、社会から関心が向けられてないかも!と感じ

ている、つまり、見なかったことにされている現実に生きる人達は、「私達のことを知って欲しい!」とい

う部分の主張が大部分なのです。そこに、「保証」とか「強要」とかを求めている訳ではないのです。

この現実を知って!との訴えなのです。私も「保証」とか「強要」「変革」などを求められたら、正直重い

し、関わりたくないな!と思いますが、そんなことはないんだもん。

皆、この現実を知って!なのです。現実を知って、さらに何か行動したい!と思ったら、一緒に行動してく

れたら嬉しいです!程度なのです。たぶんですが、一番は孤独にしないで!という叫びなのだと思います。

良く聞くことですが、大きな震災などでも、時間の経過と共に、風化を懸念する被災者の声を聞きます。

きっと、忘れられてしまうこと、孤独を感じそうになっている自分(被災者の方)の声なのです。

時間が経過すると、被災地のことは、徐々に報じられなくなるし、段々と社会の視点が、被災地だけでは

無くなっていきます。その変化に、被災者の方々はついていけないのでしょう。そんなに簡単に切り替われ

ない。失ったものが大きすぎるんだもの。社会と自分の進む速度が違うから、そこに取り残されていってい

るような感じ方もするし、孤立化していく自分を感じるのだと思います。

そういえば、ちょっと前にジョーカーという映画がありましたね。私もレンタルDVDでみました。

妻は考えさせられる!と話して、私に視聴を進めましたが、私は正直、現実の話じゃん!と思っただけ。

特に考えさせられることなんて、ありませんでした。あれは現実の話。あの話が話題となってしまう社会が

問題なんです。皆見なかったことにしている。無かったことにしている。そこが大問題。

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