日記

沈黙ということ

こんにちは 住職です。

昨日は、更新できませんでした。

東京で急な法務があり、一日不在にしておりました。お坊さんには解る急な法務。

お坊さんじゃなくても、解るでしょうか?

昼間はご葬儀のことで、夜はお通夜のことを意味します。

そのような訳で、昨日は気疲れしており、帰宅後も更新する気力もなかったわけです。

当然ですが、人が亡くなって、ご遺族が悲しみの中にあるのですから、寄り添えているのか判りませんが、

気持ちはそのようにしているつもりです。私は、可能な限り収骨までご遺族と共に過ごすことを心掛けて

いるのですが、悲しみの中におられるご遺族は、色々と状況が異なります。

私を気遣ってくださる方もおられれば、そのような余裕もなく、悲嘆にくれておられる場合もあります。

当然、私も待ち時間を共に過ごす為、会話が全くない時もあります。

若い頃は、会話がないと、こちらが気まずくて困ったこともありますが、最近は全くなくなりました。

全く会話がなくても、ご遺族と同じ場所にじっと座って、沈黙を共にしています。

この頃は、年をとったからかもしれませんが、厚かましくなったというか、若い頃と解釈が異なってきまし

た。若い頃は、沈黙が怖かったのですが、最近は沈黙も一つの会話だと気づいています。

もちろん、人によっては、勝手な解釈だ!と言われてしまうかもしれませんね。(笑)

しかし、同じ時と空間を共に過ごしているのですから、先方が私を迷惑がっているかどうか、そんな事くら

い判ります。そこまで鈍感ではありません(笑)

同じ時間と空間を「沈黙」で過ごすことは、とても難しいことなのです。

なぜなら、普通は同じ時間と空間を過ごす場合、お互いに気を遣うから。

気を遣うから、会話をするのです。

相手を気遣うあまり、沈黙が耐えられなくなるのです。

沈黙が気にならなくなる為には、こちらが空気みたいになる必要がありますね。

つまり、その時だけ相手の全てを受け入れ、気を遣わなくする。相手の意のまま、受け入れる。

空気を、雰囲気を、そのまま受け入れる。そこに私の気を入れない。私の思いを入れて邪魔しない。

特に、火葬中はご遺族が悲嘆の真っただ中にある場合もあって、ご遺族は私に気遣う余裕さえない

場合もあるのです。相手がそんな状況なのに、こちらがそれに気づかないで、会話を振ってはダメですね。

相手が沈黙しているのは、こちらを気遣う余裕がない。気遣える程の状態ではないことを意味することがあ

るのです。だから沈黙しちゃう。私は今頃になって、全く沈黙を気にしなくなるようになりました。

それができるようになるまでには、色々と覚悟やら経験値が必要でしたが。

先方が話したくない時間であれば、それを受け入れ邪魔しない。そのまま受け入れる。

先方の雰囲気から伝わってくる想いを、そのまま受け入れ、私が邪魔をしない。

むしろ、会話がある時の方が、お互いにそれぞれの気遣いがある為、言葉上では意思疎通できてるように

思えますが、深い部分はできていません。たぶん、沈黙の方が深い部分を理解し合える。

そんな風に思っています。しかし、同時にこれをやると、と~ても疲れるんですね。もちろん、終ってから

ですが。気を遣わないことが、疲れるんですからね。不思議なことでしょ!? 自分でも何故だろう!?

と思います。達人になれば、まったくそんな事にならないと思いますが、そういった意味では私は

まだまだ体得はしていないようです。