おはようございます。住職です。
数日前、公家社会と武家社会との違いを学んだことをブログで綴りました。
そこから派生して、明治期に起こったパラダイムシフトによって、お寺が失ってしまったものなどを
振り返ることができそうな気がしてきました。
ここに、私なりの明確な答えを出すことで、今後のお寺の役割が明確化していくと考えます。
そこで、数日間にわたって久々の連載をしようと思います。
この連載では、最終的に西照寺の今後の活動の方向性の理由が明示されることとなります。
数日間、お付き合いください。
~ 連載 ① ~
明治時代に入り、鎖国をしていた日本は海外との交流を持ち、近代化に向かうこととなります。
世界では18世紀の後半から産業革命が進んだことで、製鉄業が成長しました。製鉄業が成長すると同時に、
産業革命下で、石炭などを用いて、蒸気というエネルギーを人類は手に入れたのだそうです。
大きな動力を得たこと、そして製鉄技術の進歩によって、大型の船やら汽車などが開発されたのです。
人類はこれまで移動できなかった距離を、機械を使うことで移動ができるようになります。
特徴的なのは、蒸気船を用いて、海を越えて各大陸へ進出できるようになったことです。
人類が蒸気船を手に入れたことで、海を越えて、各大陸間を移動できるようになるような時代に突入したこ
とで、島国の日本にも海外から人がやってきました。江戸時代の幕末は、鎖国を解かざるを得ない状況に陥
りました。黒船来航は、当時の日本人にとってショックだったでしょうね。見たことない大きな船に、見た
ことない人種が乗っているのですからね。海外との技術レベルの違いに驚愕と驚異を感じたはずです。