日記

「①命がけの精神性」②

おはようございます。住職です。

「命がけの精神性」は、現在の日本人の中ではどうでしょうか?

そもそも当時と大きく社会環境が変わりましたので、価値観も一変しているでしょう。

現代日本では、「死」を極力避けようとしている社会であると私は感じます。

「死」を見せない社会が現代日本社会ですね。

例えば、病院では死んだら入口からは出られません。

ひっそりと裏口から出されます。

現代日本人得意の「臭い物には蓋をしろ!」的な考え方が影響しているのかもしれません。

これでは、当時の武家社会の価値観とは真逆です。

当時は「生死」を直視していた文化だったはずです。

でも今の日本は「死」を隠す。

そこで、よく考えて欲しいのです。

実は「生死」はそもそも二つで一つ。セットものなのです。

そもそも生まれてこなければ、死ぬことはありません。

つまり、「生」があるから「死」があるわけです。

「死」があるということは、「生」がある訳なのです。

どちらか一つだけ!ということはあり得ないのです。

「死」を直視することは、「生」を直視することと繋がっているのです。

私は以前、こんな話を聞いたことがあります。

バイクで高速道路を200キロ近くでぶっ飛ばす人の心境です。

もちろんスピード違反だし、その行為は危険ですから、愚か者です。真似してはダメです。

私にはその行動が理解できませんでしたが、その人の心境を聞いたら、納得できてしまいました。

その心境とは、「バイクで飛ばせるだけ飛ばすと、死ぬかもしれないと危機感を覚えます。

死が迫ってきていてゾクゾクして「自分が生きている~」と実感できる瞬間なので、それを求めてやっ

てしまうのです」と言っているのです。

もちろん、真似してはダメです。

法律的にも違反ですし、道徳的にも他人により危険性を与える可能性が高くなるので、やめるべきです。

しかし、この人が言っている事には確かな事があります。

それは【「死」が迫ることで「生」を感じる】という事。

今の日本は「死」を隠すので、「生きている実感」が乏しくなっていくのです。

「何となく生きてる」「惰性的な生き方」「変化のない日々」など、そもそも「生きている実感」を感じづ

らい社会が、現代の日本社会に蔓延している可能性があると思います。

そんな社会で、さらに少子高齢化によって経済的にも疲弊してきていて・・・

「夢」も「希望」も「生きている実感さえ乏しい社会」

日本人として、また日本に住んでいる国民として、言いたくないですが、全然魅力のない社会ですよね。

確かに平均寿命は世界でも圧倒的に長いかもしれません。

しかし、長く生きられることが、果たして良い人生なのでしょうか? 

もちろん、なるべく健康で長く生きていたいという欲望はあります。

しかし、私の希望を言えば、夢などをもって活き活きと長生きしたい!と思う方が強いですね。

その土台となるはずの「死」の直視を、現代日本社会では放棄しているのです。

簡単に言えば、「命がけ」で生きれない。そんな現状であろうと思います。

世界の人は、今も「命がけ」で生きている可能性があって、そんな人達相手に、今後はビジネスをやってい

く!と言っても、この状態では通じないかもしれません。

私たち日本人は、【「命がけ」で生きる】の先にある【命がけの精神性】まで、生き方の質を高められる文

化の中の居ながらも、遥か前のステップで留まってしまっていると思えます。