おはようございます。住職です。
数日前に更新した「コロナと共生していく為に」の続きを書こうと思います。
今日からは、これからどうする!?という事について、綴っていこうと思います。
まず、コロナの状況が今後長期化すると考えたとして、お寺には人が集いづらくなりますね。
ご法事もお葬儀も、参列する人は少人数。さらに、コロナの感染流行が一時的に高まれば、その期間の
ご法事は延期を検討される方々が増えていきます。これまでもその傾向でした。
ただ、コロナの感染流行は一時的!と考えられている方が多いようで、一時的にご法事が減りますが、1か
月から2か月後にはご法事が増えていくという状況なのです。これは私も予想外でした。
例えば、2021年の7月下旬頃、まずは変化がありました。9月のご法事の予定が埋まらないのです。
同時に、8月9月にすでに予定されていたご法事の延期のご連絡が入ります。
ちょうどそれ以降から東京を中心に感染爆発が。
8月、首都圏は大変な人数の感染者数となりますが、不思議と10月のご法事の予約がなされてきます。
私的には、え?10月に収まらないんじゃないの!?と思っていましたが、現在、感染者数が減ってきていま
すね。凄い!総体的に皆様の感覚は当たっているのです。
(もっとも、10月まで感染が続いていれば、ご法事は延期すれば!と思われているのかもしれませんが)
コロナが長期化すれば、今後もこのような経過をたどっていくのかもしれません。
また、私も築地本願寺に出勤することが少なくなりました。在宅リモートが増えたし。
このような状況は、コロナが収まるまで(これまでは2年から3年くらいだろうと予想)!と考えていたの
で、我慢の方向で進んできました。しかし、1年半を過ぎても、出口が近いのか遠いのか?も判断がつかな
い状況をみると、もしかしたら長期化を覚悟することもありかも!との思いに至り、我慢から、共生へと
考え方を変えてみることにしたのです。
これまでを振り返ると、コロナの感染流行期では、これまでのお寺の活動も個人の仕事も急減します。
当然、自由になる時間が増える訳です。これまでは我慢!との思いだったので、自由な時間を自己成長の
為の時間!と捉えて、勉強をしてました。もちろん、身体を休める時間も設けてました。
これまで出来なかった、ちょっとした事や楽しみにも費やしました。
でも、これらは一時的な我慢の時間!と捉えていたから可能な事柄でした。
しかし、長期化するとなれば、折角の時間ですから、根本的に見直さなければいけません。
私がやりたい! ん? ちょっと適切ではないか??? 私がやるべき! と思うことを進めていく
時間を増やしていくべきだ!と思うように至りました。
つまり、私が死ぬまでに「西照寺としてやるべきこと!」を実現していく事に費やすべきかもしれない
と思うようになってきました。
すでに、昨年の自粛期間の中で、正確には昨年の6月に、これまでずっと私が悩みつづけてきた
「私は何の為に、この世界に生まれてきたのだろうか?」「西照寺の住職となるにしても、私の役割は
果たして何なのだろうか?」「この世界に、私は何を提供したいのだろう?あるいは、提供すべきなのだろ
う?」との疑問について、ようやく答えが見つかったのです。つまり俗にいう「西照寺のミッション」が
私の中で明確になったのですね。あれから、すでに1年数か月が経過をしました。
実は、この1年数か月の間で、私は「西照寺のミッション」を実現していく為に、どのような事を行ってい
けばいいのだろうか?という道程について考えてきたのです。色々と勉強をしながら。
そしてつい先日、ようやく、全体像の概要ができたような気がしています。つまり、大枠の設計図ができた
ような。ただし、頭の中で完成しただけの構想段階ですから、今は全くの妄想の世界ですね。(笑)
この設計図を頼りに、これからそれを現実世界に落とし込んでいく段階に入れそうな現状となってます。
たかが図面を描くだけでも、私的には10年の歳月がかかりました。だから、本当に苦労したのです。
しかし、真に苦労するのは、図面を現実世界に落とし込む行為だと思っています。
絶対思い通りにいかないもん。失敗の連続だし、全然結果がでなくて藻掻き苦しむのが目に見えますもん。
しかも、私の図面には、いくつもチャレンジしないといけない壁があるのです。
一つの壁を越えるのにも、生きている間にできるのかどうか?というはずなのに、何個もあるとすれば、
これは「西照寺のミッション」の全体像の実現するなんて、とうてい私が生きている間では無理かもしれま
せん。
ただし、「西照寺のミッション」は必ず日本を良くします。世界を良くします。今、これを意識できなけれ
ば人類は終わります。それほど私は大事なミッションだと思っています。
「お寺がやらなきゃ誰がやる!」と言いたいくらい、お寺が果たしていかなければならない責務。
そして、私個人も「そうだな!」と腹落ちしているミッションなのです。
あとは、それを現実世界の中で、通じるような、評価されるような取り組みにしていかなければならない
のです。ここがエライ大変。なぜなら、当然ながらお金が必要になってくるし、技術も必要になってきま
す。私の設計図を形にしてくれる技術者の方々にも対価をお支払いしないといけないし・・・
やっぱり、お寺といっても経済社会の中に存在しているのですから、経営という視点もとても大事になりま
すね。お寺の目的を実現していく為には、宗教者でありながらも、どうしても経営という視点をもってない
とダメになります。最近つくづく勉強をしながら思わされます。
さらに、西照寺のミッションに対して、さらには取り組みに対して共感してもらえるような弘め方、
つまり情報発信もしないといけないし、人を集めなければいけない。やる事だらけの、いばらの道。
コロナが終息したら!などと考えてましたが、コロナが長期化するかもしれない!となったら、もうそんな
悠長な事はいってられません。そこで、この機会に、実行に移していくことを決意を固めました。
これまでも、それなりに大変だったですが、これからはもっと大変になります。
あぁ( ;∀;) いつになったら楽になれるんだろう???
きっと、生きている間は、楽になんてなれないんだな。