おはようございます。住職です。
9月に入ってからというもの、連日雨が続き、肌寒い日も多く、秋になった!と思ってました。
ところが、秋のお彼岸になって、暑さが戻ってくるという、何とも不思議な陽気です。変なの。
さて、コロナ禍でのお寺の活動も、時代に合わせて適合していくべきだと考え始めました。
コロナ以前であれば、お寺に如何に人が来て下さるか?を考えました。密をつくることがお寺の活動
だったわけですね。ところが、コロナによって密を避けねばならなくなりました。
すると、そもそもこれまでのお寺の活動の基盤が崩れてしまう訳です。困った。
そこで、そもそも論として、お寺の基本的な役割を振り返ってみて、確認することが大事じゃないか!と
私は思い始めました。
さて、ここからが大変そうなのです。正直、ぶっちゃけトークも入ってくるから。
というのも、理想と現実という点を直視しないといけない場面だってでてくるからなのです。
内心を言えば、正直こんなことを綴らなくってもいいのです。いや、綴りたくないし。
しかし折角のブログですしね。私のぶっちゃけも、そのまま伝えられるし、これを見てくださっている
方にも見ごたえないとつまらないでしょうしね。 だから、ぶっちゃけに挑戦してみましょう。
そもそも論としてお寺って、歴史が古いけど、最初はどんな目的で設立されたの?という事から確認してみ
ましょう。
日本でお寺が誕生したのは、聖徳太子の時代ですね。法隆寺(斑鳩寺)、大阪の四天王寺、飛鳥寺などが、
その頃できたお寺で、今も残っているのですから、もう1000年以上古くからあるものです。
聖徳太子といえば、604年に制定されたといわれる、憲法17条が有名ですね。
だから、600年頃からお寺ってあるわけですね。
そう考えると、お寺って1500年近く、ずっと日本にあることになります。古!!!
当時のお寺は、決まった形がありました。境内に、4つの建物があることが基本形。
本堂(金堂)と塔(五重塔とか)と講堂と中門、それらが廊下で繋がっていたり。法隆寺がお手本ですね。
これらの建物を利用して、活動を行っていたようです。
主に活動内容を調べてみると、例えば、大阪の四天王寺には、四箇院という施設がありました。
①敬田院、②施薬院、③療病院、④悲田院、と言われています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA
①敬田院=教えを学ぶ院 ②施楽院=病人に薬を施す院 ③療病院=病気を治癒する病院 ④悲田院=
養老院ということです。つまり、そもそも病院も薬局も老人ホームもお寺にあった施設なのです。
聖徳太子の建てられた四天王寺には、仏教を伝える以外にも、人々の苦しみのケアをする施設として
成り立っていたのですね。
さて、なぜこれらの施設がお寺にあったのか?というと、簡単です。仏教の教えと関係があるからです。
仏教は、苦しみを超える為の教えです。ですから、人間の苦しみというものに視点をあてるのです。
四苦八苦(シクハック)という言葉を聞いたことありますか? 私の年代以上であれば、当然の言葉ですね
。「いろんなことに四苦八苦している」などと、言ったりします。つまり、いろんな事に苦しんでいる!と
いう意味ですね。四苦八苦は、人間の根本的な苦しみの代表例として仏教で説かれるものなのです。
仏教で説かれている四苦八苦の四苦とは、「生老病死」の事です。
「老いる苦しみ」、「病気になる苦しみ」、「死ななければならない苦しみ」、これらの苦しみはどうして
起こってしまうのか?と言えば、私として生まれてきてしまったからだ!ということで、「生まれてきた苦
しみ」ということです。
これらの苦しみを超えていく教えこそが、仏教であり、超えた境地が成仏なのです。
だから、私たちが問題として抱えている苦しみについて、応対しないといけないのですね。
そんな理由で、聖徳太子は四天王寺を造った時に、上記の四箇院の施設を設けました。
そもそも、日本では病院も老人ホームも、お寺にあった施設なのです。それも1000年以上前から。
今では、病院も法人ホームもお寺と結びついてないでしょう。それぞれ独立しているから。
人々のイメージも、お寺が病院や老人ホームを経営していたら、何か怪しい!と思うかもしれません。
でも、元来はお寺にあったものなのです。今では、それらはお寺の活動から剥ぎ取られてしまった
わけですね。
お寺に残った機能は、敬田院です。つまり、仏教の教えを学ぶ場所!という役割。
さてさて、長くなったので、今日はここまでにします。続きは明日以降です!