こんにちは 住職です。
何とも言えない、自然の掟の現場に遭遇してしまいました。
本堂裏を荷物の片付けなどの為、歩いていたら、小さな蛇(ヤマカカカシ)を発見しました。
まだ小さかったので、子どもだと思います。しかしよく見たら、様子が変。
まるでコブラのように、顔を持ちあげて進んでいたのです。
蛇が顔を持ちあげる時は、威嚇する時などですが、別に私を威嚇しているわけでもない。
私が、本堂横の建物から裏側に曲がって少しして蛇に気づいたのです。
私は蛇から3メートルくらい後ろにいて、しかも蛇と同じ進行方向にありました。
なので、蛇は私が見えなかったはず。それなのに、顔を持ちあげて進んでいたのです。
変だな!と思ったと同時に、何だか蛇の顔に枯れ葉がついているみたいに見えたので、近づいてみました。
すると、小さな子供の蛇は、カエルを加えていたのです。Σ(・□・;)
えぇ! そんな、可愛そうな。と思いました。私が近づくと、蛇は慌てて茂みの方向に急いで進んでいきま
した。同時に、「ゲゲ」みたいな小さな声が聞こえました。たぶん、カエルの声。
あまりに可哀想だから、助けたいと思うと同時に、蛇の事を考えると、蛇だって食べ物を食べないと生きて
いけません。カエルを助けるということは、蛇を犠牲にすることでもあるのです。
この場合、自然を写すカメラマンなどの話しとして、自然のままにしておくべき!との内容を聞いたことが
あるので、私もそれに従いました。
私が知識として知ったのは、あるカメラマンがホッキョクグマがやせ細り、今にも餓死する瞬間を撮影し、
その写真がニュースとして使われ、世界から何で助けないんだ!と非難されたことがあるようです。
しかし、現実をそのまま伝えるという姿勢が大事なんだ!と。
つまり、人間が破壊した自然環境によって、餓死するホッキョクグマがいるんだ!との現実を皆が知るべき
であって、餓死しそうなホッキョクグマを見たから餌を与える!などすれば、それこそ人間のエゴである!
だったら、そもそも自然を破壊しないでくれ!とホックキョクグマは思うはずなのである。
そのような意思で、自然の摂理をそのまま受け入れることも大事なんだ!と知ったことがあるのです。
カエルが可哀想!と思う私もいるのですが、蛇だって可哀想なのです。だからこそ、自然の摂理のままに
見たんだけど、そのまま受け止める!との行為も大事な時があるんだな。と思わされた事態でした。
それにしても、蛇って、獲物をその場でのみ込むものだと思っていたのですが、獲物を加えて運んで
場所を変えることもあるんだな。と思わされました。初めて知りました。