日記

中国と台湾と日本の歴史的背景

おはようございます。住職です。

最近、中国の軍事演習による尖閣問題などの報道が多くなってきました。

過日、アメリカのペロシ下院議長が台湾を訪れた事により、中国が反発して台湾の周りで軍事演習を行って

います。さらに、台湾から近い日本の島や沖縄、あるいは中国とは尖閣諸島の問題を抱えているとされ、

中国も今回の軍事演習と絡めてなのか、尖閣諸島近海の日本の領海を越えて船が侵入して来ているそうです

。私も詳しくわかっていませんが、知っている知識を総動員すると、

そもそも現在の中国共産党は、中華人民共和国を建国したのです。中華人民共和国の前は、中華民国があり

ました。中華民国の前は、清の時代でした。確か、第二次世界大戦の前の頃の事です。

清の時代に、日本は清と戦争しました。戦争の背景は、両国が当時の朝鮮支配(影響力行使)を目論んで

日清戦争が始まったようです。結果は日本の勝利となりました。

この時、清と日本は終戦に向けた条約を結びます。下関条約です。

この条約の内容の一部が、清は朝鮮の独立を認める。台湾などを日本に譲る。などがあったそうです。

以後、台湾は日本が一時的ですが統治することとなり、従って台湾のご高齢者は、今でも日本語をしゃべれ

る方おられます。また、台湾に親日家が多いのは、おそらくそのような歴史も関係しているのかもしれませ

ん。

おそらく、憶測ですが、当時の統治の仕方に台湾の人々も納得しているからこそ、親日でいられるのかも

しれません。

清に勝利し、下関条約を締結した日本でしたが、その条約の一部にロシアの利権が関係しており、

ロシアと日本に火種ができます。

その後、ロシアと戦争となります。戦争に勝利した日本は、アメリカの斡旋でロシアとポーツマス条約を調

印。その流れから、日本は満州での権益を得ることとなります。

一方、清は日清戦争で敗戦後、世界の列強から弱体化していると見なされ、色々な利権を奪われていきまし

た。そのような状況に、国民の一部が反発し、改革派の力が増していくのです。

そんな中で、孫文という革命家が現れ、清とは異なる中華民国を建国します。1912年の事のようです。

その1か月後、清の皇帝は退位しているので、1912年からは中華民国となっているようです。

世界では1914年から、欧州を中心に第一次世界大戦が始まり、欧州列強はそちらに専念。

日本はその隙をついて、中華民国で欧州列強国が権益を得ていた状況を変更させていきます。

要は、欧州列強は第一次世界大戦の最中だから、中国にまで手が回らない。だから、この隙をついて日本

が、中国での影響力を強めてしまおう!と手をつけたようです。

それらを通じた果てに、中華民国と日本は不平等とも思える条約を結ぶこととなり、中華民族から撤廃を要

求する民族運動が展開されてくることとなります。

その果てに、いわゆる中国国民の抗日救国運動が起こってくるわけです。

その流れの中で、中華民国の蒋介石や、さらにはマルクス主義を踏襲する中国共産党の毛沢東などがで

てくることとなるようです。

第二次世界大戦後、中華民国は思想的に異なる中国共産党と対立。内紛により、中国共産党によって

勢力を追いやられていきます。中華民国の蒋介石政府は、台湾に逃れることとなります。

そして1949年、中国共産党主席であった毛沢東によって、中華人民共和国が建国されることとなるようです

このような歴史的な流れがあって、中国と台湾、あるいは日本との関係は複雑なのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です