おはようございます。住職です。
研鑽を続けて、自己成長を遂げていくことが、私は好きでした。
もちろん、浄土真宗のみ教えでは、お浄土に往くのに自己成長もなにもありません。
それは当然なのですが、私が言いたいことは、人間としてこの世界で生きている上での話です。
この世界で生きている内は、やはり自己の能力を活用し、娑婆世界で生きていくことが必要です。
私は出来が悪く能力が低いので、他の人よりも人一倍努力しなければ何事も進まないのです。
出来が悪く、落ちこぼれの自分を自覚したのは幼少期からでした。
成績も学年最下位だったり、図工や絵を書いても下手くそ。芸術面のセンスもなく、体育は好きでしたが
かといって、部活に打ち込んで大会で優勝するようなこともありませんでした。
ということで、勉強には非常に苦労しましたし、勉強の出来によって評価基準がなされる環境でしたから
私は自分が落ちこぼれであると心底納得しているのです。
そんな自分に変化が訪れたのは、大学生の頃。この時、勉強に打ち込んで、必死に努力しました。
すると、努力すればある程度は出来るんだ!ということを知って、それ以来努力する大切さを知ったのです
私は能力がないし、何をやっても他人よりも遅れを取るタイプなのです。
しかし、自分で言うのもおかしなものですが、努力はできるのです。
諦めが悪く、努力し続けることが私の取り柄かも。
大学以降、これまで自分の関心事に対しての努力は続けてきました。
それが近年、というか、今年がそうなのかな。
今まで何とも思わなかった努力に対し、疲れを感じてきたのです。驚きです。
年齢は46歳になりました。年齢も関係あるのでしょうか?
まぁ、最近精神的に疲れていたこともあるのでしょうが、今は努力することに疲弊をしています。
というのも、私は来年から英語を習得する為、頑張ることとしたのです。
英語を習得!というのは、外国人と会話ができること、ある程度の文章が書けることを
目指すこととしたからです。
しかし、そんな決心と同時に、新しい事を始めるにあたって、努力することにちょっと面倒だな
と思う自分もでてきたのです。
他にもいろいろな事をやっているのに、ここに英語が加わるのか!と思うと、しんどくなってきて(笑)
でも、そうやって逃げ続けていれば、英語は習得できないし。もう若くもないし。
そんな事を感じている今日この頃でした(笑)