おはようございます。住職です。
今日は久々の曇天。今後数日は天気悪くなるみたいです。
今朝は早朝からwalkingをしてきました。私はいつもは携帯を持ってwalkingしています。
携帯から無線でワイヤレスイヤホンに音楽を飛ばして聞きながら、walkingしています。
また、今の携帯は万歩計の機能もついているので、それで距離や歩数などもわかります。
その為、携帯は必需品なわけです。
しかし、今朝は携帯を自宅に忘れたまま、walkingの現地に到着してから気づきました。
自宅に携帯を取りに帰るのも面倒だし、今日は携帯ないまま、音楽も聴かずにやってみました。
すると、暇なので考え事をしながらwalkingをしていました。
これはこれでありですね。携帯ない方が良いこともありますね。そんな事をしみじみ感じた瞬間でした。
現代人にとって、携帯はもはや必需品どころか、まさに常に携帯していなければ、安心できなくなって
しまいました。携帯依存症のようです。
だからこそ、携帯から離れてみる環境は、何となく解放感を感じる側面もあると思います。
ある種のデトックスのような感じ。こんなことを目的に、何かやってみることもありですね。
さてさて、今朝もご門徒Hさんが西照寺の境内をキレイにしてくださっています。
本当に落ち葉一つないほど、徹底的にキレイにお掃除くださいます。
もはやこれは、長年のご経験によって培われた技術といって良いと思えるほど。
以前のブログでも書いたことがあったか、忘れましたが、お経には人と環境は2つセットで考えられる
ケースもあります。人は、環境によって影響されることが言われているのです。
特に『浄土論』(正式名称は無量寿経優婆提舎願生偈:ムリョウジュキョウウパデーシャガンショウゲ)と
いうお経(経律論で言えば、論)にでてきます。
だから、浄土という清らかな環境が整うことで、そこに生れる菩薩も清まっていくという、考え方が見て取
れます。
それを踏まえると、やはり環境って大事なんだな。と思うのです。
たぶんなのですが、それを強く打ち出していくのが日蓮宗。
実は私、日蓮宗のお坊さんと一緒に勉強会をして、日蓮宗の教えも学ばせていただくことがあるのですが、
まさに、現実世界の環境をより良くしていこうとする側面が強く感じられます。
この場合の環境は、政治とか権力とか、ある種人間に影響力の強い力に対して関心が向く場合もあるそうで
す。おそらくですが、そっち側にかなりウエイトが強まって教えを理解していった勢力が創価学会なのだと
思われます。だから、公明党の支持母体になっているわけです。政治の力で、この世を浄土化していく方面
に目的が向いているのだと思われます。
おっと、掃除の話題から内容がずいぶん派生していってしまいました。
それにしても、西照寺の境内は、本当に見事にキレイになるのです。気持ちがいい。有難うございます。