日記

サッカー日本代表と仏教

こんにちは 副住です。
昨日は夕方に帰宅し、ブログを更新しようと思ったのですが、
サッカー日本代表の試合があり(Wカップ最終予選) つい見てしまいました。
完勝の試合にWカップ本戦出場へ安心感を抱きました。
しかし、こんなことを言っていたらいけません。
ザッケローニ監督を始め、選手から「副住!何をいってるんだ!!お前はサッカーをわかっていない!!!」と
怒られてしまうかもしれません(-_-;) 監督、申し訳ありませんでした。
だからこそ監督や選手からは「何が起こるかわからない」「本戦出場はそんなに甘くない」「気を抜けばやられる」
などの声が聞かれるのでしょう。(試合前に選手が上記↑のような発言をするのです)
・・・そんな発言を聞いていると、なんだか仏教の教えと重なる部分があるように思えてしまい
職業病を感じます。(-_-;)
サッカーなどは仏教とほど遠いものでしょうが、「何が起こるかわからない」とか「気を抜けばやられる」とか
そんな選手の話をきくと、諸行無常という言葉を思い出してしまいます。
諸行無常とは、「すべてのものは常なるものはない」との意味でしょうが、言い方を変えれば
「何が起こるかわからない」ということでしょう。だからこそ、どんな状況にも対応できる準備をしておかなければならないということでしょう。
「気を抜けばやられる」とは、準備や心構えができなければ 諸行無常の理に対応できずに 心がやられる(心に苦しみを感じること)とのことに重なります。
選手のほうが、私より仏教をわかっているんじゃないか!?とも思えてしまいます。
しかし、常日頃「何が起こるかわからない」と考えることなどできませんね。
常日頃から「どんな状況にも対応できる準備」などできません。
だからこそ私たちは身内の死や突然の災難に苦しむのです。
頭では諸行無常を理解できますが、心ではそう思ってないのかもしれません。
「わかっちゃいるけど やめられない♫」(どっかの歌です)
諸行無常の理に対応できない私がいるからこそ、阿弥陀仏の教えが必要なのだと親鸞聖人はおっしゃいます。
常に準備ができない私がいても大丈夫なんだ!と認めてくれるのが浄土真宗なのです。
もちろん、だからといって、だらけてしまってもいいのだ!ということではありません。
常に準備ができない私に「反省」しながら 「それでいいのだ!」という仏様の心と出会うことができるのです。