日記

「理研 笹井副センター長 死亡を確認」の背景にみる2つの注意点

こんにちは 副住です。
今日、理化学研究所の笹井副センター長がお亡くなりになられたとニュースで報じられていた。
驚いたし、残念だった。
再生医療の一分野の第一人者と言われた方だ。
再生医療者であるのだから、体の病から人々を救っていくことに信念をもって行動されてきた方だっただろう。
医療に貢献したいと思い、第一人者とまで言われるくらい努力されてきた方である。
もし自殺だとすれば、そのような人をも自殺に追い込んでしまうほどの環境があったということも言えるかも知れない。
そもそも人間は皆、共通して生きていたいと思う生き物だ。
自殺とは、本来は生きていたいはずなんだけど、だけど、生きるよりも死を選択せざるを得ないほど、生きることが苦しい状態になってしまった時に起こり得るものだと思う。
自殺した方は死にたかったのか?いやそうではない。そんなはずはない。
死にたくないのだけど、だけど死を選択せざるを得ないほど苦しんでいるんだ。
周りの人々は「なんでこうなった?」と言ったり思ったりする。
解るはずがない。そこまでのことを経験したことがないのだから。
自殺を推奨するわけではない。しかし、自殺をせねばならないほど苦しかったんだ。
そこを認めなければならない。
さて、今回も自殺の可能性が高いとみられる。
TVでは笹井氏の件について、理研の記者会見の一部が放映されていた。
そこでは、マスメディアの記者の方々があらゆる質問をしていた。(まるで傍観者のように)
その中で、特に印象的だったことは
「遺書」内容を公開すべきだとする記者達の意見であった。もちろん、理研との関連で綴られた内容についての公開ということである。
理研の記者会見の担当者であった方は、詳細を把握していない「遺書」についての言及は避けていたが、立て続けにおこる声に
最後は「公開できる部分は公開するようにしたいと思う」と意見が傾いていった。
私は、メディアの方々(一部の方だけなのかもしれないが)の質問を聞いていて、笹井氏の苦しみに共感することなど微塵も感じなかった。
言葉は悪いが、他人事である。
・・・「遺書」らしき物の内容を公開しないといけない!と思いますが・・・
・・・小保方さんは「遺書」をみてどう思ったと思われますか?・・・
・・・「遺書」らしき物は封筒に入っていたのですか?・・・
個人的には、このタイミングで質問内容が「そこ?」と思わされました。
ある時にはマスメディアはこぞって、「□年連続、自殺者3万人超え」などと報じ、その問題や対策などについて論じているのに、
いざ注目案件から派生した自殺については、本当に自殺だったのか?など確認する質問はなされない。
また自殺だったと仮定して、その問題背景や取材や報道の影響についてなどには視点があてられない。いや最初から興味がないのかもしれない。
なぜ、私がそんなことを言うのか?といえば、以下のことも付随している。
今日の記者会見では、笹井氏がSTAP論文の偽装問題について記者会見(4月の出来事)をする前に入院をしていた事実も明かされていた。
笹井氏はSTAP問題が発覚し、精神的なストレスで3月に1ヶ月ほど入院していたというのである。
そして退院後の4月の記者会見で、記者より「上司である笹井氏からの会見があまりに遅い」と指摘されていた。
(笹井氏は自身の入院などには触れず、他の理由で応答していたが・・・)
ネイチャーに掲載されるような論文が偽装だったとしたら、それだけでも専門学の世界で大きな責任を負う。
だからこそ、笹井氏による小保方氏の論文確認不足は、信頼失楽という自己責任に繋がる。
それはそれで、いいのではないか?そこだけでも本人の苦痛は大きなものだと思う。
マスメディアを使い、日本全国でいつまでもいつまでも避難するような風土をつくらなくても。
私は今回の件の背景には、1つにマスメディアの姿勢が大きく関与していると感じる。
マスメディアはどこに向かって取材をしているのか?方向性である。
実は今日私は、あるマスメディアの取材を受けてきた。
私が取り上げられるのではなく、ある種の見解のサポート役として参加してきた。
そこで、マスメディアの方に、情報操作をしないように求めたのである。
すると、先方は「売れる為」あるいは「社会が興味あることを報じたい」と答えてくれた。
確かに理解ができる。
しかし、情報操作の方向性が、「売上」「社会の高反応」を目的化していることが問題だと感じる。
「売れる為」あるいは「社会の高反応」というものは、「印象に残る」ことや「興味の掘り起こし」に重きがあって、大切な事柄などは
「社会の低反応」が予測される場合、報じられないのである。
例えば、自殺の問題に関して言えば、印象に残ることは「○年連続 3万人の自殺者」なのであって、
「社会の低反応」は、「一つ一つの自殺」なのかもしれない。だから自殺の一つ一つを取り上げない。もちろんキリもない。
だからこそ、笹井氏の自殺(かもしれない)について、何が問題だったのかとか、マスメディアの取材の仕方などについては取り上げられていない。
そのような姿勢をとっているマスメディアは、笹井氏を自殺に追い込んだ一要因になっていた可能性があるように思えてならない。
(報道の姿勢も、「社会の反応」を期待すれば、笹井氏叩きにもなるだろうし、笹井氏の気持ちなど取り上げても、社会は低反応なのかもしれない)
この姿勢が変わらなけらば、マスメディアはいつだって加害者であるという認識にはたてないだろう。だから問題だと思う。
また、2つめの背景として、マスメディアが作り出した風に乗っかってしまう我々のあり方も関係しているだろう。
私たちは多くの人が笹井氏の人間性など直接に知らないだろう。情報はマスコミを通じてである。
だからマスコミが作り出した幻想の笹井氏を、そのまま受け止め、批判できる部分のみ大きく取り上げ批判をしてしまうのかもしれない。
そう考えると、私たちも加害者であるとも言い得る。
学校では「いじめ」があって、被害生徒が自殺をしたら、「いじめ」をした加害者を追求し、何らかの対策を講じる。
しかし、今回のように加害者が広すぎると、また加害者だとも認識されないような場合、そこはうやむやになってしまう。
不思議なものだと思う。
これら笹井氏の自殺(かもしれない)背景に、二つの注意点をあげてみたが、皆さんはどのように考えるでしょうか?
最後に
小保方さん、人生は人それぞれ苦難がありますね。
でも、きちんとその苦難をわかってくれる、見ていてくれる方もおられます。決して一人じゃない。
仮に社会全部を敵にまわしても、わかってくれる方がおられます。それが阿弥陀仏という仏様です。
目にはみえないから確認できないけど、ずっと一緒にいてくれる仏様です。だから一人じゃない。

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