日記

カウンセリング 受容 火葬場の同行 

こんにちは 副住です。
昨日はブログ更新できずじまいでした。ですので今日は長く書いてみます。
昨日は朝8時半からのご葬儀を勤め、火葬当日にお墓に納骨をするという珍しいケースがありました。
西照寺の倶会一処墓に納骨をいたしました。
すべてが終わった時間が12時半くらいでした。
西照寺では、ご葬儀の後、火葬場に同行し、そのまま収骨までご一緒させていただきます。(どうしても予定が重なったりする際は、例外もありますが)
その間の時間は、結構大切でご遺族の様々な関係を教えてもらったり、その一族の雰囲気がわかります。
その雰囲気を頼りに、次のご法事での話が決まってきたり、そのご遺族に合わせた仏事の仕方を何気なく伝えさせていただきます。(だから大切)
希に人付き合いに慣れておられないかのようなご遺族もおられ、火葬中の時間同席していても私がポツンと一人になってしまうこともあります(笑)
(要は会話がない状態)
私の内心はすっごい気まずいのですが、でも居続けてみます(笑)
希にですが、そのことを数年後のご法事で感謝されることがあります。
「あの時、最後まで居てくださってありがとうございました」との言葉です。
私はその時(火葬中)のことを忘れかけていたり、あるいは嫌われてたのかな?と理解しているのですが、
その言葉を聞くと、「ああ、会話ができないくらい悲しかっただけなんだな。別に私のことを嫌いとかではなかったんだ」と思わされます。
こういう時にカウンセリングを感じます。
要は「受容」なのです。悲しい時や苦しい時、一人ぼっちにしない。その悲しみを苦しみをそのまま受け入れる。
悲しみや苦しみを人は嫌います。だから悲しみにふけっている人や苦しみの只中にある人のところに、敢えて近寄っていこうとしません。
皆離れていくのです。だから、一人ぼっちになってしまいます。
反面、嬉しい時や喜びの時に人は近寄ってきますね。私もこっちの方が気持ち的にはずいぶんいい。でも僧侶は反対の機会が多いです。
愛する人が亡くなった深い悲しみの中に行くのです。最悪です。でも私は僧侶がそこに行くことが一番大事なことなのかなと最近思います。
さて、話をカウンセリング 「受容」というところに戻します。
私はその時(火葬中)そのような(悲しみを受容しようという)気持ちで同行しているわけではないのです。
ただ、「会話もしてくれないし一人ぼっちやないか!めっちゃ気まずい」と思っているのです。
だけどその場に居続けます。(居続けるより仕方ないのです。他に行く場所もないから。タバコを吸うわけでもないし、トイレにいくわけでもない。だから座ってじっとしているのです)
内心は気まずいけど、外見はそこに座り続けている。ご遺族の隣で座り続けている。黙々と。
ご遺族は、その時に悲しみにふけっているのでしょう。私は見ていてわかりません。
ご遺族は真面目なお顔をしているだけで、涙を流しているわけでもありません。外見からご遺族の内心まではわかりません。
だから私は「僕、嫌われているのかな?」と思ってしまうのです。
一方で、当然ご遺族も私の内心までわかりません。まさか隣に座っている僧侶が「めっちゃ気まずいんやけど」と思っているとは思わないでしょう。
外見からは、ただ隣に居ていると見えるでしょう。
結果的に数年後に「ありがとうございます」という言葉がでてくるのです。
私が隣にただただ座っていた事が、ご遺族にとっては「受容」となっていただけでしょう。
結局「受容」とは、ただただそこにいてもいいのだよ!と認めること。
「ご遺族は悲しみの中にいるから 近寄らないでおこう」と思い離れてしまう。これは「受容」ではないのでしょう。
これはきっと「拒否」になってしまうのかな。そう考えるとご遺族の悲しみを「認めていない」ことに繋がってしまう。
(最悪なのは、ご遺族はそのことを感じている。覚えているということです)
悲しみの中にいるご遺族を認めるという行為は、ただただ隣に座っているということになるのでしょう。
悲しみにふけっているご遺族を「拒否しない」=ただ隣に座っている=「受容」というところでしょうか。
ご遺族は数年後に「ありがとうございます」と言うのですから、あの時のことが心に残っているのでしょう。
こうなると、信頼関係が急速にできあがります。僧侶の言うことを聞きます。(もちろん、なんでも聞くわけではありませんよ)
毎日「仏壇を参りんしゃい」と言うのです。
*あと、大事なことですので付け加えてみようと思いますが、悲しみにふけっているご遺族に励ましの言葉をかけつづけたり
悲しみにふける行為を避けさせることもダメです。これもかなしみにふけるご遺族の「拒否」につながるからです。
だから、そのような時は決して何もしてはいけない。こちらの余計なはからいは必要ありません。
必要な場合は、当事者から行動に移してきます。話しかけてくるとか、泣いてくるとか。
ですからご遺族に近寄っていき「励ましの声をかけ続ける」のは、場合によっては「そのままを受け入れない」ことと繋がるのでご注意ください。
詰まるところ、火葬中に同席をして、悪いことなど何もありません。いい事づくめです。
僧侶の皆さんは是非、火葬中の同席をお勧めまします。
さてさて、話は昨日のことです。12時半をすぎその後、病院に行っていた住職の検査結果を待っていました。
(住職が検査でひっかかってしまったので、今月始めに組織をとって病理検査にだしていました。その結果報告が昨日)
なかなか電話がかかってこず、ヤキモキしながら過ごしていると、母から一報が。
「要注意段階」との結果。
とりあえず、問題はなさそうなので、経過観察とのことのようです。
白か黒かの2判断だと思っていたので、グレーと聞くと 何だかスッキリしないような
不思議な気持ちになりました。でもとりあえず、緊急の問題はなさそうだったので 今になってホッとしてます。
しかし、連日の忙しなさに、父親の心配。正直疲れますね。
しかし、こういう時こそ、長男の腕のみせどころ。一家を背負って、西照寺を背負ってやってやります!!心配ご無用!!!
皆副住についてこい!!!(後ろを振り返ったら誰もついてきていないというパターンでしょうが)

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