日記

日本文化を取り戻そう

こんにちは 副住です。
今日は外勤がなかったので、自坊で雑務をこなしました。
雑務の内容は、築地での仕事内容です。
企画書を作成し、調べものもやりました。
何とか完成しました。
さらに、鎌倉への手紙も綴り、郵送。
ご存知の通り、鎌倉には月に1度出向いたり、
先方と手紙でやり取りをしながら、「美」や「日本文化」の勉強
を進めているのです
しかーし、ここに来て、「礼」の学びを深めなくてはならないと
自覚してきました。ここで言う「礼」とは、マナーというか、物
の扱い方などの意味と理解してください。
今の私にとっては、ここが大変重要なのです。
知れば知る程、利休さんは本当に偉大な方でした。
だって、壊れやすい「楽」の茶碗を取り入れ、大切にしなく
てはならない!とのことを伝える為、茶道の作法(礼)を
つくったのです。つまり茶道を大成したわけです。
壊れやすい物だからこそ、慈しみ、丁寧に扱う。
丁寧に扱うために、繊細な作法で、それを表現したわけです。
考えてみれば、日本人は細かいです。丁寧です。
それらは、壊れやすい物を、日常生活の中で用いていた
からでしょう。日本人の精神を、利休さんは茶道の作法の中に
取り入れたわけなのです。だから茶道の作法の中には、日本人
の心が詰まっているのです。物を大切に扱う心。それは貧しかっ
た当時の日本の中で、壊れやすい物(材料が土や植物、自然の
材料だったので、壊れやすい)に慈しむ心をもって触れる!
丁寧に扱う!心を込めて、大切にしていく!
そんな行為を作法という型に含め、利休さんは茶道を大成
されたのです。
まさに日本を日本的に作り込んだ文化人だと思います。
茶道は凄いのですね。深い。
これまで私は茶道などに全く興味がなかったのですが、茶道は
勉強しないといけませんね。
日本の僧侶にとって、まさに学ぶべきことだと思わされます。
少し興味がでてきてしまいました。
まさに、日本文化!!! お寺だって日本文化そのものだと
私は思うので、僧侶も勉強した方が良いと綴ったのです。
日本文化は奥が深いけれど、戦後教育を受けた私にとって、
あるいは、戦後、環境が欧米化した今となっては、本来の日本文
化の事を私たちは知りません。悲しきかな大事なことが、
世代を通じて受け継がれなかったのです。
日本文化・伝統ということを考えると、戦前と戦後に、
悲しきかな大きな断絶があります。
敗戦国となったことで、日本文化や伝統は、家の中で世代を通じ
て伝わらなくなってしまいました。
生活環境もずいぶん変化し、これまで普通に家にあったお祝い事
などで用いる漆器なども、今は置いてある家が珍しいでしょう。
こうなると、漆器の扱い方を私たちは知りません。
使い古した木綿の手ぬぐいで軽く拭く!ということを知らないの
です。昔は、漆器は家で大事に保管されており、その扱い方を祖
母などが、下の世代に手ほどきしていたはずなのです。
それが、核家族化したことで、伝わらなくなりました。
風呂敷だって使わなくなりました。
風呂敷はどのように用いるのか?結び方はどのような結び方なの
か?どんな時に、風呂敷を用いるのか?
畳の部屋(和室)は、どのように歩くことが常識なのか?
襖の正しい開け方は?
これまでは、家文化として、一族が一家屋根の下で生活をする
ことで、日常生活の中で、祖父や祖母から何気なく教えてもらっ
たり、後ろ姿をみていたことで、何となく伝わっていたものが、
今は核家族化が進んだこと、生活環境が欧米化したことで、
日本的な物の利用が減ってきてしまいました。
今では、日常的に風呂敷を使うことはないでしょう。
漆器だって、家にないかもしれません。
畳の部屋(和室)は、むしろ少ないです。
手ぬぐいは使いません。
襖もみかけなくなりました。
もう、日本文化は現在の日本では確認するできなく
なりつつあります。
日常生活の中に、日本文化が無くなれば、当然使用方法も
知りません。風呂敷の正式な使い方とか、漆器の扱い方、
襖の開け方など、もう私達日本人が知らないのです。
それは、生活そのものがずいぶん欧米化したことで、日本から
日本的な物が消えてしまったからに他なりません。
その証拠に、伝統工芸品などは、私達日本人の日常生活の
中で使わないでしょう?
むしろ、伝統工芸品って、当地に行ったお土産程度の位置づけか
もしれません。買う人が少なければ、作る職人さんも減ってきま
す。職人さんが減れば、おそらく技術も劣化することでしょう。
当然、伝統工芸品の正しい扱い方など、私達は知らないし、教え
てくれる人もいない。だから、余計に扱いづらく、気持ちが離れ
ていく。まさに悪循環ですね。
普段の生活から、私は日本的な物を取り入れる必要性を感じてい
ます。なぜかって?
そうすることで、本物の日本人となっていけるから。きっとその
果てに、ダイバーシティ(多様性)の世界においても、しっかり
と通じる文化人となれるはずだから。
そう考えると、小さな子供にも、教えていかないといけないこと
でしょう。大事なことです。