日記

継職法要

おはようございます。住職です。

昨日、私の大学時代の友人(親友といっても良いかもしれません)から、お寺の住職を継職する

住職継職法要のご案内状が届きました。おめでとう! ありがとう!

それにしても、昨年会った際、「継職することになったんだけど、法要は近くの方だけでやるように

しようと思ってて、〇〇君(私のこと)は呼ばないよ!」と話していたのに!(因みに、大阪のお寺です)

もちろん、私も「そんないいよ! 私も今は忙しくなってしまったから、ちょどいい」と言ってたのに!

なんで!? 

嬉しいけど、何でだ!?

お寺って、たぶん宗派を異にしても同じだと思うのですが、住職を継職する時とか、法要をする場合がある

のです。特に大きなお寺や影響力のあるお寺は、本人がそれをやりたくなかったとしても、それをやらなけ

ればならない周りからの雰囲気があります。ここら辺が、旧態依然とする感じですね。

旧態依然は悪いことではありません。ただ、稀に時代の感覚があわない場合もあるという意味です。

お寺って、やはり共同体の側面が強い、というか、公益活動をする場所ですから、周りの声を大事に

しないといけない部分もあるのです。

継職法要をするには、お金もかかります。それなので、経費削減と思って小規模でやりたかったり、

そもそも、継職法要をやらない!って選択欄も、時代的には有りだと私は思っているのです。

しかし、それが私の個別の考えであり、周りはやった方が良いとなると、はやり法要をやることになるので

す。

恐らく、大阪の友人は最初は私を呼ばないかも・・・と話していたのに、案内状をくださった所だけみると

そんな事情が垣間見えたりします。もちろん、私の勝手な推論ですが(笑)

私はまだ継職してませんが、西照寺の規模であれば、継職法要は不要か、あるいは小規模でいいと思ってい

ます。