おはようございます。住職です。
新型コロナウイルスの感染者が激減し、西照寺でのご法事での参詣者数が増えてきました。
久しぶりに、コロナ前の感じか、むしろそれ以上にお参りで親族が集まってくださいます。
昨日は、京都からご親族がお参りに来られたご法事もありました。
正直、コロナによって密を作らない!との共通認識が広がった為、「儀式の場」(特にお葬式)は大きな影
響を受けました。
【儀礼についての意味は、以前異なる場所で綴ったので、そちらをリンクしておきますので、連載をご覧く
ださい。https://shin-higashimatsuyama-saijyo.com/archives/460 】
儀式の場(特に葬儀)で、関係が深い多くの関係者が集まれなかったことは、大きな問題でした。
感染症の問題があった為、仕方がなかったこととは言え、やはり心に大きな問題を引き起こすことは当然だ
ったと思えます。
そのような意味でも、現在、ご法事に参列いただけるようになり、少なからず何らかのケジメの場となった
のではないだろうか?と思いたいですね。

儀礼の難しい側面は、その時でなければならないという、現時点性なのです。時間が経過してからでは遅い
のです。やり直しもきかないので、ある意味大変なものでもあるのです。