こんにちは 住職です。
このブログでも以前綴ったように、私は大学院の修士課程の1年生の頃、ある宗教経験をしたことが
人生の拠り所となって、今もお坊さんをしている根本土台となっているのです。
そこで、どんな宗教経験あるいは、宗教的体験であったのか?と気になる方もおられると思うのです。
これは、言葉化することが非常に難しいのです。理由は私が頭が悪いからです(笑)
そこで、ありきたりな言葉で、縁起の世界を心で体感したような体験!(縁起そのものにはなれない我が
あったことを体感しているので、悟りの境地には至っていない)などと専門用語を使って話しています。
より、具体的に言えば、肉眼で見えている世界は、普段と変わらないのですが、心で感じる感じ方が
通常とは全く異なるのです。つまり、私の心以外のすべてが繋がっていて、それぞれの区別が成立しなくな
る世界。そこには、私の肉体さえ埋没していきます。しかし、私の心にある「我」だけが、繋がりの中に
埋没しきれないで、孤立するかのような感覚。だからこそ、真実の中に埋没できない「自我」に対して、
猛烈な愚かさを感じる事となります。と同時に、そんな「自我」をも、そのまま包み込んでくれている現況
の繋がりもあって、その事を感じ入ると、猛烈な有難い気持ちで満たされるのです。
自我としては孤立していますが、そんな孤立した自我をもいつも包み込んでくれている仏様がいてくれる!
という体験をしたので、そこが土台となって、私の人生の根ができたのです。
以前は、こんな話をしてもわかってもらえないだろうから!と、ほぼ誰にも詳細を話したことはありませ
んでした。しかし、数年前から、話すことをし始めたのです。その理由は別の機会があれば、そこで綴ろう
と思いますが、ここでは、上記の私の経験を別の角度で、脳科学の観点から語っている学者さんの動画を
教えてもらったので、リンクしてみます。
ジル・ボルト・テイラーさん 脳科学者でありながら、自身が脳卒中を起こした方です。
私の経験とは違いますが、本質的には同じようなことを語っています。興味深いのは、脳科学の観点から
自身の経験をもとに、説明されている点です。博士は、脳卒中で左脳に血があふれだしてしまい、ある
体験をしています。
私がここで言いたいのは、動画の8分14秒で博士が「自分の体の境界がわからなくなっている」という体
験。博士の言う意味は、目で見て境界がわからなくなったのか、そこまでは確認できなかったのですが、
少なからず、私は心でその経験を受け止めることとなりました。もし、博士が目で見て境界がわからなくな
ったというのであれば、私の体験とは違います。
また注目したいのは、博士は脳科学者として、脳の仕組みを説明しています。
動画の3分50秒あたりから、右脳の役割について語っています。
そして、4分40秒ほどで、「右脳を通してみた私達という存在は、一つの家族として互いにつながってい
るエネルギー的存在」と言っています。これを私は心で体験しました。
さらに、動画の5分目あたりから、左脳の役割についても言及しています。
6分5秒あたりからが非常に重要で、左脳には「私」を認識する能力があることを語っているのです。
特に6分20秒くらいからは超重要です。
これらの博士の話しは、現代の科学の知見に基づきながらの説明であり、実際博士は病気となって、左脳に
問題を起こした実体験として語られています。
しかし、私の体験は、本質は同じですが、私は脳に問題を起こしたわけでもなく、普通の状態で、心で体感
をしていることなのです。しかも、博士の説明では、右脳のはたらき境地の中に、左脳の「我」が持続して
いる状態でした。目覚めた直後だったので、もしかしたら、脳の体験なのかもしれないとも言えなくもあり
ませんが、博士の言う、右脳の世界に寄って行くことで、私達は平和を実現していくことができるのだと
私も自身の体験から思うのです。もちろん、左脳もあるので、自我の問題や個別化の問題もでてきます。
現代は、あまりに左脳側の世界に皆が価値観を置きすぎてしまっているように感じます。
それを右脳側の世界に動かす生き方論や価値観を展開していきたいと、私は考えているのです。
今後、そのような私の想いなども、ブログで綴れればと思っています。
最後に、私が以前、自分の宗教経験を、以前TVの「ぶっちゃけ寺」で有名になった井上広法さんに話した
ことがあるのです。広法さんとは、彼が有名になる前から、未来の住職塾で同級生だったのです。
彼にこの話をした時に、博士の動画を教えてくれたのです。
博士の動画を見て、非常に驚きました。そう、似ている!と思ったからです。
今まで、なかなか話さなかったことですが、話したら、新しい情報を教えてくださる方もでてくるのです。
それは良かったな!と思う点です。皆様も、何かご存じでしたら、ぜひ教えてください。