日記

健康あっての仕事です。無理はしない

おはようございます。住職です。

「2022 秋 西照寺文化財鑑賞会」が無事に終わり、精神的にホッとしていながらも、まだ仕事は続きます

9日に、私の予定が空いているので、その日だけお休みになるはずなのです。何もなければ。

しかし、10日からまた連日予定が入っており、その後も休めないようす。

正直に言えば、9日だけでなく、数日間お休みが欲しいです。

今回は珍しく、本当に数日間休みたいと思うほど疲弊しているのです。自分でも珍しい感じ。

特にこれまで以上に何かあったというわけでもないのですが、疲れているのでしょうね。

たぶん、メンタルだと思います。メンタルが疲弊ぎみなのかな。

普段は、身体的に疲れていても、メンタルが元気なので、乗り越えられてきましたし、

休みが欲しいと思っても、メンタルでカバーしてこられたのです。それが今回は、身心疲弊っぽい。

でも、特に何かあったわけでもないのですよ。

敢えて言うなら、知っている人が亡くなっていく。

例えば、芸能人でもアントニオ猪木さんや仲本工事さん、私は知り合いではありませんが、知っている人。

それに、西照寺のご門徒さんの中でも、あの人が!と思う方が続けてお亡くなりになったり。

私は46歳ですが、西照寺に戻ってきたのが、30歳。

ですから、16年が経つのですが、ご門徒さんと関係も深まります。だからこそ、知っているご門徒さんが

亡くなって、ご葬儀を勤める機会も増えてきます。そうなると、知っているご門徒さんが続いて亡くなって

いくわけです。人が亡くなるのは、当然ながらわかっちゃいるけど、やっぱり知っている人が亡くなってい

くと、人間ですから、精神的にショックを受けているのでしょうね。職業柄?というのか、葬儀を勤める

役割が多いですから、そうでない人よりも、人の死に立ち会うことには慣れているはずなんだけど、

やっぱり知っている人と、あまり知らない人の場合とでは、違うのです。感情が。

ちょっと、ここ最近、知っている人(TVも含めて)が続いて亡くなった事も関係しているのだと思いますし

、文化財鑑賞会も精神力を使うイベントでもあって、それらで疲弊した可能性が高いのだろうと

自分では思っています。このような時は、数日休みたくなるのですね。

精神的に疲弊したときは、やっぱり休息をとらないと、これは大変なことになるでしょう。

おそらく、精神的にアップアップになって、それを過ぎれば、心の病にも当然なるでしょう。

そこまで追い込まない事が大切です。日本人は頑張りすぎなのでしょうね。

私は、健康があっての役割だと思っていますので、このまま自分が苦しくなったら、すぐに休んでしまおう

!と思っています。もう、その時は強制的にお休みします。これは大事な事だと思います。

自分の健康を犠牲にしてまで、役割を全うする!との姿勢は、ある部分では大切ですが、ケースバイケース

です。やっぱり、健康があっての役割だから。