おはようございます。住職です。
最近、心身ともに疲労困憊ぎみです。色々な事があり、精神的にも疲れますね。
お坊さんであっても、生きている限り、煩悩は消えないわけで、周りからの影響は受け続けますね。
しかし、おそらくお坊さんだからこそ!という点では、精神的に疲れはしますが、心の奥底で、大丈夫!
との安心感があるのです。私は自分の生き方しかわからないので、他の方と比べることができませんが、
おそらく、他の方であれば、心の奥底の安心感はないのではなかろうか?と想像します。
私の心の奥底にある「大丈夫!」との安心感は、それこそ宗教的なものからきています。
私は、学生時代に宗教経験があり、それが安心感の源となっているのです。
だからこそ、上記のように、他の方であれば・・・と想像するのです。
人生には、生きているわけですから、嫌なことも苦しいこともあるはずです。
そんな時こそ、自分を見失いがちになりますね。心を病むこともあるでしょう。
生きるって大変です。
私が仏教を学んで良かった!と思う一つに、物事の見方は立場によって変わる!と教えてもらったこと。
つまり、見方は立場を変えてみることで、変えられる!のです。
例えば、最近選挙があったのでその話題をしますが、定員1名の選挙区で2人の候補者がでたとして、
一方は当選、一方は落選となるとします。当選者は嬉しいでしょうし、落選者は悲しいことでしょう。
落選者の立場に捉われ、悲しみを受け止め続けると、ドンドン気が滅入ってしまい、苦しみの中から抜け出
せません。普通であれば、このような傾向が一般的かもしれないと私は想像します。
しかし、仏教が教えてくれたことは、落選があるから当選もあるのだ! 物事は支えあいでできている。
と、そんな考え方を教えてくれます。
そうなると、落選者の立場が、当選者を支えている構造が浮かび上がってくるのです。いわゆる、落選者と
当選者がいたからこそ、選挙が成り立ったわけです。皆さんに選挙を意識させることができたわけです。
落選者は、その大きな一部となれたわけです。
落選した悲しみを受け止めながらも、心の片隅で、選挙区の住民が政治を考える切っ掛けとなれたのだ!と
いう新たな立場も見えてきます。
大事なのはここで、落選した悲しみの立場に捉われ続けないで、新たな立場によって逃げ場ができることな
のです。立場を変えて物事を捉える力ができると、それが逃げ場になります。
悲しいことには変わりありませんが、悲しみだけに捉われて、逃げ場がなくなる局面から脱することができ
てくる! これが大きいと私は思います。
私達は、深刻になればなるほど、自分の立場だけに固執してしまう癖があるようで、それがガッチリハマる
ような境遇に陥ると、なかなか抜け出せない傾向があるようです。余裕がなくなってしまうからでしょうね
だからこそ、ここぞ!という時に力を発揮してくれる宗教は、私は人生には必須だろうと思っています。
人間の生き方を整えていくには必須なものだと思うのです。