日本文化の特徴④

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

明治期以降、日本人は時代の要請で欧米文化を受け入れたと言っても、身体は小さいし、弱いし、自己主張

には慣れてないし、争いは嫌いだし・・・一人では生きていくには、不甲斐ない民族なのかもしれません。

その証拠に、格闘技でも、日本人はだいたい弱いし、そもそも小さいからヘビー級にはなれない民族です。

サッカーでも同じ。西欧のような個で競り勝つサッカーだと、負けてしまうのです。

「日本のサッカー(Jリーグ)は、西欧のサッカーと質が違う」「西欧のサッカーが、サッカーだとした

ら、日本のJリーグはサッカーではない!」みたいな事をシャルケ(ブンデスリーガ(ドイツのチーム))

に在籍していた内田選手が発言していたとメディアで報じられていましたが、おそらくそれでいいのです。

西欧のサッカーを真似しても、勝つことができないのです。だって、そもそもの文化が違うから。

西欧の人々が、個を重んじて、競い勝つことが求められるのは、長い歴史があって、その歴史に適応してき

た身体的特徴や考え方、文化があるからです。

それを歴史的にも質の違う日本人が真似しようとしても、そもそも歴史的な土台が違うのですから、真似は

できても勝つことなどできません。

根本的に優位性がありません。

だからこそ、今後の日本人は、欧米の土俵で勝負しても勝てないのですから、自国の特徴を活かした分野で

勝負を仕掛けていかなければダメだと、私は思います。

日本には、欧米には無い素晴らしい歴史や文化があるのです。

それこそが今後の日本人の強みになるのです。

しかし、今後猛烈に大事になりそうな、日本人の文化や特徴が、明治以降の日本では問われないまま現代ま

できているのです。 

高度経済成長期では世界をリードしてきた日本ですし、世界から羨望の目で見られた成功時期もあったでし

ょうが、それは続きませんでした。

一瞬の成功で終わってしまったのです。

なぜ、あのまま世界をリードし続けることができなかったのか?勝ち続けられなかったのでしょうか?

(勝とか負けるなどの意識は、仏教的ではありませんが、敢えてわかりやすいように使っています)

今の日本は、過去の栄光に縋りついているままの状態にも感じられます。

日本は凄いんだ!と思いたいのかもしれません。

しかし、もう少し現実を見た方が良い。

世界の潮流についていけなくなっています。

だからこそ、今一度世界の潮流に食い込んでいく為に、日本の文化の特徴を再確認し、それを良い意味で現

代版として形を変えていいので、ある意味進化させていかないといけないと思うのです。

昔の文化を単に復活させても意味がありません。今の時代に合わせた形で取り戻していくわけです。

西欧文化を受け入れてしまっているのですから、そこにアレンジする形で、日本文化の特徴を当てはめてあ

げるのです。

西欧文化と日本文化の融和ですね。

ここに、今後の日本人の強み、そして世界の人々に日本人がアピールしていける武器が整うのです。

これが果たせなければ、日本はドンドンと弱っていくだけでしょう。

ここの部分を西照寺では見直していきたいと思っています。

*今日は、東日本大震災から10年の節目の日。多くの被災者の事を考えると、今も悲しい気持ちになりま

す。あの日と、一連の出来事なるべく風化させないよう、思い返す一日にしようと思っています。

日本 日本文化の特徴③

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

今の日本人は、おそらく明治期以来、欧米文化を受け入れてきたことで、個別主義が当然となっています。

しかし、その歴史を振り返ってみれば、明治期以降の事だと推測すれば、長くて150年くらいのものです。

それまでの集団主義から個別主義へと一気に変わっていったのだったら、その価値観を急に受け入れていく

過程で、間違った個別主義(行き過ぎた個別主義)を私たちは作り出してしまった可能性もあると思ってい

ます。

今回のコロナでも、感染症であるにも関わらず、感染した人が悪い!自己責任だ!などと言われているよう

な状況をみると、私はそう感じています。

そもそも歴史的にみても、欧米各国は国が地続きで、大陸には多民族がいるわけです。

紛争は常に警戒しなければならないし、敵が多いわけだから、戦わないといけません。

農耕民族よりも、狩猟民族として勝ち残ってきた民族が多いでしょうから、身体も大きいし、強いし、自己

主張だって激しいのかもしれません。

そのような背景を持って歴史が紡がれてきた欧米文化とは、一人でも競争に勝っていく道を歩んできた文化

ともいえるでしょう。

一方、日本は島国です。同じ民族だから、地続きの大陸ほど紛争はなかったのでしょう。

さらに、農耕民族だったこともあり、身体は小さい。お互い助け合って生きていく道を選んだ民族です。

自己主張よりも協調性を大切にしてきた民族であるともいえるでしょう。

競い勝ち残っていくのではなく、互いに助け合った協力して生き残っていく道を歩んだ民族なのかもしれま

せん。

日本文化の特徴③

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

昨日のブログとは別な視点で、不勉強な私が思うことですが、不思議に思うこともあります。

それは日本語と英語の一人称・二人称を表す言い方です。

一人称とは、「自分」のことを呼ぶ言い方です。

例えば、日本語であれば「私」「自分」「ぼく」などです。英語であれば、「I」でしょう。

二人称は、日本語であれば「あなた」です。英語だと「YOU」です。

ただ、ここで不思議なことがあります。

日本語の一人称は、時に二人称ともなり得る!ということです。

例えば、相手に対して「自分、お腹空いてる?」と聞く場合、時としてありますよね。

日本人であれば、まあ通じなくもないですね。

しかし本来は、「あなたお腹すいてますか?」でしょう。

また、一人称で「我」ですが、乱暴な言い方として、相手のことを「われ、なにしとんじゃい!」なんて言

うこともあります。

「ぼく」についても同じです。

一人称の「ぼく」ですが、それを「ぼく、お腹空いてる?」などと小さい男の子に言う場合があります。

何が言いたいかと言えば、本来一人称を意味する呼び名を、相手方、つまり二人称として用いてしまう事が

あるのです。

また、それで意味も通じてしまうのです。でも、英語ではそんなことはあり得ないでしょう。

「I」は一人称のみです。二人称は「YOU」。別なのです。

これらを考えて見ると、もしかしたら日本人は、相手の立場に自分を置き換えてしまうことが、文化の中に

あったのではないか!?と、つい思ってしまうのです。

なぜなら、英語ではあり得ない表現だからです。

考えすぎかもしれませんが、欧米文化では、個別主義ですから自分と相手は別人格。

当然ですね。しかし、集団主義をとってきた日本は、もしかしたら自分と相手との境界線が、欧米文化より

も低い可能性があるのではないだろうか!?とさえ思うのです。

その証拠が、相手の立場に自分を置き換えてしまう!という表現方法。

一人称を二人称にしてしまう!という表現方法。ここに感じてしまうのです。

また、その表現方法に私たち日本人は、違和感を覚えない、自然と受け入れてしまえる素地が、今の私達に

も残っている可能性さえあると思えてきます。

相手の事を自分に置き換えて考えることができる。

これも、もしかしたら日本人としての特徴かもしれません。

さらに言えば、欧米人には真似できない特徴なのかもしれません。

日本文化の特徴②

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

昨日ブログに綴った集団主義の名残りは、個別主義となった現代日本の中でも確認できるような気がします。

例えば、会社の社員が犯罪を犯したとします。特に問題が大きくなれば、社長の責任が問われてきます。

この感覚が顕著に表れるのが、今の政治です。

大臣がミスや不正、罪を犯せば、任命責任として内閣総理大臣が責任を追及されます。

これは地方自治体でも同じようなものでしょう。

理屈上は、任命責任という言葉で総理大臣の自己責任を問う形かもしれませんが、おそらく感覚的なものと

しては、旧来型の日本の文化、つまり、長が責任を取る!との感覚を引きずっているのかもしれないと思わ

せます。

一方の、それを見ている私たちの感覚も、それが当たり前のように、当然だと思うようになっていますね。

しかし、伝統的に個別主義であるアメリカはどうなのでしょう?大統領が任命した人がミスや不正、罪を犯

したら、大統領は任命責任を問われて辞職をすることもあるのでしょうか?国民から、任命責任を問われる

のでしょうか?

アメリカの事はあまり知らないので、断言できませんが、あまりそんな話を聞いたことがないですね。

個人が犯した不正であれば、個人が責任を取り辞任して終わりだろう!みたいな感覚だと思います。

日本文化の特徴①

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

そもそも長らく日本社会に根付いてきた武家社会は、個別主義だったと思いますか? 

おそらく今の私たちと同じような個別主義ではなかったでしょう。

個別主義(言い換えて個別社会)ではなく、家主義(家社会)でした。

もう少し拡大解釈すれば、一族主義(一族社会)だったはずです。

日本ではそんな武家社会が700年ほど続いてきたのです。

歴史の授業で、「武家社会の時代は自己責任が普通でした」のような話しを聞いたことがあるでしょうか? 

実際は知りませんが、歴史の授業で習ったところでは、家族の誰かが犯した過ちは、家長が責任を取る!よ

うな感覚を習いました。

家来の犯した罪は、主である殿様の責任!と教えてもらったような記憶があります。

おそらく、武家社会の日本は個別主義ではなく、連帯性をもった一族主義、あるいは集団主義みたいな感じ

だったと思われます。

だからこそ、一族の長や集団の主であったお殿様は強い責任感をもっていたでしょうし、常に「命がけ」の

精神であったと思います。武家社会の日本人は、おそらく個別主義ではなく、集団主義だったはずです。

集団の中に自分が居る。だからこそ、常に仲間と一体!という一体感みたいな感覚が当時の常識的な感覚だ

ったのだろうと思っています。

常に誰かと一緒だからこそ、以心伝心のような心の共有的表現まであるのだと思います。

しかし、欧米文化では、以心伝心なんて言葉はないのではないでしょうか?そもそも文化の土台が違うから

だと思うのです。

日本 今後に必要なもの③

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

残念ながら、日本の現況は、きっと明治期以前の日本文化の特徴(核心)を踏襲していません。

むしろ、明治期に一気に日本社会を近代化させる為、それまでの日本文化を形成してきた核心を問う事な

く、近代化に伴って付属されてきた欧米文化を必然的に受容してしまうこととなったのだろうと思っていま

す。

その歪が今後の日本をさらに悪い方向へと進めてしまう可能性さえあると危惧しています。

因みに、私が思う欧米の文化の特徴というのは、キリスト教に通じるように、個別主義が土台となっている

文化です。個という文化です。

キリスト教は神と私の契約が大事になります。神と私は個として、それぞれが契約をするのです。

神も個人もお互い別個なのです。

だからこそ、欧米の文化の基本は、自分は自分、他人は他人と考えていきます。お互い別人格なのです。

現在の日本人もこちらの感覚ですね。だからこそ、自己責任論がでてきます。

私が悪いことをしたならば、私が責任をとるのだ!という考え方です。

明治期に、日本は近代化と同時にこの価値観が入ってきたのだろうと思われます。

さらに第二次世界大戦後で敗戦した日本は、アメリカの影響を猛烈に受け、さらに著しく社会は欧米思想

(文化)に染まっていきました。

今の日本人の土台には、おそらく明治期以降に受け容れてきた欧米文化が自然と横たわっているのだろうと

思います。

でも考えてみて欲しいのです。もともとキリスト教の影響を強く受けて発展してきた欧米文化を、明治期以

降に日本が取り入れて、同じ土俵で欧米人と勝負して勝てるでしょうか?

勝てるわけがありません。本場は欧米人の方だから。

日本 今後に必要なもの②

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

世界の潮流は、ビジネスで言えば人口が多い国がフォーカスされます。政治で言えば、経済力と戦力が強い

国が主導権を握るでしょう。影響力も強いですから。

しかし、残念ながら今後の日本は今よりも衰えていく一方です。だからこそ、世界の潮流についていけるよ

うに、今後の日本人は「命がけ」で努力していかなければならないのです。ただそれだけです。

世界の潮流にのれるように努力するのみです。

そして、世界の人を相手に、ビジネスをしなければならなくなります。だから、外国語は必須でしょうね。

取りあえず、私も英語を勉強しないと(-_-;

今後、世界で活躍していく為に、究極的に大事になっていくのは、民族という特徴になっていくのだろうと

私は思っています。

日本人という民族のもつ文化や精神性が、究極的には問われてくるのだろう!と私は思っているのです。も

ちろん、他の民族もその民族の有する特徴を活用して世界で勝負してくるはずですね。

今後は、各国や各民族の特徴こそが物を言う時代に突入していくのだろうと私は予想します。

日本 今後に必要なもの①

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

それでは、昨日の続きです。

今後の日本人は、より世界の人々を相手に活躍を求められる時代に入っていくと、私は考えています。

数十年後は、日本国内の日本人だけを相手にして生活していくよりも、世界の人々に向けてビジネスを展開

する方が現実的となっていくでしょう。その理由は、日本の人口減少です。世界的にみれば、人口は増え続

けますが、日本だけを見れば、人口減少はとまりません。数十年後は今の半分の人口となっていきます。し

かし、世界では人口が増え続けるので、相対的に日本の影響力は弱体化していくのです。

日本市場も、人口が少ないのですから、相手にされなくなっていくでしょう。昔は海外製の電化製品などを

買っても、説明書は日本語で書かれてありました。今は、アマゾン(ネットのお店)で体温計を購入して

も、送られてきた品物に添えられている説明書は英語と中国語です。日本語で書かれていない。

すでに、日本市場は相手にされなくなってきたのです。英語は世界の標準語として扱われますし、中国は人

口も多く、巨大市場ですから、ビジネスとしても中国人から嫌われたらダメなわけですね。だからこそ、説

明書は中国人が読めるように、中国語でも書かれてあるのでしょう。

今後、日本の人口が減少し続けるのですから、益々相手にされなくなってきます。

日本 近代化で手放したもの

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

「日本人が大事にしてきた特徴」・・・私が思うその一つは、武家社会の礎ともなっていたであろう、

「命がけの覚悟で生きる」という精神でしょう。換言すれば、諸行無常を味わう感性、文化。

あるいは、連帯性の中で培われてきた一体性。繋がり。以心伝心と言われるような、旧来日本人が有してい

た感覚。少し解りづらいことを言うならば、現代の私たちの普通の感覚である「私」と「あなた」という区

分けが、昔はそこまで無かったかもしれないのです。もっと、「私」と「あなた」が分離していなかった。

ここら辺の日本文化の特徴を手放す契機となったのが、私はおそらく明治期の近代化なのではないか?と今

は思っています。

きっと今の日本は、明治期の変革以後の感覚を踏襲しているのだろうと思うのです。その意味では、もはや

武家社会に根付いていた感性や文化とは疎遠になっている可能性が高い。

今、日本は経済でも技術でも、世界の潮流から取り残されていく方向に向っています。今後は人口も減って

いくし、国際的な影響力も立ち位置もドンドン弱体化していくことでしょう。

日本 近代化の背景②

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

鎖国を解いて、明治時代に入ると、当然ながら日本も近代化まっしぐら。明治になったら、日本は脱亜入欧

(アジアを脱して、欧州列強の仲間入り!との意味)とのスローガンを掲げて、それまでの社会制度などを

ドンドン改革していくこととなります。

恐らくですが、当時の明治維新を遂げた人々は、日本と欧米の技術力との違いに危機感を持っていたことで

しょう。いち早く近代化を遂げて、欧米の技術力に追いつかなければ、日本は乗っ取られる!と思ったかも

しれませんね。

このような状況ですから、きっと近代化も徐々に!というよりも、ドンドン!という感じだったのかと想像

します。

もはや、これまでのお米を中心とした武家社会の価値観など、一気に忘れさられ、新たな価値観を構築して

いかざるを得なかった時代だったのでしょう。

上記私の仮説がそれなりに当たっていたとして、一気に近代化しなければならなかった日本の状況は、仕方

がなかったのだと思われます。だって、ノロノロしていたら、欧米に日本を乗っ取られる!と危惧する気持

ちだってあったことでしょう。日本(自分達)を守ろうと近代化に必死だったはずですね。

ですから、明治期の大変革は、これまでの日本の良さを精査し、踏襲していこう!となどとの思いもなく、

なるがままに進んだのかもしれません。(もっとも、明治維新を遂げた人々は、それまでの武家社会を解体

したかったのかもしれませんが) その結果、日本人が大事にしてきた特徴が、おそらくこの頃に手放すこ

ととなったのではないだろうか?というのが私の感想です。