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龍谷の起源

こんにちは 住職です。

昨日の続きとして、一点だけ注意点を綴ります。

そもそも浄土真宗という宗派のお寺は、別日に詳細は綴りますが、僧侶が修行する為に建てられているお寺

ではありません。

むしろ、民衆と共に念仏を慶ぶ(よろこぶ)為の場所としてお寺があるので、山にはないのです。

民衆が集まりやすい町にあるのです。人里の中に建てられるべきお寺が、浄土真宗のお寺です。

ですから、他宗派のお寺とは、お寺の役割が異なっているのですね。

そのような理由で、基本的に浄土真宗のお寺には山号は不要なのです。だって、山に無いんだから。

だから、浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺には、そもそも山号はなかったのです。

しかし、近年、他宗のお寺にはそもそも山号があった!という認識のもと、だったら山号を付けよう!

となって、龍谷山本願寺と山号が付けられました。数年前の話しです。

この「龍谷」の起源は、実はオオタニという地名を表している文字なのです。

すでに、今はない漢字なのですが、左側に「谷」と書いて偏(ヘン)とします。そして右側の旁(ツクリ)

に「龍」と書いて一文字とします。つまり「谷龍」と書いて、一文字だったわけです。

その一文字を「オオタニ」と昔は呼んでいて、地名だったのです。鎌倉時代の話しです。

親鸞聖人がご在世の当時、今の京都の清水寺の近く、現在の大谷本廟がある地名が「オオタニ」。

現在は「谷龍」という一文字はありませんから、あえて偏と旁に別々に分けて、龍谷(リュウコク)とした

のですね。

本来であれば、谷龍(コクリュウ)っぽいですが、谷龍より、龍谷の方が響きも良さそうですね。

なぜ、谷龍ではなく、龍谷にしたのかまでは、私も知りません。でも、そのような理由で龍谷と使われる

こととなったのです。

さて、この「オオタニ」の地に、親鸞聖人のお墓は建てられました。

最初のお墓は、小さなお堂だったそうです。

「オオタニ」の地に、親鸞聖人のお墓のお堂が建てられました。

これが現在の西本願寺の起源となります。つまり、「オオタニ」の地から本願寺が始まったわけです。

ですから、浄土真宗本願寺派では、龍谷という字を大事にしているのです。

私の母校も龍谷大学ですしね。

「オオタニ」は、西本願寺にとって、根本となっている地名なのですね。

因みに、西本願寺の御門主(ご住職)は「大谷」という苗字を名乗られています。

おそらく、「谷龍」と関係しているのだろうと思われます。

因みに、東本願寺が本山となっている浄土真宗大谷派(お東)は、龍谷は使えないのです。

本願寺派が最初に使ってしまっているからです。

ですから、「大谷」を使用しているのだろうと思われます。

私なんか逆に、谷龍(コクリュウ)と使ってしまえばよかったんじゃないのかな!?などと思ってしまいま

すが、それは安易なのでしょう。

たまたま、西照寺のある地名も大谷なので、やっぱり山号は大谷山が良いなぁと私は思っています。