西照寺一言預かり⑤
誰に向けた言葉か、決まっていなくてもいい
言葉を残そうとすると、「誰に向けた言葉なのか」を考えることになります。子どもに向けた言葉。親に向けた言葉。配偶者や兄弟姉妹、友人に向けた言葉。
相手が決まっていれば、何を書けばよいのかも考えやすくなるかもしれません。しかし、自分の中に現れる言葉のすべてに、最初からはっきりした宛先があるとは限りません。
誰に伝えたいのか分からない。そもそも、誰かに伝えたい言葉なのかも分からない。それでも、なぜか心の中に残っている一言があります。
たとえば、「本当は、寂しかった」という言葉が浮かんだとします。それは、親に向けたものなのか。家族に向けたものなのか。昔の友人に向けたものなのか。あるいは、誰か一人に向けたのではなく、自分の人生全体から現れた言葉なのかもしれません。「これは誰に向けた言葉なのだろう」と考えるほど、答えが分からなくなることもあります。
しかし、宛先が分からないことと、その言葉が存在しないことは別です。人の言葉は、いつも誰かに伝えるためだけに現れるわけではありません。自分の中にあった思いを、自分自身が初めて知るために現れる言葉もあります。
「私は、本当は悔しかった」「ずっと怖かった」「もっと自由に生きたかった」その言葉を誰かへ伝えるかどうかは、まだ分かりません。でも、言葉にしてみることで、「自分は、このように感じていたのかもしれない」と気づくことがあります。
誰かに理解してもらうためではなく、自分の中にあるものを自分で確認するための一言です。今は宛先が分からなくても、後になって意味が見えてくることがあります。未来の自分が読み返した時に、「あの頃の自分は、このように感じていたのか」と分かるかもしれません。
また、まだ会っていない誰かに向けた言葉であることもあります。これから生まれる家族。まだ会ったことのない子孫。将来、自分のことを知ろうとする誰か。今すぐ渡す相手がいなくても、後になって受け取る人が現れることがあります。
反対に、誰にも渡されないまま終わる言葉もあるでしょう。それでも、その時の本人から、その一言が実際に現れたという事実は残ります。
西照寺一言預かりでは、本人が決めていない宛先を、西照寺が勝手に決めることはありません。言葉の意味について、「本当は、こういうことを言いたいのでしょう」と解釈を加えることもしません。誰に向けたものか分からないのであれば、分からないまま受け取ります。
まだ決めたくないのであれば、無理に決める必要はありません。言葉を残すことと、その言葉を誰かに渡すことは、同じではないからです。
まず言葉を残し、その後で考えることもできます。時間がたってから、誰かに渡したいと思うかもしれません。
反対に、誰にも渡さないと決めることもあります。宛先が決まっていないからといって、その言葉が不完全なわけではありません。今の自分から、その一言が実際に現れた。まずは、そのことを大切にしてよいのだと思います。
西照寺一言預かりは、本人から実際に現れた短い言葉や文章を、その人自身の言葉として受け取り、大切に扱う取り組みです。家族に向けた言葉だけではありません。未来の自分に向けた言葉。まだ会っていない誰かに向けた言葉。誰にも渡さないかもしれない言葉。そのような一言もあります。言葉には、必ずしも最初から宛先が必要なわけではありません。
noteでは、「誰に向けた言葉か、決まっていなくてもいい」という題で、もう少し詳しく書いています。
自分の中に言葉はあるものの、誰に向けたものなのか分からない方に、読んでいただければと思います。
西照寺は、家族に今すぐ渡せない言葉や、未来に届けたい本人の思いを、本人の言葉のまま静かに預かる寺院です。
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