法話

法話

こんにちは 副住です。
最近ご法話を更新しておりませんでした。
なので、今日は数年前に書いたご法話を載せたいと思います。
タイトルは「阿弥陀さまの本願力」にしましょう。
阿弥陀さまという、見えないはたらきについて書いたものです。
 私には一歳半の娘がおります。この一年半、初めての子育てに試行錯誤しながら、日に日に成長する娘の姿に驚かされつつ、親としての苦労も学ばせていただきました。親の思い通りに行動してくれない子どもを育てていくことは、思っていた以上に大変なものなのですね。
数ヶ月くらい前のことです。娘が歩き始めるようになってから、私達は二人で手を繋ぎ、お寺の境内をよく散歩するようになりました。私は以前から、ご本堂の前を通り過ぎるときには、阿弥陀さまの正面で手を合わせ、礼拝をしておりましたので、娘との散歩のときにも、同様のおこないをしておりました。
ある日のことです。いつものように二人で手を繋ぎ、ご本堂の前を通り過ぎようとしたときでした。娘がいきなり私の手を離し、阿弥陀さまに向かって手を合わせ、礼拝をしたのです。私よりも先に。
本当に驚かされました。まだ一歳を過ぎたばかりで言葉も話せない娘が、阿弥陀さまに手を合わせ、礼拝しているのです。しかも嬉しそうに笑っているではありませんか。
きっと娘には、自分のやっている事の意味はわかっていなかったでしょうし、笑っているところを見れば、遊んでいたつもりかもしれません。しかしながら娘の本心がどうであれ、私の眼には娘が阿弥陀さまをお参りしているようにしか見えなかったのです。
もちろん、いつも父親がやっていることを真似ただけだ!と言ってしまえば、それで終わりかもしれません。 
けれども、私は娘の行為の背景に、大きなはたらきを感じずにはおれませんでした。阿弥陀さまのはたらきを感じずにはおれなかったのです。
なぜならば、仮に娘が私の行為を真似しただけにしても、私が阿弥陀さまに手を合わせ、礼拝するのは、もとをたどれば阿弥陀さまに導かれたからなのですし、普段から親の思い通りに動かない娘が私の行為を真似したのであれば、尚のこと阿弥陀さまのはたらきによってとしか言いようがありません。
娘は間違いなく阿弥陀さまのはたらきによってお参りをしたのです。阿弥陀さまは、私に手を合わさせ、礼拝をさせ、娘を導いておられたのです。そして何よりも、阿弥陀さまは、そのような娘の姿を私に見せしめ、伝道のあり方を教えて下さいました。阿弥陀さまの願いは、私達のはからいによってではなく、阿弥陀さまのはたらきによって伝わっていくものなのです。何とも有り難い仏縁でございました。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。