日本人ははたらきすぎ

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おはようございます。副住です。
連日朝から晩まで出突っ張りで、家族に迷惑をかけています。
ここまでくると、家族に申し訳ない気持ちで一杯になりますね。
そういう意味では、仕事も大事だけど、家族も大事。
両方のバランスがとれてこそ、充実したものとなる気もします。
もっとも、青年会議所に入っているから・・・ということも大いにあるのですが。(苦笑)
しかし、日本人は働きすぎです。
昨日は昼間は築地本願寺での会議と業務。夜に研究者懇話会という行事を開催しました。
研究者懇話会というのは、首都圏に在住する浄土真宗本願寺派のお寺に属する研究者(例えばお寺の次男、三男が首都圏で研究者となって活躍していることが多々あるのです)を集め
情報交換や懇親の場を設け、本願寺の為にできることを模索するような会として、作られた会なのです。
日中は、それぞれの専門分野で仕事をするので、夜にならないと集まれないのです。
そのような意味があって、夜に開催をしています。
会は、始めに担当となった先生のご専門分野と浄土真宗とを絡めた発表を行っていただきます。
いわゆる記念講演みたいな感じです。おおよそ40分ほどお話をいただき、次に懇親会を1時間ほど行います。
各研究者が立食でフリートークをしながら、近況報告なども行います。
昨夜は武蔵野大学のご協力をいただき、有明キャンパスにて21時まで行いました。
その後、私たちが主催なので、後片付けを終え 自宅に帰宅をしたのが23時すぎ。
ここ最近は、朝から晩まで出突っ張りなので、家族に申し訳なくて。
でも仕事なので、やらねばならないし。
やっぱり、仕事は17時以降は行わない!とか決まりが欲しいですよね。

比企選抜少年サッカー大会

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おはようございます。副住です。
今日は築地本願寺に出勤です。
しかし、体が痛いのです。
というのも、昨日ご法事の後、昨日に引き続き青年会議所の事業「比企選抜少年サッカー大会」(正確な名称を忘れた?)が開催され、
動き回りました。
最後は、私たちメンバーがミニゲームをすることに・・・
40歳前のおじさん達が集い、サッカーのミニゲームです。
私も参加をしたのですが、普段は運動などをしない為、すぐに息切れです。
おかげで、今日は筋肉痛。
体が痛いということです。
さて、一昨日と昨日のサッカー大会は、各チームから選抜された子供たちが集い、19チームが参加をしました。
一昨日は雨の中予選が行われ、19チームが8チームに絞り込まれました。8チームが続けて昨日の大会に残ります。
そこで、昨日は8チームのみが大会に出場し、優勝をめぐって対戦が行われました。
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優勝は「東松山北」・・・(東松山北は松二小と大岡小の合併だそうです。因みに大岡小は私の母校)
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すごいね。やったね。
景品も豪華でした。
大会には今年からMVPもあって、準優勝チームの「東松山南」チームから選ばれました。
決勝戦のゲーム全体をみて、素晴らしい予測、活躍、動きをしていたことが評価されたのです。
おめでとうございます。今後の活躍と飛躍を期待しています。

比企青年会議所 少年団サッカー大会

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こんばんは 副住です。
今日は土曜日でしたが、青年会議所の私が所属する委員の例会があり、
お寺のご法事を住職にお願いし、例会に参加してきました。
比企青年会議所が主催をする、少年団サッカー大会の例会です。
東松山市内の岩鼻運動公園のサッカー専用グラウンド(芝生)を借りて、
地域にいくつもある少年団の中から選抜されたチームが集い、今日と明日の2日間で
予選と決勝トーナメントを開催する大会なのです。
因みに、青年会議所メンバーが作成したカップがこちら。
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ワールドカップみたいになってる。
因みに、石でできてます。
今日は朝から雨が降り、予報では10時くらいに曇りとなるはずだったのですが、ほぼ一日雨降りでした。
グラウンドもぐちゃぐちゃ。
でも芝生は水はけがよい状態だったようで、競技事体は問題ありませんでした。
子供たちもはじめて、芝生のグラウンドでサッカーをやった という子も多かったです。
土にグラウンドと芝生とでは、プレイの様子が異なるようです。
明日はご法事を勤めるので、途中抜けしますが、夕方近くからは参加ができそうです。

埼玉県 浄土真宗 永代供養墓 

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おはようございます。副住です。
今日は、西照寺にある倶会一処墓(一般的には、永代供養墓と呼ばれている)のご紹介です。
墓参エリア
永代供養墓
西照寺の境内に、このような大きなお墓を建て、後継者がいなくなった方に入っていただけるお墓を用意しています。
このお墓は、西照寺が維持管理をしていくものなので、お墓を有する方の大きな心配事である、お墓の維持管理の問題は、このお墓には当てはまりません。 
埼玉県にある浄土真宗本願寺派のお寺で、西照寺のような大きなお墓を有する寺院は他にはないので、特徴的なものですね。
さて、近年の日本では、核家族化がすすみ、また少子高齢化によって、家から個人へ、また後継者不在という、生活・人口構成の変革期に入っています。
そこでこれまで、家を中心として、また後継者が続くことが前提で考えられてきたシステムが、社会の要望に応えきれなくなってきました。
その1つが、例えば「お墓」です。
これまでは、家の長男が継いできたお墓ですが、今では長男がいても、外にでていく時代。
●お互いの生活を尊重する風土ができあがってくると、「お墓のことで迷惑をかけたくない」と思われる方が増えていますね。
●また、子供が娘だけなので、そもそもお墓を継がせるわけにはいかない。維持管理の問題もあるし・・・と言われる方も多いです。
●さらに、そもそも子供がいないので(あるいは結婚していないので)、この世代で終わり・・・と話される方もおられます。
そのような方々に相応しいお墓として、近年注目されるようになったものが、永代供養墓なのです。
西照寺では、倶会一処墓と読んでいますが、世間では永代供養墓と言わないと、意味が通じないので、浄土真宗ではありますが、永代供養墓と宣伝をしています。

築地市場で火事

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おはようございます。副住です。
昨日は築地本願寺に出勤しておりました。
たまたまですが、お昼時、築地本願寺に煙が流れてきました。
しばらくすると救急車やヘリコプターが来て、慌ただしい。
聞けば、築地市場の場内の工場で火事だというのです。
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この写真は築地本願寺の境内から、築地市場(場外)を撮影したものですが、ビルとビルの間の奥が霞んでみえるでしょうか?
これが煙です。
現場では、築地本願寺までモヤみたいな煙が確認できたのですが、いざ写真には写らないものですね。
昨日は水曜日だったので、市場がお休みでした。
ですから、場外もお店も然程営業していなかったので、お客さんも少なかったのですが。
しかし、当時は沢山の人が野次馬のように集まっていました。
数日前は、川越市の菓子屋横丁で火事がおこり、10棟ほどに燃え移ったとの報もありました。
梅雨時期なのに、火事が多いです。皆さん、気をつけましょう(私も気をつけたいと思います)

寺院消滅 お寺の必要性を考えると・・・ 副住職のお寺つくり

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おはようございます。副住です。
こんな本が一か月前ですが、出版されました。
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私はとても大きな関心を抱き、すぐに買いました。が、時間がなくてまだ読んでいません。
私が読む前に、読書はあまり好きではない住職が読んでしまいました。
読書嫌いの住職が3日で読み終えていましたので、この分野に興味がある方は、すぐに読めると思います。
因みに、筆者は日経ビジネスの記者であり、お寺の副住職という立場。地方の寺院(かなり地方の)のあり方に興味を抱き、地方寺院の取材を通じ書かれたて本です。
300ページ弱あります。
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私は大学時代(今から20年弱前)から、お寺に対する危機感を何気なく感じていました。
今後のお寺は存在価値的にも、経済的にも大変になっていくだろうな。との感覚です。
あくまでも感覚。
今やそれが現実となってきてます。こんな本まで出版されているのですからね。
(ただしこの本は、以下に綴る私の危機感とはある意味別の視点(地方そのものが消滅するという意味)で、お寺が消滅するというあり方も明記されているようです)
私がお寺に危機感を抱いた理由は、私が知っている「お寺」と「人びと」の間に「無言の距離」がでてきていると感じ始めたからです。これはあくまでも感覚的なもの。
どんな距離かと言えば、一番は「必要性」に対する心の距離かな。「無言の距離」なので、心の距離とも言い得るでしょう。
例えば、お寺側ではお経を読む。これが大事。だから読経を大事にしているのだけど、人びとにとっては、大事にしている意味がわからない。(お寺が大事なことを伝えきれていないとも言い得るでしょう)
なんとなく「供養」だからとりあえず大事なんだ!と感覚的に思っている人がほとんどだろうと、当時の現状を感じたのです。
でも、お寺は読経を大事にするあげく、その意味を伝えきれていなかったり、沢山あるそれ自体は「小さなこと」(合掌の仕方や、焼香の意味など色々)を、ほとんど伝えきれていない。
そうなってくると、人びとは「お寺」の必要性が感覚的なものとなっていくに従って、ある時に「お寺って別になくても大丈夫じゃない!?」と変化する可能性がある。そう漠然と感じたのです。
だから世代が変わってくると、今はお寺を大切にしてくれる人が多いけど、それが突然逆転するんじゃないかな!?と感じるようになったのです。
ただし、逆転した時にお寺側が「どうしよう!?」と焦ったり、反省を活かして改めようとしても、時すでに遅し。
そうならない為に、人びとに「お寺」って必要でしょ!と思ってもらえるように、変えていかないといけないな!と思っていました。
学生時代を終え、一人で数年色々と考えていたのですが、なかなか答えがでませんでした。まさに暗中模索。
そんな時、松本圭介さん
と知り合いました。(数年前にお会いして話したことはありましたが、お寺の未来について話したのは、この時ということです)
彼はその時、インド留学を終えて、MBAを取得し、これから「お寺のマネジメント」について広めたいと考えていた時期でした。
そこで、私は彼が開設した「未来の住職塾」の第一期生として学ぶことを決めたのです。
住職塾を卒業し、3年ほどたちますが、私の視点(世俗の視点です)は確実に変化をし、活動そのものも変化をしました。
青年会議所へ入会したこと事体も、大きな変化です。おかげでさらに忙しくなりました。昼夜家にいない生活です。
お寺の未来を考えていく時、どうしても外せないことは、実はお寺が存在する地域との関わり合いだと今の私は考えています。
(お寺の方で、このブログを見てくださっている方がおられましたが、振り返ってみてください。地域との深い関わり合いはありますか?)
もしかしたらですが、住職という立場でお寺をしっかりと機能させる為には、お寺がある地域事体をしっかりと考えることが必須かもしれません。
地域といっても、市や町というレベルでです。
もちろん、行政に直接的に関わることは宗教団体ですから、無理ですが、もっと根っこのところ。
例えば、青年会議所や商工会など、その地域事体を盛り上げようと頑張っている団体に属し、共にどのような地域にしていくべきかを切磋琢磨して考える。そして行動する。
そのような「地域事体をしっかりと考え、行動している」組織と関わることが大事だと考えます。
その組織に真面目に関わると、地域の方々が「私のお寺のイメージ」を素直に教えてくれます。あるいは、お寺に対する「必要性」の素直な感想も教えてもらえます。
さらに仲間ができます。地域を考える仲間ですから、これが相当大事かも。
また、これは私の一側面の見方ですが、意外に「団体が考える、その地域(市や町)の進むべき方向性」については、あいまいだったりします。(笑)
だからこそ、この地域には何が大切で、どのような方向性で進むべきかを共に考えることができます。(もし、その地域で明確な方向性が示されているならばシメたものです)
ここにこそ、これからこの地域で、お寺がどのように活動を進めていくか ということが見えてくるはずなのです。
地域の活動とお寺の活動が噛み合うとき、必然的に「お寺は必要な場所」となっていきます。
もしかしたら、今後のお寺は2つにわかれるかもしれませんね。
1つ目は、旧来型の寺檀関係を維持し、檀家さんを中心にお寺を続けていくというタイプ。
2つ目は、寺檀関係という枠をひろげ、檀家さん以外にも関わってもらう。いわゆる地域を中心にお寺を続けていくというタイプ。
私が描く西照寺の理想は、その地域で関係がもてるかたがたの心の拠り所として「お寺」が存在することですね。
ですから2つ目のタイプということでしょうか。
最後に「お寺」には、教義が存在します。その教義は、生き様の柱となりえる 揺るぎない思想があります。
これはどんな会社も、どんなNPO団体も、どんな組織(宗教以外)も持ち得ません。
最強の武器なのです。これを活かせるようなお寺にしていきたいものです。

DVD「映像で見る法式教材」 浄土真宗本願寺派 奈良教区

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おはようございます。副住です。
昨日、大学時代の友人(現:奈良県のお寺のご住職)から嬉しい贈り物をいただきました。
なにやら、浄土真宗本願寺派の奈良教区でDVDを作ったのだとか。
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DVDに収録されている内容がこちら
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この同級生は本願寺の式勤に勤めていたので、本格的な内容になっているはずです。
(これからDVDをみようと思ってます。昨日の夜にDVDが届いたのを確認したので、まだ見てない)
同封されていた手紙には、
「得度・教師を受講されるお方の「心構え」と「基本的な知識や技能の事前習得」また、しばらく法務から遠ざかっていて、基本を学び直したいとお考えになっておられる方まで、
幅広く対応できるように作成させていただきました」
と書かれてあります。
何より「映像で見る」というところがいいですね。
私も法式(本堂内での作法とか、本堂の内陣の正式なお飾りとか、衣の付け方やたたみ方とか)が苦手というか、勉強が足りていないので、これは貴重な資料となります。
有志の方々が3年をかけてつくられたDVDらしいですね。その為か、DVD作成に関しては素人であったようで、DVD再生の際、再生機種によっては互換性がとれない場合もあるようです。
しかし、パソコンでみるぶんには何の問題もないようですね。
DVD本体のデータ内容の不具合はないとのことですから、問題はありませんね。
入手もできるようで、1部1000円とのことです。
問い合わせ先も書いてありました。
奈良教区教務所 0742-44-5878
奈良教区教務所
だそうです。
因みに 「詳細については奈良教区職員へお尋ねください」と手紙にあるので、教務所に電話して聞けばいいのでしょうね。

仏教を学んで得られること。 僧侶の行き方。 普通の人とお坊さんの違い

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おはようございます。副住です。
連日予定が立て込んでいて、なかなか私的な用事に取り掛かることができません。
でも、こうやって毎日予定が埋まってしまうのも、有難いものです。
それを忘れて、不満ばかり言っていると、人から頼まれなくなります。
毎日が暇となって、必要とされている実感がなくなったら、とても寂しいでしょうね。
その時に思うことは、どうして僕に頼んでくれないのだろう?などと考え始めるのです。
人間は無いものネダリを得意とするので、日々の生活に変化を求めてしまいがちですが、
今あるものの貴重さを振り返ることができる目線があると、だいぶ違うものだと思います。
もちろん、人間ですから不満はでてきます。(例えば、毎日予定が続くと、いずれ疲弊してきて、心に余裕がなくなります。すると「休みはいつだ?」とか不満が顔をだしはじめます)
私も不満をこのブログなどで綴っています。
不満を抱きながらも、ある時に「でも毎日果たすべきことがあるって、有難いことだよな」と内省する時間を持ちます。
すると、不満が顔をださなくなります。
どう説明すればいいのかわかりませんが、不満はなくなるわけではないのですが、不満に目が向かなくなるような気がします。
不満に目が向かなくなって、依頼の有り難さに目が向くので、「しっかりとお役目を果たしたい」と頑張れるようになります。
(ただし、人間ですから限界はあります。疲れていれば、疲れている中で可能な限りを頑張るということです。)
私は僧侶となって感じていることは、物事をみる際「対極」からみれる視点が備わったと思います。
噛み砕くならば、一方の見方としては人間的な見方をします(←これは皆が普通に行っている見方です)
ただし、この見方で物事をみていくと、ある時、行き詰まる場合がでてきます。
(例えば、今の流れでいうと、毎日が忙しくなって、心に余裕がなくなり、不満が顔を出し始め、仕事そのものに不満を感じていく。あるいは仕事をこなせない自分を責めてしまうなど)
行き詰まったら、悪循環が始まってしまいます。(どこかで心を好循環に切り替えられる契機が必要となるのですが、この状態になると、その契機がわからなくなります)
この悪循環を切り替える契機となるものが、もう一方の見方なのです。
その見方こそ、「自分基準ではない見方」。
皆が普通に行っている見方は、「自分基準の見方」なのです。皆、自分をもってますよね。その自分が物事をどう把握しているか・・・これが自分基準の見方ということ。
この見方でいくと、自分の思い通りにいかない場面が続いたりすると、行き詰ってしまうのです。
だからこそ、「自分基準」から離れる必要がでてきます。
つまり、「自分の都合」で物事をみない。「本来的な物事のあり方をみる」ということです。
難しいですが、仏教ではこのことを「智慧の眼」(仏様の智慧)などと言ったりします。
私は行き詰った時、この「仏様の智慧」(智慧の眼)をかりてきます。(どうやってかりてくるかは、言えません。内緒とかではなくて、これは経験なので、言葉で説明できないのです)
「仏様の智慧」をかりてきて、「自分基準」から離れて、物事の本来的なあり方をみるのです。
そうすると、今まで自分基準で「不満」に見えていた事柄が、今度は「有難い」「貴重」「尊い」などと感じられるようになるのです。不思議なことですね。
そうなったら、しめたもの。悪循環から好循環へと変化します。
(これはもちろん、心の状態のことを言っています。人間ですから体的な問題。疲れが吹っ飛ぶ などにはなりません。(心がリフレッシュできれば、疲れも少しだけとれるでしょうが))
私は僧侶となって仏教を学び、おそらく普通の人が持ち得ない特技を身につけられたと思います。
僧侶と僧侶以外の人と、大きな違いとしてあげられる1つだと思います。
仏教を学ぶ(頭での理解だけではなく、心での理解ということ)と、このようなことができるようになります。
仏教を学ばなければ、このような見方はできないだろうなと思います。

教誨師の先生方の平均年齢 おそらく

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おはようございます。副住です。
18日~19日に開催された「東京管区教誨師研修埼玉大会」が終わりました。
大会のホスト地メンバーとしてお手伝いさせていただきましたが、すごい疲れました。
私は一番若いので、色々と考え動いた為、気苦労で疲れました。
(もっとも、業務事体は軽いものでしたが)
大会は浦和のロイヤルパインズホテルで行われ、400名くらいの参加者が来てくださいました。
教誨師の方々だけではなく、各地刑務所の施設職員の方々もご来場くださいました。
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これは18日の研修会の基調講演の様子です。
参加者の方々の後ろ姿が写ってますが、おおよそご年配の方々が多いのです。
教誨師ですから、当然といえば当然なのですが、90歳を越える教誨師の方も参加者としてお見えでした。
きっと平均年齢は60代半ばから、70代くらいかもしれません。
そんな中、私は38歳。ある意味、場違い。
一般の会社などでは、私くらいの年齢は中堅クラスなのでしょうが、お寺や教誨師という世界の中では、ヒヨコレベルなのです。どうにか卵レベルは抜け出せたように感じます。
そんな環境に身をおいてますと、いつまでたっても「お茶くみ係」「カバン持ち係」「誘導係のタクシーを探す係」なのです。
ですから、ある意味、良い意味で謙虚さが身にしみついてます。
私がこの世界(お寺)にどっぷりと身を置いたのが29歳。(それまでは学生)。教誨師という世界には、33歳頃からだったような気がします。(もう5年くらい)
お寺の世界でようやく10年近くが過ぎようとしています。さすがに出だしは鈍感だった私も、10年近い経験から、機転や身動きが当時よりも早くできるようになりました。
教誨師大会では、それが役にたちました。そういった意味では、後輩は私が先に動き出したら、やりづらいかもしれません。
教誨師では20代の方はおりませんので、気にすることはないのですが、お寺という世界では、少ないながらも後輩ができてきたので、後輩に負けないように動こうと思ってます。(笑)