「今後の西照寺の取り組み」

投稿日: 1件のコメントカテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

連載は、今日で最後にしようと思います。

ここまで振り返ってみれば、3月1日から連載が始まったので、1ヶ月連続となりました。

自分で振り返ってみても、長いな!と驚きましたが、本当はまだ書き足りないくらいです。

しかし、最低限説明しておきたい部分は綴ったと思うので、今日でこの連載は終了にしようと思います。

そもそもこの連載を何故始めたのか?と言えば、昨年末、私は西照寺の今後の方向性を見定め、今後の活動

についても具体化することができました。(その詳細までは、今回は綴りません)

本当に情けないもので、ここに至るまで、足掛け9年かかりました。

私には才能がないので、これほどの時間がかかってしまったのです。本当に苦労しました。

ゴールが見えない中で、よくここまで頑張って続けてきたと、自分を褒めてあげたい気持ちです。

思い起こせば、大学生の頃「今後、お寺は不要となっていくのでは?」と漠然と危機感を抱いていました。

30歳を過ぎて西照寺に戻ると、今度は「お寺と経営」という問題に直面することとなりました。

どうすればいいのかわからず、35歳になった時「未来の住職塾」という非営利組織の経営について教えてく

れる塾に出あいました。そこで、組織の「理念やビジョン」「リーダーの大切さ」を教えてもらいました。

私は理念こそ組織の土台だ!と納得したのですが、しかし「西照寺の理念って何だ?」と。。。

そこから暗中模索が始まってしまったのです。

世間の流れや自分がすべき事、お寺とはそもそも何なのだ?など色々と情報を集めましたし、自分を深める

為に内省もしました。

青年会議所にも入って他の経営者と話ながら、知見を深めました。

ある時は大企業の社長を勤めた人が行っている経営塾にも参加しました。

(ただし、ここで断っておきたいことは、私はお金儲けがしたいわけではないのです。

もちろん、お金は大事です。

お金が不要と言っている訳でもありません。

お金がなければ、お寺も維持できないし、私達も生活ができなくなります。

だから、お金は大事だと考えています。お金は、成し遂げたいことを果たす為の手段です。

その意味で、お金は大事だと私は思っているのです。)

また、ある時期に鎌倉の師匠と出会うことで、美術や日本文化について門外漢ながらも、若干の知見を拡げ

ていただきました。

足掛け9年に亘って学び続けてきた事が、たまたま、ようやく、なぜかコロナで自宅自粛となった昨年、

集中して思索できる十分な時間を得たことで、ようやく「西照寺理念」として纏まりだしたのです。

西照寺の理念は「前に生れんものは後を導き、後に生れんひとは前を訪へ」です。

親鸞聖人が書かれた『教行信証』という書物の最後に引用される文言です。

思い起こせば、私が教義の勉強を始めてすぐに出会った感銘を受けた言葉でした。

まさか、20年かけて最終的にこの文言に辿りつくとは思ってもいませんでした。不思議なことです。

この理念を軸に、西照寺の今後の活動は「寺業」と「文化発信」の2つの方向性で取り組みを始めていくこ

ととなりそうです。

「寺業」とは、簡単に言えばお寺の理念を実現させていく為の経済活動を主とした取り組み。

ですから、とても大事な活動です。

「文化発信」は、今後、力強い日本人を作っていく為に、お寺が行わなければならない取り組みだと、私は

考えています。昨日のブログで綴った通りです。

しかし、この取り組みは、私はお寺であればどこでもできる(やるべき)取り組みだと思っています。

その中でも西照寺は、理念に沿った形での具体的取り組みを行っていこうと思っています。

この取り組みには、当然お金がかかります。

その為に、西照寺の「寺業」もしっかりと確立しないといけないわけです。

順番的には西照寺の「寺業」をしっかりと確立して、「文化発信」の活動を強めていきたいですね。

最後に、私がこれまで悩んできた、お寺って何をする場所なのだろう?何のためにお寺って存在してきた場

所なのだろう?との問いがありました。

現時点の私なりの結論は、お寺の本質は人類が考え及ぶ範囲を超えた「縁起」を、人類に伝える為のハブ。

その代表的な役割が儀式(読経)。儀式は論理を超えるものです。

しかし、これは時代と価値観の変化によって、上手く機能する時代とそうでない時代がありました。

現代は科学の台頭によって、科学力を使えば、人類は全てを解明できる!と思い上がってしまっています。

科学でも解明できないものがあることを認めたくない現代では、お寺の本質は上手く機能しません。

明治期以降、そちらの方向に向っていると思うのです。

だからこそ、お寺が儀式だけにのめり込んでいる状態は危険だと思えるのです。

ですから、本質的な役割である儀式はしっかりと残しながらも、儀式だけに頼らない新たな取り組みの有無

が、お寺が現代社会に存在できるかどうかを決定づけるものとなっていきそうだと、私は思っています。

そこで、西照寺は新たな取り組みを進めていこうと考えているのです。

「現代のお寺の役割」

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

明治期以降、日本人の価値観や考え方は大変革を遂げたと思います。

その影響を強く受けた一つに、お寺があると思うのです。

もしかしたら明治維新は、産業革命によって欧米文化を受け入れざるを得ないようになったことに加えて、

そもそも武家社会の制度や価値観そのものに疑問をもった人達の動きによって果たされた、武家社会制度の

大転換であった可能性もあります。

その証拠として、明治期には神仏分離令(昔の日本では、神や仏は一緒に大事に扱われていたが、神仏分離

令は、神と仏は違う!と厳しく分離させた) 

また、廃仏毀釈(神は大事にするが、お釈迦様を毀損し、その教えである仏教を廃れさせる為に、仏像を破

壊したり、経典を焼き捨てたりした)の動きも見られました。

そもそも、明治期は天皇(神)を中心とした国造りを進めた時代です。

江戸時代には、お寺は各地域に住まう人々の戸籍を管理する役目も担っており、武家社会制度に深く根付い

ていたのですが、明治期の廃仏毀釈などによって、戸籍の管理も役所が担うようになるなど、お寺の影響力

は大きく削がれることとなりました。

その後、戦争などを経て、70年以上の平和ボケとも言える、死を隠す日常が始まりました。

すでに日本は欧米の価値観にどっぷり浸かり、居心地が良いとさえ感じているかもしれません。

しかしながら、経済的な発展が落ち着き、人口減少を迎え始め、国債も多く、日本の未来への可能性は正直

厳しいように思えます。

今後は、世界の人達を相手に、ビジネスを遂げていかなければいけなくなると思います。

その時、私は日本人の特徴が武器になると思っているのです。

特に、これまで主張してきた「命がけの精神性」「一体感」「日本的美意識」などです。

これらは仏教と結びつきが非常に強いように私は考えています。

今後のお寺の役割は、日本文化の特徴をしっかりと意識し、それを再確認できるような取り組み。

あるいは、それらの特徴を現代版として身に付けられるような教育や体感、学びが深められる場所にしてい

かなければならないだろうと私は考えています。

日本文化を再確認、あるいは現代版としてアップグレードし、現代人に伝える役割があるのだろうと思って

います。

 「お寺が失ったもの」

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

3月1日から連載してきましたが、ここで一旦纏めてみたいと思います。

中世日本から続く武家社会で培われた価値観(特に武士の)は、日本文化に強い影響力を与えてきました。

その価値観が大きく変化した時代こそ、明治時代と言えるのではないだろうか。と私は思っています。

武家社会では「お米」を支配する有力者(武士)こそが、社会的影響力を持つ時代であったと思われます。

それが明治時代に入ると、産業革命の波が押し寄せ、日本も開国せざるを得ず、欧米列強の文化が入ってく

ることとなります。

これまで「お米」が大きな価値を有していたのに、「お米」に変わって「資本力」が物を言う時代になって

いったのでしょう。

大きなパラダイムシフト(これまでの価値基準が大きく転換してしまうこと)が起こったのです。

武家社会の基盤となっていた「お米」の価値が揺らぎ、新たな「資本力」の価値が高まっていけば、当然社

会の常識も変化していきます。

武家社会での通念的価値観として求められていた「命がけの精神性」や「一体感」などは、欧米文化を基調

とした新たな社会には適応できず、形骸化していくこととなっていきます。

考えてみれば当然ですね。

キリスト教を土台としている欧米文化に対し、仏教を土台とした武家社会の日本文化ですから、考え方が違

うわけです。

因みに、これまで上述してきた武家社会での特徴ある価値観としてあげた「命がけの精神性」「一体感」

は、仏教の教えで言うならば、前者は「諸行無常」、後者は「縁起」として言うことができると私は思いま

す。

「諸行無常」も「縁起」も、仏教の代表的な教えです。

「諸行無常」とは、「常なるものは何もない」という意味です。

換言すれば、「いつ、どうなるかなんてわからない」ということです。

だから、一瞬一瞬が大事なのだ!ということです。

これって「常に命がけ」ということでしょう。

だからこそ「命がけの精神性」と通じているのです。

また、「縁起」とは、正式に言えば「因縁生起」(インエンショウキ)と言います。略して「縁起」。

意味は「全ての事物は、因と縁によって生まれ起きる」ということです。

換言すれば「独立してそれだけで存在するものはあり得ない」ということです。

だから、全てのものはお互いに関係し合っているのだ!ということです。

これって「全体が大事」と言っているのです。

だからこそ「一体感」に通じるわけです。

従って、私は武家社会で求められていた(武士の生きざま的な)価値観と、仏教の教えは非常にマッチして

いたと考えています。

だからこそ、仏教やお寺は、武士の生き様の価値観を裏付ける教えを有していた意味で、それなりに大事な

場所として扱われていたのだろうと思うのです。

しかし、明治期に欧米文化が入り込み、思想的にも大きなパラダイムシフトが起こった結果、武家社会での

価値観や、その背後にあった仏教の教えに視点が当たらなくなってしまったのです。

「お寺が失ったもの」は、社会に仏教の価値観を伝えられなくなった事実だと、私は思っています。

「③日本的美意識」わび・さび③

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

利休が考案した茶道(侘び茶)で用いる茶室は、質素で小さな建物です。

茶室の中は、豊臣秀吉が好んだ黄金のようなド派手な雰囲気とは真逆の、物寂しい雰囲気です。

その中に、「大黒」のような「静寂の象徴のような茶碗」が用いられる。

これらから見えてくるものは、利休が完成させた「わび・さび」との美意識は、とても精神性が強く反映さ

れた世界です。 

現代の私たち日本人の感覚では、秀吉の黄金の茶室のような煌びやかな茶室を贅沢だと思い、好んでしまう

のかもしれませんね。

しかし、そんな茶室でお茶を頂戴するにしても、心がざわついてしまうでしょう。

たぶん落ち着いて集中してお茶をいただくことはできないと思われます。

しかし、利休の体現した「侘び茶」は違います。

狭い空間で物寂しい雰囲気の中、「静寂」を体現する茶碗でお茶をいただく。

まさに、心が問われる空間でしょう。

だからこそ、きっとお茶を点てる人も、お茶をいただく人も、心が整わないと茶道が成立しなくなる。

ここが利休の見出した美意識なのだと、私は思うようになりました。

利休は、茶道に心(精神性)の充足を求めたのです。

だからこそ、利休が生み出した茶道には、お茶を点てる人(主)と、頂く人(客)、そして茶室や茶器全て

が一体となって、初めて整う茶道が完成することとなったのです。

そんな茶道の背景には、まさに、当時の武家社会の価値観が反映されているのだと私は思います。

当時の価値観を体現した日本的美意識こそが「わび・さび」なのです。因みに、利休が見出した美意識に

は、完璧さが求められません。

むしろ不完全さを楽しむ美意識があると言われます。

茶碗であっても、凸凹していたり、左右対称ではない。

これに対して、中国の美術品は、素晴しく左右対称と均整がとれていて、まるで機械が作ったような精密さ

ですが、日本で好まれた物は、完璧なものではなく、不足があるように思えるものです。

敢えて完璧さを求めず、不足の中に心の充足感を求めていくのです。

この精神性の高さこそが、武家社会の価値観とマッチしていたのだろうと考えられます。

「③日本的美意識」わび・さび②

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

師匠は、私が美術に対してコンプレックスを抱いていることも承知で、徐々に作品の見方や、美術の楽しみ

方を導いてくださいました。

その楽しみ方こそ、作品を観る時に「ディスクリプションをしてみなさい!」との教えです。

ディスクリプションとは、作品を鑑賞する際に、予め解説書などを見ないで直接作品を観て「自分の言葉

で、どのように感じるかを説明してみる」ことです。

自分が感じたままを説明してみるのです。

ディスクリプションを行うことで、作品を隅々まで観るようになっていきます。作品に集中していくのです

例えば、壺を観たならば、色の具合や、柄だったり、馬みたいな文様があるな!などなど。

ディスクリプションをすることで、作品から色々な気づきや情報を得ることが出来、そこから派生して

興味がでてくるのです。例えば、どうやってこんな色を出せたのだろう?とか、時代がいつごろか?など。

ディスクリプションして感じたことに、正解や間違いはありません。自由なのです。

私はディスクリプションを知って、美術の楽しみ方を知るようになりました。

美術は奥が深く、まさに人間の成長には欠かせないものなのです。

さて師匠からディスクリプションを求められ、師匠と私のディスクリプションを披露しあい、師匠の見方に

触発され、私もディスクリプションの仕方を理解していきました。

そのような中、師匠は私にディスクリプションの訓練の為に!と「茶碗」のDVDを貸してくれました。

その茶碗とは、楽茶碗の最高傑作とも言われる長次郎作「大黒」(千利休が長次郎に創作を依頼したもの

で、利休が最も好んだ黒い茶碗)です。重要文化財に指定されている茶碗です。

重文 黒楽茶碗『大黒』|長次郎|茶道具事典 (tea-ceremony-tokyo.club)

私は長次郎が作った「大黒」のDVDを観て(番組の録画DVD)、その茶碗が醸し出す奥深さに衝撃を受ける

こととなります。これが美術ということか!と感じたのです。

「大黒」をディスクリプションすると、私が茶碗から感じることができたことは「静の境地」でした。

「無」に近い感じ。

この境地は、当時の武家社会では、戦に出向く直前の心境。

命のやり取りが、今からまさに行われる直前、集中力が研ぎ澄まされ充足感に満ち足りた「静の境地」

を、「大黒」は体現している!と感じたのです。

しかし、利休が求めていた茶道は、お茶碗だけで完成するものではありません。

茶室や茶器、作法全体を通じて、茶道は完成されます。あくまでも「大黒」などの茶碗は、全体構成の一部

でしかないのです。

しかし、無くてはならない一部でもある。

例えば、「大黒」が体現する「静の境地」は、お茶碗だけで完結するものではないのです。

仮にお茶碗が「静の境地」を体現していても、周りの雰囲気が「静の境地」とズレていたならば、台無しで

す。

そこで、茶室やその他の茶器も関係してくることとなります。

もちろんお茶を点てる作法も関係するでしょう。

そう考えると、茶道全体を通して、「静の境地」が体現されていないといけなくなるのです。

そう考えて茶道全体を構成した人が、千利休という人です。

ですから、利休さんは茶道という美の総合プロデューサーだったわけです。

千利休は、当時の時代の精神的価値観を美意識の中に組み込んだ総合プロデューサーでした。

その美意識こそ「わび・さび」です。

因みに、「わび・さび」を調べてみると「貧祖・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識。

閑寂ななかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさをいう」

(ウィキペディア参照)とでてきます。

「③日本的美意識」わび・さび①

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

今日からは、日本的美意識の中でも、特に代表的な「わび・さび」について綴っていこうと思います。

「わび・さび」を取り上げる際、欠かせない日本文化こそ、「茶道」です。「侘び茶」。

特に千利休が大成された「侘び茶」について、取り上げていこうと思います。

もちろん、これまでの流れもあるので、関連させて綴ってみたいと思います。

「茶道」は「主客の一体感を旨とし、茶碗に始まる茶道具や茶室の床の間にかける禅語などの掛け物は個々

の美術品である以上に全体を構成する要素として一体となり、茶事として進行するその時間自体が総合芸術

とされる」(ウィキペディア参照)と解説されているように、やはり「一体感」が強く影響する日本を代表

する文化です。

私は茶道の嗜みはありませんが、近年、数年に亘って師匠から美術について少し手ほどきを受けてきまし

た。

その過程で、茶道についても一部ですが理解できた部分もある(一体感ということ)ので、「茶道」と「一

体感」ということについて、触れていきたいと思います。

さて、茶道に造詣が深くない私が、その事を説明する為には、私の実体験をお話することで説得力を得るし

かないと思います。

私はこれまで、芸術や美術には縁がなく、作品を創る才能もないし、楽しみ方も知らなかったので、芸術や

美術を毛嫌いしていました。

美術館に行ったとしても、作品をどう観ればいいのか!?が解らず、とりあえず、作品の横にある解説など

に目を通し「そうなんだ~」と思いながら作品をチラッと見て鑑賞を終えていたのです。

そんな私は数年前、縁としか言いようがありませんが、美術の師匠に出あうこととなります。

正直言って、こちらがそれを求めていた訳ではありませんし、師匠も同じだと思います。

たまたま直接お会いしお話したことが縁となって、その後、本格的な交流に展開した!という感じです。

今にして思えば、この数年に亘って、師匠は私に美術だけでなく、様々な事を教えてくださいました。

本当に厳しい方で、一流とはこのような人なのか!?と、私も恐れを抱きます。

物の見方や人としての生き方など、叩き込まれました。本当に人間として深めさせていただいております。

 「③日本的美意識」幽玄③

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

日本刀を鑑賞すると、一振り一振り異なっており、同一の刀は一振りもありません。

また、刀身は幾層にも分かれて鋼が鍛錬されており、刃紋もそれぞれに違います。

日本刀を真剣に観ていると、その奥深さに「幽玄さ」を感じることができるようになるのではないかと私は

思っています。

また、キラキラとして研ぎ澄まされた刃は、その鋭さから命の危機感を感じるほどの迫力を持っているが故

に、緊張感を抱かせます。

まさに「命がけ」を体感できるものであり、さらには「命がけの精神性」を私達に問いかけるパワーを持っ

ているとも思えます。

日本刀を真剣に鑑賞する!ことは、私達に無言のメッセージを与えてくれるのではなかろうか!?と思いま

す。

まさに、「幽玄」を体感することができる取り組みでしょう。

「③日本的美意識」幽玄②

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

因みに、科学力への過信について、少し綴りたいと思います。

もう随分前になりますが、あるお寺様で歎異抄の勉強会を開催したいという事で、講師をしなさい!

と私に依頼がありました。

毎月ではなかったですが、年間数回開催していたと思います。

聴きにきていた方も、それなりに固定されていたのですが、そのお寺のご門徒さんを中心に、歎異抄の勉強

会の情報を知って、参加しに来てくださった方もおられました。

勉強会では、私がお話をさせていただきながら、質疑応答の時間も設けておりました。

そんなある回の質疑応答の時、ご高齢の方で毎回ご参加くださる男性から以下のような事を言われました。

「私は〇〇(←忘れてしまいました)を作っているのですが、神の仕業としかいいようがないと思う事象

があります。それこそ、突然変異です。

同じ条件下で作られているのだから、同じ物ができるはずなのに、時に例外ができてしまう事がある。

科学で説明がつかないような事を目の当たりにする時、私は神の仕業だと思うしかないのです。

先生(私が講師なので、私のこと)は、そこら辺はどのようにお考えなのですか?」とのご質問でした。

私は、まさに科学万能主義!だと思いました。確かに、ご質問者の言っておられることは理解できます。

しかし、同時に「同じ条件下」というのは、人間が考えられる範囲内での「同じ条件下」と、何故思えない

のだろうか?と思ってしまったのです。

現代人の科学を信頼しすぎる視点に、ある種の盲目さを感じてしまったわけです。

もちろん、質問者の方が悪いわけではありません。現代の風潮がそうなのだろうと思うのです。

科学こそ間違いないと信頼し過ぎる環境こそが危ういと言っているのです。

まず、「同じ条件下」と言いますが、全てが「同じ条件下」という事は、あり得ません。

科学で説明される部分は、「原因が同じであれば、結果も同じになる」との、この世界のルールを解明して

のでしょう。

それはその通りです。

それが因果関係です。

ただし、これは人間レベルで「同じ」と言っているにすぎません。

人間レベルには「同じ」に見えても、細かくみていけば、必ず違いは見えてきます。

全く同一のものなど、世界にはあり得ません。

なぜ同一にならないか?と言えば、縁が違うからです。

質問者の「同じ条件下」との考え方の中には、「縁」が含まれていないのです。

正しい因果関係とは、因縁果です。

原因と縁とが折り重なって、結果に至るのです。

「縁」というものは、科学的に解き明かすことができるような小さな分野ではありません。

例えば、どうして「私」がこの世界に、この時代に、この国に誕生したのでしょうか? 

私が誕生した事実と原因は科学でも説明できるでしょう。

両親が交尾をしたからですね。そして、10月10日、お母さんが出産するまで大事にしてくれたのです。

しかし、私がこの世界に誕生するようになった縁を考えてみると、両親が関係を持つようになった経緯や、

その前の世代の経緯、さらにその前の世代のこと、ご先祖全般、もっと広く考えれば、先祖を結び付けた恩

人との出会いなど、果てしなく繋がってしまい、とても人間が考えられる範囲のレベルではなくなっていき

ます。

「同じ条件下」と簡単に言えるのは、人間として考えられる小さなレベルでの「同じ条件下」であって、人

智が及ばない「縁」については、考えられないのです。

だから、突然変異というものを考えた際、科学の力でも説明ができない「縁」が大きく違ったから!

としか言えないのです。

それが「神の仕業」と言うのであれば、そうなのかもしれませんが、私たち仏教徒は、それを「仏様」と呼

んでいます。

つまり、それこそが「人間が考えることができる範囲を超越した奥深さ」そのものかもしれません。

それが美意識という意味で語られると「幽玄」と表現されるものかもしれません。

「③日本的美意識」幽玄①

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

日本刀は、武家社会において、武士の象徴的なものとして大切に扱われてきました。

全国で、刀工や研ぎ師、拵(柄や鞘など表具の外装部分)を作る工具師などが活躍することとなります。

当時の有力者が求めていた素晴しい刀は、相当な需要があったでしょうから、このような様々な職人も生活

できていたのでしょう。

廃刀令が出されて武家社会が崩壊した今となっては、上記技術者は珍しい伝統工芸となってしまいました。

しかし、日本刀は現在においても美術品としての価値は評価されています。

私は現在、美術品とみなされる日本刀(特に、武家社会の時代に存在していた日本刀)から、当時の社会的

特徴を感じ取ることができ、かつそれが大事になってくるのではないだろうか!?と考えています。

きっと、武家社会の当時に存在していた日本刀の中には、所有していた武士や刀工や研ぎ師など、その制作

に関わった諸氏の精神が宿っているはずだと思うからです。また、そのようにも言われています。

それらの日本刀を手に取って観ることで、当時の刀に宿る「命がけの精神性」や、刀一振りを生み出した諸

氏の「一体性」を感じることができるのではなかろうか?と思っています。

おそらく、相当な集中力がいるはずです。これまでやったことがない人が多いので、難儀かもしれません。

さて、このような日本刀を通じて見られる日本的美意識は、「幽玄」であると私は考えています。

幽玄とは、「奥深いこと」「趣が深く、優美・高貴なこと」の意味です。仏教の意味にも通じます。

仏教者として私から「幽玄」を説明するならば、「人間が考えることができる範囲を超越した奥深さ、

はかり知ることができない奥深さ、あるいは、その奥深さから感じられる優美な状態」という意味でしょう

か。

それが「幽玄」という美意識だと思います。

現代人は科学の力を過信して、全てが解明できると考えている向きがありますが、「幽玄」は真逆です。

人間ごときが全てを解明できるわけがない。慢心は捨てるべきです。

人間というのは、もっと愚かであることに気づくべきだと思います。

慢心状態の現代社会では、「幽玄さ」は解らない美意識かもしれませんね。

「③日本的美意識」

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。住職です。

今日からは、武家社会に根付いていたであろう特徴の3つ目である「③日本的美意識」について取り上げた

いと思います。

武家社会当時の価値観によって育まれた日本的美意識は、世界に通じる特徴的なものだと思われます。

特に「侘び・寂び」という美意識は、日本人が確立した世界にも通じる美意識として知られています。

この世界に通じる「日本的美意識」も、その発現を推察していけば、これまで綴ってきた武家社会の特徴で

ある「①命がけの精神性」「②一体性」から派生して育まれた特徴であろうと思えるのです。

これら二つの特徴から派生したであろう日本文化の芸術分野を取り上げるとすれば、例えば「日本刀」と

「茶道」だと私は思います。

「日本刀」は、「武士の魂」とも言われる程、大切に考えられて扱われてきました。

今の私たちからすれば、あまりにも見慣れない為、日本刀の取り扱いなど解らないことが多すぎます。

しかし、武家社会においては、武士は外出すれば常に帯刀していたようです。

その役目を考えてみれば、日本刀は自身(ここでは一族も含める)を守る武器であり、不始末を生じて

しまった際に、責任をとる「切腹」に用いる自害する為の道具でもあるのです。

一言で「切腹」と言いますが、おそらく「切腹」するにしても、きっと散り際というのか、潔さなども求め

られていたのだろうと想像します。

つまり、散り際の「美」のような美意識だってあったことでしょう。

そう考えると、日本刀は自身(一族も含む)の「生死」と共にある武器だったということになります。

だからこそ武士たちは、日本刀に自分の命との関連性を認め、最大限大切に扱ったのだと思われます。

もちろん、当時の武士も死にたくはないでしょうから、日本刀に超越的な力を求め、宗教的な要素を求めて

いた可能性もあります。

日本刀の刀身には、梵字やマークが彫られていて、守護神のような意味合いが感じられるからです。

そのような日本刀は、武器としてではなく芸術的な側面の価値もでてくるのだろうと思われます。

これらの面を含め、武士にとっての日本刀は「命がけの精神性」=「武士の魂」と呼ばれていくようになっ

たのだろうと推測します。

だからこそ、日本刀には武士の精神性が強く関係しているのだと思われます。

日本刀は武士の生き様の象徴と考えられるようになってくるのです。

鎌倉時代、日本刀は独特の形(直刀から反りへ)に進化して、太刀や刀が流行してきます。

それまでの直刀は相手を突く武器で、馬を用いた戦では、馬上から斬りつけることに不向きでした。

しかし、鎌倉時代、日本刀に反りができたことで、馬上から斬りつけることが可能となったとの事です。

日本刀と同じような形で、もっと長い物を太刀と呼びます。

太刀も同様に、反りがあることで、相手を斬りつける武器となったのです。

太刀は比較的距離がある相手に用いる武器で、接近戦は日本刀だったのかもしれません。

やがて戦国時代になると、有力武将が名刀を求めるほどになります。

褒美の品に名刀が贈られるなど、日本刀は絶大な価値を持ってきました。

その背景には、日本刀が武士の精神性と繋がっていたからだろうと思うのです。

だからこそ、日本刀を大切に扱う文化が育ったのでしょう。

あまりに大切な物(宗教的な意味も持っていたのかもしれません)だからこそ、有力者は名刀をきちんと手

入れし保存する為だけに、人を雇っていたそうです。

つまり、武家社会における日本刀は単なる武器ではなく、武士の精神性や人間の超越性を反映するそのもの

として、芸術性を帯びていくこととなります。