自粛延長か!?

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おはようございます。住職です。

今月も末日となりました。4月はほぼ自粛期間だったこと、さらに西照寺は、お彼岸頃から自粛していた

こともあり、4月は大学生の頃の春休みのような感じでした。

もっとも大学生の頃は、自由気ままに旅行やアルバイトをしたり、遊んだりしていたので、自粛ではなかっ

たので、お気楽なものだったと思い出します。

今は自坊で自制しながらの生活ではあるものの、本当に必要なことだけやっている。やれている。

ある意味、もちろん世間の皆様と同じように大変ではありますが、それぞれでこの状況を耐え抜くしか

ないのだと思います。支え合いながら、やっていくしかありません。私達の歩む道は、過酷で悲しい道が待

っているのかもしれないです。

そんな中ではありますが、こんな時だからこそ、翻ってお寺の核が見えてきつつあるのも皮肉な話です。

このような状況だからこそ、お寺が必要なのか、不要なのかが明らかとなりつつあると、私は思ってます。

現況から考えると、私が思っていたよりも、お寺は必要。力強い。

必要とされているのですから、私も可能な限りの対策を施し、真摯に向き合いたいと思って過ごしています

。どうやら今朝の情報では、自粛期間が全国で1ヶ月延長されそうです。この1ヶ月は、これまで以上に

痛みは大きいと思われます。こんな状況、経験したくなかったし、こうなって欲しくもありませんでした。

でも、現実なのですね。そんな現況を受けとめつつ、私は私のできる事をやっていこうと思っています。

ここ数日で、ちょっとづつ見えてきたこともあるので、色々と調べて実践にうつしていこうと思います。

今年のGW

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こんにちは 住職です。

今日からGWですね。

GWは連休となる為、数年前から西照寺ではご法事が極端に少なく、冗談ながら西照寺もGW!

と私は思ってました。しかし昨年のGWは珍しく、西照寺でもご法事が勤まったのです。

その時、来年はどうなるんだろうな!?と何となく考えていましたが、まさかこんな事態になろうとは。

近年のGWは、私もGWとなる可能性が高かったので、心身共に休憩できるGWを、ある意味期待してました。

しかし、今年は2月下旬からずっと連休みたいな環境になってしまいました。

今でも色々な事が止まってしまっているので、自分の時間が確保できており、それなりに充実感ある生活

を過ごせています。ただし、経済的にどうなてしまうのかな!?との不安は当然ありますが。

しかし、これは皆が同じ境遇です。それよりも、今は新型コロナに感染しない!ことを優先すべき!と考え

、自粛生活を続けています。当然、GW期間も不要不急の外出はしないように心がけます。

一方で、この状況がダラダラと続けば、経済的問題が大きくなっていきます。すでに、そのような事態なの

ですが、失業者が増えたり不安材料が拡がってしまい、問題が複雑化します。今よりももっと大変で深刻な

状況に発展するでしょう。できればそうなって欲しくないので、今は日本全国民がステイホームし、感染を

食い止めたいと本心から思っています。

しかし最近は、現況ではもはや不可能だろうな。と諦めの嫌な心が顔を出します。

2月頃が感染を食い止められるチャンスだったと思ってます。

問題が複雑化、深刻化する方向が可能性としては高そうです。もはやどうなっていくのか、全く先が見えな

い想像が追いつかないのですが、未来は私たちが創れるもの!と考えれば、単に不安に押しつぶされていく

のではなく、私に何ができるか考え行動することから始めた方がいいな。と思ってます。

楽しく生きる為に、自分がやれること、やりたいと思うことから始めようと思っています。

ます。

生き方 (西照寺の理念)

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こんにちは 住職です。

一昨日頑張り過ぎました。再び違う場所の植木の刈り込みを行い、その後、土を掘り起こしてはドクダミの

根っこを抜き、土を埋め戻す。さらには、歩いてないので散歩もしました。7千歩くらいだけど。

普段はやらない作業を複数行った結果、疲れたのでしょうね。昨日は身体が痛く、若干のダルさが。

時期が時期だけに、こんなことでも、えぇ!と思ってしまうものです。しかし、熱もないし思い当たる事も

あるので、動揺はしていません。作業翌日に身体が痛くなるなんて、まだ若いのかもしれない!と言い聞か

せてます。やはり、自宅自粛が続くと、身体を動かさないから疲れてないのでしょう。良く寝れないのです

しかし、作業をすると、寝れるのです。大事なことだと思わされます。

これまでの日常では感じなかった色々なことを、この時期だからこそ、深々と感じ入ります。

これまでの日常の有り難さ。あの頃は当たり前!と思っていたことが、そうではなかった!と今だからこそ

頷けます。これまでの日常が、どれほど安定感の中で過ごせていたのか。何も心配はいらなかった。

しかし、心配がなかったことが私達を腑抜けにしてしまっていたことも、今だからこそ頷けます。

毎日を必死に生きる! 仏教は諸行無常を説くので、当然ながら、一瞬一瞬が大事。当たり前などあり得な

い。そう説いています。しかし、私達を取り巻く環境が安定していれば、私達の心も影響され、当たり前

当たり前。日常は続くのさ!と、真実に背く在り方をしていましたね。

今は、それらが奪われてしまい、皆が必死になる環境が整ってしまったわけです。

もうこれまでの生き方とは違います。危機感が現前にあるのです。

だからこそ、より活き活きとなれるはずなのです。必死になるから。ただし、困ることが多いということで

もあります。嫌だけど、困ることが多ければ人間は必死になれますね。生きている実感を深められる環境

なのかもしれません。しかし、困らない環境にいれば、ダラダラとしてしまい、必死さを保つのが難しい

環境となります。そうなると、生きている実感をあまり感じない日々となるのかもしれません。

これまで、仏教の教えは素晴らしいんだけど、中々人々の心に染み入り辛かったんじゃないかな!?と

思います。しかし、こんな環境になってしまったからこそ、逆に仏教の説くところが身近に感じられる

ようになるのではないかな!?と私は思っています。

もちろん、こんな環境になってしまったことは、私も人間ですから嫌ではあります。

これまで慣れ親しんできた環境の方が、生きている実感をあまり感じづらい環境だとは思うのですが、

「住めば都」で、あの頃の生活が懐かしくて捨てづらいですね。これは人間としての気持ちとして

私はそう思っています。しかし、仏教が説く真実は、一瞬一瞬を有難く生きること。

そのことを実感し易い環境となったな!と思える今は、仏教が伝わりやすい環境となったと言えるわけです

。僧侶としては、こちらがあるべき姿だと思っています。

人間として、と僧侶として、とでこの環境の異なり方の受け止め具合が真逆なのです。

だからどっちに転んでも納得できるのだから、今の私はある意味強い。

仏教が伝わりやすい環境になっていること。さらにはこの環境はしばらく続きそうだ!と思えるので、

あとはこれから来る困難を受けとめ受け止め、苦労をしながら進むしかないですね。

その時、困難と比例して、これまで疎かにしていた生き方の充実感が増すこととなるでしょう。

これからは「生き方」の時代ですね。私はせっかく人間として生まれてきたのだから

「楽しく」生きていきたい。そんな価値観をひろめていきたなぁと最近つくづく思います。

せっかくなので、西照寺はそんな生き方を重視するお寺にしちゃいます。

色々と変えちゃいましょう!ふふふ。

失敗

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こんにちは 住職です。

あぁ、失敗してしまいました。私が受けた電話の要件を私がうっかり忘れてしまっていました。

西照寺の予定です。ラインで、西照寺のスタッフ一同に報告していたと思っていたのですが、

ラインだけでは伝わっていないわけです。しかも、電話を受けた私が予定表を訂正しないといけない

はずだった。それをラインに入れたから伝わってて、誰か予定表を修正してくれてるだろう!と思いこみ

があったのでしょね。完全に忘れておりました。

これが現代社会の罠か。ラインに記載したから、伝わっていると思ってしまうのです。

それがそもそもの間違い。ラインで伝えても、私が予定表を修正すべきでした。

西照寺スタッフに迷惑をかけてしまいました。すみません。

想定しておくことも大事か。

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おはようございます。住職です。

ついに、東松山市で新型コロナウイルス感染者の死者がでてしまったとの事です。

公開されている市内の感染者数は6名。 さほど多くはありませんが、亡くなる方もおられるのです。

話しを伝え聞くに、どうやら亡くなった方は、陽性が判明して自宅療養だったとの事。

入院できなかったんですね。それで体調悪化に伴ってお亡くなりになった。

どうも埼玉県は準備不足、体制が整っていないようです。県知事が変わったばかりですし、

知事のリーダーシップの問題もあるのでしょうか。協力体制が築けない模様。

ですから、そもそも検査も積極的に行ってくれないし、仮に検査できて陽性だったとしても、入院できる病

院が少ない。重傷者に気を配るあまり、軽傷と判断されれば自宅隔離となるそうです。

隔離施設の用意も遅れているようですね。そんな中、滑川町にあるホテルヘリテイジさんが、

コロナ陽性者の受け入れを表明されたとか。有難いし、素晴しいと思いました。

ホテルなどの施設を提供してくだされば、そこに看護師さんなどが常駐して、体調変化を早めに把握できた

り、迅速な対応も可能となるんじゃないか!?と素人考えでは思ってしまいます。

ホテルさんからすれば、ウイルス陽性者へ施設を提供するのですから、印象が悪くなる!と考えてしまいそ

うですが、そんな心配を抱えつつも、皆の為に手をあげてくださったのですから、その姿勢に感謝です。

むしろ、困った時に支えて下さるような経営者がおられるところを、今後は応援していきたいと

私は考えます。有難うございました。

西照寺も、いよいよそんな部分まで考えていかねばならないようにも思わされています。

今後、感染者が増えたり、亡くなられる方が増えていって欲しくありません。

しかし、最悪の想定だってしておかないと、全てが後手後手になっていく。

だったら、考えたくないケースも想定して、マネジメントをしておく必要もありますね。

う~ん。試練だな。

きれいになったでしょ!

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こんにちわ 住職です。

今日は朝から会議、打ち合わせ、電話取材、植木の刈り込み。今、終わりました。

因みに取材は、HPの記事にするらしく、浄土真宗本願寺派の教えについての取材でした。

そんな最中、友人とラインもしながらの展開。

ラインのやり取りの最中、ちょうど植木の刈り込みが終わったので、友人に写真を送信したのです。

「きれいになったろ!」と。

すると、「それほどでもないな」と、こう返してきました。バカたれ! 

刈り込み前の写真を送ってないから、わからなかったのでしょう。

因みに、刈込前に撮った写真(数日前に撮ったものです)がこちら。

こんなに茂ってる。これを上の写真のように刈込したのです。キレイになったでしょ!?

(上記写真の中央に見える街灯が、下の写真の右端にある街灯です)

刈り込み中は、枝や場合によっては虫などが飛んでくる可能性があるので、フェイスシールドを付けていま

す。(新型コロナでも利用できそうになりましたが)

刈り込みが終わり、落ちた枝や葉を拾い集めていた時、土ぼこりを吸い込みました。

すぐに、ペッて唾を吐いたのですが、吐いた唾が見えません。一瞬あれ?と思ったら、フェイスシールドし

てたままじゃん!と思い出し、慌てて外したら、唾がマスクの所に付着してました。

あぁ、やっちまった。汚い(涙)  すぐに水場に行って、洗いました。

無意識ながらの行動は、時にとんでもないことをやらかします。恐ろしい(笑)

 

身体を動かすことは大事

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おはようございます。住職です。

自主隔離生活をしており、寝れない日々を過ごしていたのですが、妻から身体を動かしていないからだ

と教えてもらい、早速昨日植木の刈り込みをしたのです。3時間ほど。

すると、熟睡できたかのように今朝は寝た感があります。それでも、5時前に目が覚めてしまった。

そんなわけで、やはり在宅自粛生活が続くと、身体的影響もあることが判りました。

閉じ籠る生活を大学院生時代に経験(勉強の為)し、こんな生活も悪くない!と感じた私でも、

今回の隔離生活で不調になるのです。もっとも、精神的には全然大丈夫。問題は身体的影響。

やはり、適度な運動というものが大事なのですね。

それを考えれば、東京の狭い空間で自粛されている方は大変でしょう。やることがなさそう。

今回の件はまだ先が長そうだし、未知の世界です。どうなることやら。

皆さん、もしよかったら、西照寺で植木の刈り込みや草むしりなど、やりに来てください。

運動しないと

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おはようございます。住職です。

2月下旬から築地本願寺に通勤することを自粛し、お彼岸後からは私生活も自粛に入り、

ここまできました。あっという間に、私生活の自粛も1ヶ月近くになろうとしております。

ずっと閉じこもり生活が基本となり、いよいよ変化がでてきたように感じてます。

寝れません!

驚くほど、寝れないのです。熟睡できない。

妻からは「動いていないからだよ」と言われました。確かに。

これまでも動く方ではなかったし、運動をしていたわけでもありません。

しかし、外出することが多かったです。築地に通勤すれば、5千歩~1万歩ほど歩いていたし

(携帯のヘルスケアのアプリでみてる)、意識的に駅では階段も利用していました。

そんな日が週に2~3日あったわけです。それが2か月ほど、ほぼ通勤していないわけです。

そりゃ、運動不足かもしれないな。と思っています。

もちろん、自坊は田舎で広いから、やることだらけ。今は植木が伸びているし、植木の剪定や草むしり

だってできる!境内を散歩したり、色々できるのです。今この事態においては、大変恵まれた環境です。

しかし、今は自主隔離という名に甘え、運動を疎かにしてしまってたのです。

運動するか!

どうすれば!?

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

最近よく雨が降りますね。今日も朝から雨。土曜日もかなり強い雨。春は雨が多い気がします。

それにしても、こんな記事を見ると、何ともできない気持ちになります。

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6357662

日本テレビ系さんのニュースを添付させていただきます。シェアですね。

正直思うことは、違和感ある人にはPCR検査が簡単にできるようにして!と思うことと、PCR検査を

たくさんやって、感染者を炙り出して!と勝手ながらに思いました。そうでないと、どうにもならない。

以前、私が葬儀社さんから聞いた情報だと、亡くなった場合、死因を確定する為に医師の死亡診断書が

必要になります。それは、死因が感染症かどうかを確認する為。だから、感染症の場合はわかる!との

内容でした。

しかし、このニュースを見れば、仮に新型コロナに感染していても、死因が心不全だったりした場合、

検査されることがないから、感染していることが判明しないまま、ご葬儀になる場合もあり得そうですね。

感染症の場合、専門の葬儀社さんがおられるし、火葬場も指定されており、火葬時間も平時の火葬時間とは

分けて、特別に火葬されます。しかし、それらは感染していることが判明している時。

感染が判明しないで、普通に葬儀が行われているケースは十分あり得そうですね。

その場合、感染の可能性が強くなる方は、ご遺族や葬儀社さんでしょう。

ご遺族や葬儀社さんが感染してしまえば、そこから派生して、お坊さんや火葬場の職員さんも。

葬儀の場合、もうこんな事態だから、私は感染覚悟でお参りさせていただいてますが、

それが引き金となって、知らない間に、他の方々に拡散してしまう可能性の方が怖いですね。

実は今も、私は自主的完全隔離生活(1週間隔離して様子見)をしているのですが、もしこの間に

新たなお参りでも入ったら、困ってしまいますね。

現時点で、何の症状も出ていませんし、そもそも感染してないとは思っているのですが、ウイルスは

見えないし、わからない。影響が周りに拡がらないよう行動することが大事だと考えての自主隔離です。

正直、徹底しています。行動変容が大事だから。しかし、限界はあります。

こんなニュースを見ると、余計に感染覚悟しますし、自主隔離生活が日常となり得そうです。

リアルとネットの違い

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こんにちは 住職です。

今日もとても良い天気。素晴らしい陽気です。

私はこの時期(新緑が清々しい頃)が一年の中で一番好きです。

特に、西照寺は森の中にあるお寺なので、周りは木だらけ。

今、西照寺は新緑に囲まれたお寺となっています。

こんな感じです。この写真よりも、現場はもっと綺麗。最近の写真はよく撮れるのですが、現場の臨場感

までは写さないですね。現場はもっと清々しいし、光っている。新緑も神々しいというのか、輝いていま

す。まさに、命の伊吹!

因みに、本堂裏も写してみました。

こっちの方が、新緑が近くですね。でも、この写真も私からすると、今一。もっと綺麗。

どうしても画面を通すと、現場の臨場感や生々しさ、あるいは視覚では感じられない「何か?」が伝わらな

いのです。これはネットでも同じですね。

考えてみれば当然ですね。私が今写真で新緑を紹介してますが、画面を通じて確認できることは、現場の見

た目。色とか明るさなど。

しかし画面に写ってない部分で、当日の温度や、太陽の日差しの温もりや、空気の冷たさとか。あるいは、

空気のおいしさとか、森の香り、鳥の鳴き声や森の中の音(静寂とか)もあります。

これらは視覚ではない部分で感じることなので、なかなか写真では確認できません。

しかし、現場の新緑の美しさは、それらが相まって、美しさを何段階にも引きあげている。

感動は現場にしかない!のであります。

今、このブログで写真で伝えようとアップしたんだけど、どうも伝わらないんだな。と思っています。

更新している私が、伝わってないなぁ。と思える程の違いなのです。全然ダメ。現場はもっと綺麗。

私は近年、縁があって芸術を楽しんでいます。これまで私が一番縁遠いと思っていた芸術が、思いもよらな

い縁にあって、今、結構身近になっています。芸術には正解なんてものがない。自由だったのです。

これまで芸術というのは、正解があって、私にはセンスがないので、その正解が理解できないと思ってまし

た。そしたら、完全な勘違い。芸術は○×があるのではなく、自由に感じたまま楽しめばよいのです。

それを知ってからか、色々なことに気づけるようになってきました。

だからこそ、上記、写真に写らない部分に気づくことができたのだと思っています。

これはとても大事で、今、こんな事になって様々なことがネットを通じて進められるよう変化してきてい

ます。しかし、視野が狭いまま環境を整えてしまうと、もしかしたら人間にとって悪い方向に進む可能性も

ありますね。視野を狭めず、大きな視点で変革を遂げていく必要があると思っています。

ネット会議は便利だし、私は推奨している派なのですが、直接会って会議するのと、画面を通じて会議する

のと、何が違うのでしょうか。熟考してみる必要があります。

(因みに、直接集まる現場会議は、参加者が意見を言わない。その場の雰囲気で進む。目くばせができる

。どちらかというと、水面下のやり取りの方が大事。長時間のダラダラ会議となる。会議後、コミュニケー

ションがでてくる)

(対してネット会議だと、参加者に意見を求めやすい。現場じゃないから、場の雰囲気がない。進行役が重

要。時間が決まっていてよい。会議後のコミュニケーションが取りずらい)

そんな違いのように感じています。う~ん。やっぱり後者の方がいいんじゃないか!?