龍谷の起源

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こんにちは 住職です。

昨日の続きとして、一点だけ注意点を綴ります。

そもそも浄土真宗という宗派のお寺は、別日に詳細は綴りますが、僧侶が修行する為に建てられているお寺

ではありません。

むしろ、民衆と共に念仏を慶ぶ(よろこぶ)為の場所としてお寺があるので、山にはないのです。

民衆が集まりやすい町にあるのです。人里の中に建てられるべきお寺が、浄土真宗のお寺です。

ですから、他宗派のお寺とは、お寺の役割が異なっているのですね。

そのような理由で、基本的に浄土真宗のお寺には山号は不要なのです。だって、山に無いんだから。

だから、浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺には、そもそも山号はなかったのです。

しかし、近年、他宗のお寺にはそもそも山号があった!という認識のもと、だったら山号を付けよう!

となって、龍谷山本願寺と山号が付けられました。数年前の話しです。

この「龍谷」の起源は、実はオオタニという地名を表している文字なのです。

すでに、今はない漢字なのですが、左側に「谷」と書いて偏(ヘン)とします。そして右側の旁(ツクリ)

に「龍」と書いて一文字とします。つまり「谷龍」と書いて、一文字だったわけです。

その一文字を「オオタニ」と昔は呼んでいて、地名だったのです。鎌倉時代の話しです。

親鸞聖人がご在世の当時、今の京都の清水寺の近く、現在の大谷本廟がある地名が「オオタニ」。

現在は「谷龍」という一文字はありませんから、あえて偏と旁に別々に分けて、龍谷(リュウコク)とした

のですね。

本来であれば、谷龍(コクリュウ)っぽいですが、谷龍より、龍谷の方が響きも良さそうですね。

なぜ、谷龍ではなく、龍谷にしたのかまでは、私も知りません。でも、そのような理由で龍谷と使われる

こととなったのです。

さて、この「オオタニ」の地に、親鸞聖人のお墓は建てられました。

最初のお墓は、小さなお堂だったそうです。

「オオタニ」の地に、親鸞聖人のお墓のお堂が建てられました。

これが現在の西本願寺の起源となります。つまり、「オオタニ」の地から本願寺が始まったわけです。

ですから、浄土真宗本願寺派では、龍谷という字を大事にしているのです。

私の母校も龍谷大学ですしね。

「オオタニ」は、西本願寺にとって、根本となっている地名なのですね。

因みに、西本願寺の御門主(ご住職)は「大谷」という苗字を名乗られています。

おそらく、「谷龍」と関係しているのだろうと思われます。

因みに、東本願寺が本山となっている浄土真宗大谷派(お東)は、龍谷は使えないのです。

本願寺派が最初に使ってしまっているからです。

ですから、「大谷」を使用しているのだろうと思われます。

私なんか逆に、谷龍(コクリュウ)と使ってしまえばよかったんじゃないのかな!?などと思ってしまいま

すが、それは安易なのでしょう。

たまたま、西照寺のある地名も大谷なので、やっぱり山号は大谷山が良いなぁと私は思っています。

イレギュラーな山号

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こんばんは 住職です。

今日はお彼岸の中日です。秋分の日。西照寺では、お彼岸の大法要を勤めました。

コロナ禍となって始めて、本堂内に椅子を設けて着座できる形で行いました。

もちろん、距離をあけて椅子を設けた為、人数制限となりましたし、扇風機などを利用し換気に注意を払い

徹底できたと思います。マスク着用に、手消毒、体温測定なども行いました。

ご参拝の皆様は大きな声も出さないので、大丈夫でしょう。

さて、昨日の続きですが、今日はぶっちゃけトークをしてみます。

昨日、お寺の山号の意味を綴りましたが、お寺の中には、本来の山号の意味ではなく付けられている山号も

あります。

言わなくてもいい事ですが、西照寺の山号がそれです。

西照寺の山号は雲龍山とつけています。しかし、そんな山はありません。

先代住職が勝手につけたものです。(笑)

因みに、山号は勝手につけてもいいのです。国などの正式な登記名称には、だいたい山号までは登録されて

いないからです。勝手に言っているくらいの感覚です。

そもそも山号の意味は、住所の役割でつけていたものですので、古くからある(1000年位前からある)由緒

正しいお寺には普通についているものなのです。

しかし、もっと新しいお寺。つまり300年以内の歴史のお寺であれば、お寺業界からすれば、新しいお寺な

のですが、そんなお寺には山号はないのが普通です。

その頃になると、山が住所の意味合いを表すことも無くなってきたからだと思われます。

しかし、お寺の世界の中では、古くからあるお寺には山号があって、山号があることが、ブランドみたいな

感覚があるのですね。

ですから、お寺業界の中には、今でも山号があるのは由緒あるお寺なんだ!みたいな、不思議な感覚がある

ので、新しくお寺を創建した住職は、意味もわからない山号を付けたがるのですね。

こんな事をされると、一般の人からすると、山号の本来の意味がわからなくなるのですね。

その果てに、逆にお寺の僧侶でさえ、山号の本来の意味を知らない人は結構多いのだろうと思います。

僧侶もわからないから、勝手に山号を付けてしまう!という状態になってしまうのでしょう。

この場合、山号の謂れは、何となくの感覚で付けているのだろうと思われます。

ですから、皆さんもそれぞれのお寺の山号を意識してみてください。

全然聞いたことない山号であれば、本来の山号の意味から逸脱したものだと思われます。

因みに、西照寺であれば、ここは大谷という地名があるので、大谷は山ではないけれど、山号をもしつける

とするならば、大谷山とつけるべきでしょう。

私が住職の間に、可能であれば大谷山と山号を改めようかと思っているほどです。

なぜ、すぐにやらないのか!?と言われると、先代住職がすでにパンフレットなどに雲龍山と明記して

しまっているからなのです。そうすると、変更したとしても全てを直さないといけないので、影響が大き

い。( ;∀;) 

山号(サンゴウ)の起源

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こんばんは 住職です。

またも、夕刻の更新となってしまいました。

さて、昨日の続きです。

最澄や空海は遣唐使として中国に渡り、実際の中国仏教を見てきました。

そこで大事にされていた戒律や修行を知って、それを日本に持ち込んだのです。

だから、お寺を山の中に建てたのです。

この時代から、お寺は僧侶の修行の場としての役割が強くなります。

この影響から、だいたいお寺は「〇〇山〇〇寺」などと呼称されるようになるのです。

例えば、比叡山延暦寺。高野山金剛峰寺。などです。

「〇〇山」というのは、山号(サンゴウ)と言われるものです。

どうして山号があるのか?と言えば、当時からお寺は山の中に建てられていたので、住所の意味で山の名を

お寺の名前の前に付けていたのです。

例えば、当時何かの集まりで僧侶が集った際、「あなたはどこから来たのですか?」などと聞きますね。

その場合、お寺の名前だけ言ったのではわかりません。

どこそこの山にあるお寺です!と山号とお寺の名前を言うことで、通じるわけです。

今で言うならば、全国の人が集う集まりがあった時、同じ班に振り分けられた初対面の人が、自己紹介する

場合、「〇〇県の〇〇市から来ました」と言えば、市の名前まではしらなくても、県を知れば通じますね。

これと同じです。

因みにプチ情報ですが、「〇〇山〇〇寺」と名乗っているお寺が多いのは、そのような歴史があるのです

が、時に知らない山の名前が付いていることが結構多くあります。

そんな山ないだろう!?と思ってしまうのですが、結構多いのです。

そのような場合、山の名前ではなく、住職の苗字が山号になっている時もあるのです。

これはもっと、時代(平安時代よりも)が下ってからの応対として、そのような場合もある!ということで

す。

もし住職の苗字が山号として付いていれば、それはそれで由緒あるお寺です。

最澄様や空海様の時代のお寺の役割

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こんばんは。住職です。

昨日の続きとなります。

そもそも、日本のお寺の発祥は、聖徳太子の時代でした。そこには、お寺の役割として、

人々の苦しみに応対する機能があったのです。

その後日本に仏教が色濃く根付く時代が、平安時代。

空海様や最澄様(以下、敬称略)が登場した時代です。

700年代後半頃でしょうか。

この頃になると、比叡山や高野山などにお寺が建てられます。

比叡山では延暦寺(天台宗)が、高野山には金剛峯寺(真言宗)が建てられます。

私の理解では、この頃からお寺は人里離れた山の中に建てられていくこととなります。

これには理由があって、人里にお寺があると、欲望の刺激が沢山でてきます。

例えば、女性を目にする機会がでてきてしまいます。食事に関心を奪われえる機会もでてくるでしょう。

世間の騒音に気が散る機会もでてきます。

これら、人里にお寺があると、お寺で修行する僧侶の気が散ります。修行に相応しい環境ではないのです。

だから、人里離れた山の中にお寺を建て、僧侶が修行に専念できる環境を求めることとなっていきました。

最澄や空海は、中国から仏教を日本に持ち込み、戒律や修行という面を強調することとなったわけです。

ここが聖徳太子の時代と異なる点です。

聖徳太子の時代は、日本に仏教が入ってきたのですが、まだ戒律や修行という側面が強くなかった。

仏教の教えは入ってきたけれど、戒律を守る!修行をする!という実践面はまだ強くなかったのだろうと思

われます。

ですから聖徳太子の時代は、教えに基づいた苦しみへの応対に、お寺としての役割が用いられたのだと思わ

れます。

しかし、最澄や空海以降、鎌倉時代までは戒律や修行の側面がお寺の役割に強く影響を及ぼしてくるので

す。

お寺のそもそもの役割って!?

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おはようございます。住職です。

9月に入ってからというもの、連日雨が続き、肌寒い日も多く、秋になった!と思ってました。

ところが、秋のお彼岸になって、暑さが戻ってくるという、何とも不思議な陽気です。変なの。

さて、コロナ禍でのお寺の活動も、時代に合わせて適合していくべきだと考え始めました。

コロナ以前であれば、お寺に如何に人が来て下さるか?を考えました。密をつくることがお寺の活動

だったわけですね。ところが、コロナによって密を避けねばならなくなりました。

すると、そもそもこれまでのお寺の活動の基盤が崩れてしまう訳です。困った。

そこで、そもそも論として、お寺の基本的な役割を振り返ってみて、確認することが大事じゃないか!と

私は思い始めました。

さて、ここからが大変そうなのです。正直、ぶっちゃけトークも入ってくるから。

というのも、理想と現実という点を直視しないといけない場面だってでてくるからなのです。

内心を言えば、正直こんなことを綴らなくってもいいのです。いや、綴りたくないし。

しかし折角のブログですしね。私のぶっちゃけも、そのまま伝えられるし、これを見てくださっている

方にも見ごたえないとつまらないでしょうしね。 だから、ぶっちゃけに挑戦してみましょう。

そもそも論としてお寺って、歴史が古いけど、最初はどんな目的で設立されたの?という事から確認してみ

ましょう。

日本でお寺が誕生したのは、聖徳太子の時代ですね。法隆寺(斑鳩寺)、大阪の四天王寺、飛鳥寺などが、

その頃できたお寺で、今も残っているのですから、もう1000年以上古くからあるものです。

聖徳太子といえば、604年に制定されたといわれる、憲法17条が有名ですね。

だから、600年頃からお寺ってあるわけですね。

そう考えると、お寺って1500年近く、ずっと日本にあることになります。古!!!

当時のお寺は、決まった形がありました。境内に、4つの建物があることが基本形。

本堂(金堂)と塔(五重塔とか)と講堂と中門、それらが廊下で繋がっていたり。法隆寺がお手本ですね。

これらの建物を利用して、活動を行っていたようです。

主に活動内容を調べてみると、例えば、大阪の四天王寺には、四箇院という施設がありました。

①敬田院、②施薬院、③療病院、④悲田院、と言われています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA

①敬田院=教えを学ぶ院  ②施楽院=病人に薬を施す院 ③療病院=病気を治癒する病院  ④悲田院=

養老院ということです。つまり、そもそも病院も薬局も老人ホームもお寺にあった施設なのです。

聖徳太子の建てられた四天王寺には、仏教を伝える以外にも、人々の苦しみのケアをする施設として

成り立っていたのですね。

さて、なぜこれらの施設がお寺にあったのか?というと、簡単です。仏教の教えと関係があるからです。

仏教は、苦しみを超える為の教えです。ですから、人間の苦しみというものに視点をあてるのです。

四苦八苦(シクハック)という言葉を聞いたことありますか? 私の年代以上であれば、当然の言葉ですね

。「いろんなことに四苦八苦している」などと、言ったりします。つまり、いろんな事に苦しんでいる!と

いう意味ですね。四苦八苦は、人間の根本的な苦しみの代表例として仏教で説かれるものなのです。

仏教で説かれている四苦八苦の四苦とは、「生老病死」の事です。

「老いる苦しみ」、「病気になる苦しみ」、「死ななければならない苦しみ」、これらの苦しみはどうして

起こってしまうのか?と言えば、私として生まれてきてしまったからだ!ということで、「生まれてきた苦

しみ」ということです。

これらの苦しみを超えていく教えこそが、仏教であり、超えた境地が成仏なのです。

だから、私たちが問題として抱えている苦しみについて、応対しないといけないのですね。

そんな理由で、聖徳太子は四天王寺を造った時に、上記の四箇院の施設を設けました。

そもそも、日本では病院も老人ホームも、お寺にあった施設なのです。それも1000年以上前から。

今では、病院も法人ホームもお寺と結びついてないでしょう。それぞれ独立しているから。

人々のイメージも、お寺が病院や老人ホームを経営していたら、何か怪しい!と思うかもしれません。

でも、元来はお寺にあったものなのです。今では、それらはお寺の活動から剥ぎ取られてしまった

わけですね。

お寺に残った機能は、敬田院です。つまり、仏教の教えを学ぶ場所!という役割。

さてさて、長くなったので、今日はここまでにします。続きは明日以降です!

コロナとの共生3

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おはようございます。住職です。

台風一過で、久しぶりに、とても天気が良い朝を迎えています。

さて、「コロナとの共生」ということで、お寺も例外なく、コロナの影響を受けていますので

今後は、どのように対策していこうか!?を考えて、実践していかなければなりません。

コロナ以前と以後で特に変わった点といえば、「密を避ける」ことだと思います。

そもそも、お寺は人が集まる場所としての機能が強く、例えば、ご葬儀やご法事でも知人や親族が

集います。コロナ前から、バブルの頃よりも、参列人数が減っていたし、流れ的にはコロナがあろうが

なかろうが、少人数化していたわけですが、コロナによって拍車がかかった印象です。

仏事以外でも、お寺では催しを行ってきました。

西照寺であれば、夏にやっていた「西照寺こども祭り」や近年新たに始まった「文化財鑑賞会」なども催し

です。カラオケもやっていました。

これらは、不特定多数の方に来ていただく事で、盛り上がる行事であり、意義深くなる催しでした。

しかし、コロナ禍になると、特に不特定多数の人を集める行為は、注意が必要となります。

また、「お盆」「お彼岸」「報恩講」「法話会」など、門徒さんを中心とした共益行事もしづらくなりま

した。密をつくるからです。

こう考えていくと、これまでのお寺の活動は、多くの人がお寺に来て下さることを大事に考えていたのです

。ですからコロナ禍以降、「密を避ける生活様式」が推奨されるようになった事態は、これまでのお寺の

活動を見返してみると、大きな影響を被る事態ということがわかります。

しかも、コロナは「間もなく過ぎ去ってくれる!」というような感じでもなく、共生していかざるを得ない

ような感じになってきています。

となれば、早いところ、お寺もコロナに適合していく環境を創り出していかないといけないと思います。

これまで、そんな事を考えたこともなかったし、逆に密を作ることこそが、お寺がやっていくべき役割!

みたいな流れさえあったので、逆に振れるとなると、結構難しいものですね。

恐らくですが、私的に、ここで最大のポイントとなることは、お寺の本来の役割を確認することだと思う点

です。西照寺が行うべき役割!これを確認することが一番大事。その次に、その役割は、密を作らなくても

実現できるようなものなのか? 密をつくらなくても実現できるとすれば、どこに可能性があるのか?

という事を探っていくことでしょう。

残念なのは、密を作らないと実現できない!という場合です。これだと一気に厳しくなりそうな感じです

ね。

しかし、まぁ、ものは考えようで、必ず密を避けながらもできることはあるはずなのです。

そこが個人個人の考え方次第。あとは実践あるのみだと思わされます。

ど忘れ

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こんばんは 住職です。

昨日も更新を忘れていたみたいです。今日も忘れていたのです。

そして、夕刻(現在17時半)になって、書斎のPCに向って作業をしていたのですが、

ふと、ブログ更新しなきゃ!と思い出したのです。

私は毎朝ブログ更新をしているので、昼過ぎになると、ブログを意識することはありません。

これは10年前からの習慣なので、自然とそうなってしまっています。

でも不思議なもので、数日更新が途絶えると、夕刻でも頭にブログの事がよぎってくるようになってきまし

た。凄い! 自分でも驚きです。

ここ最近、「コロナとの共生」というテーマで綴っていたのですが、大事な更新を忘れてしまい、今も

本来のテーマで綴ることなく、まるで日記のように書いてしまっていますが、明日から「コロナとの共生」

について、再投稿しなおさなきゃ!と思いなおしました。

明日は、ご法事が勤まりますが、改めて更新させていただきますね。(@^^)/~~~

異宗派勉強会

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おはようございます。住職です。

ようやく体調も落ち着いてきたような気がしてます。もう少し様子見はしたいと思います。

昨晩は、日蓮宗と浄土宗の同年代のお坊さんと4人で勉強会をしました。

万一、お通夜を勤めたとしても、大丈夫であろう時間帯、21時スタートの勉強会です。

私は浄土真宗なので、皆さんバラバラな感じですが、皆さん共通して宗教者なので、話題があうのです。

因みに、宗教者と書きましたが、「救い」を求めて「教えの学び」や「修行」と向き合っているタイプのお

坊さんという意味です。だから、話していても会話があうのですね。宗派が違うけど、お互いを批判するわ

けでもなく、お互いがわからない部分を聞きあったりして、敬意があるのです。

年齢的にも、同世代(45~50歳くらいの間かな?)なので、交流もしやすいのです。

勉強会のテーマは、「南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経」という書物を輪読しながら、所感を言い合う!みた

いな会です。南無阿弥陀仏では法然聖人(浄土宗の宗祖)を取り上げ、南無妙法蓮華経は日蓮上人(日蓮

宗の宗祖)を取り上げ、お互いを比較していく! そんな内容の本となっています。

だから、日蓮宗のお坊さんが二人、浄土宗のお坊さんが一人。そして、なぜか浄土真宗の私が一人。となっ

ているのです。私からすれば、日蓮宗の教えは、不勉強なのでよくわからない部分があります。お題目って

何?(つまり、南無妙法蓮華経って何の意味があるの?)みたいな感じですね。

一方の浄土宗は親鸞聖人のお師匠様である法然聖人の教えが基盤ですから、当然似ている部分があるし、

そもそも私も法然聖人の書物を読んでいますので、基本的な理解はできていると思っています。

ただし、そこに宗派的な色がでてくるので、そこに対しては理解が不足している部分はあります。

それぞれの宗派の状況や、あるいは教えの理解などを教えてもらえるので、とても勉強になるし、面白い

です。

一般の皆さんからすれば、宗派の違うお坊さんって、交流あるの?ないの?と思われるかもしれませんが、

ほぼ交流はないです。あったとしても、地元の仏教会のお付き合いがあって、交流がある!とか、そんな

繋がりがある場合のみだと思います。特に、宗派を超えて勉強会を!となると、かなり熱心なお坊さん

のみでしょう。ある意味、異端です。

私が異端なのか?となるのですが、まぁ異端でしょうね(笑)

そもそも私もこの会に参加した背景には、誘われたから!なのです。主催する日蓮宗のお坊さんがお誘いく

ださったからなのです。

私が昔、お寺の経営について勉強する為に参加した「未来の住職塾」というお寺の経営塾があるのですが

そこを通じてのご縁で、知り合った方なのです。

以来、日蓮宗のお坊さんには、とてもお世話になっているのですが、その流れから、今回のような会に参加

させていただける機会を頂いたのです。

でも、皆さん、お互いに敬意を持てる方々ばかりなので、素敵です。とても面白い。

そんな勉強会も、なんだかんだ言って、いつも23時半くらいまで続きます。昨日も、そうでした。

この会は不定期で、主催者の方から、「そろそろやりますか!?」と連絡がきて、日程調整して行います。

だいたい2~3か月に一度くらいの頻度かな。

運動と咳喘息

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おはようございます。住職です。

腕が痛い! まだ若干ですが腕が痛いです。 ワクチンは左腕に打ったのですが、昨晩寝る際、

左腕を下にして、体位を横向きにすることができませんでした。痛いな!と思いました。

皆さんが言っていたことを体感しました。確かに筋肉痛に近い痛みでありながら、寝るときに感じた痛み

としては、腫れているような痛みでした。

今日は腕が上がりますが、若干腫れているような痛みが残っています。

しかしそんな中、最近は天気も安定してきたので、そろそろ運動でも再開しようかな!と思っています。

実は9月に入り、運動は控えているのです。雨が続いたことと、咳喘息を警戒しての理由から控えていま

す。しかし、連日続いていた雨降りの日も収まり、運動に最適な気候になったこと。さらに、最近食欲がで

てきてしまった事。これらを合わせて、そろそろ運動再開しないと!と思い始めています。

しかし、若干ですが体調的な不安もあります。咳喘息の際の特徴なのですが、背中が痛くなります。

私の場合は、左肺の裏側あたりに痛みを感じるのですが、どうも、最近その症状が出たりでなかったり。

昨年、9月と年末(1月?)に運動をしていながら、咳喘息を発症し、お医者さんにお世話になったのです

が、年末の診察時に先生から、過去の診察からもこの時期に咳喘息が出やすいですね。

もしかしたら、何かのアレルギーがあるかもしれませんね。次回再発したら、検査をしてみましょう!と言

われました。以降自分なりに、秋から冬は危険要素が詰まっているのかも!?と思って、今年はこの時期の

運動に気を付けることにしています。結果、9月から運動を控えているのです。

運動を控えながらも、咳喘息を発祥したら、アレルギーの確立が高くなりますからね。

そこで、運動を控えながら、体調をかなり気にしているのですが、背中の痛みが気になります。

若干、咳もでるし。発熱はしてません。

そう考えると、もしかしたら、軽い風邪をひいた可能性もあります。実は母親も咳がでる!と言っていま

す。私も母親と同じような症状だったので、コロナではなく風邪かもしれない!と思っています。

咳喘息の場合、大きく息を吸い込むと、肺なのか、気管支なのかわかりませんが、耐え切れなくなって、咳

き込むのです。そして背中が痛い。さらに、ちょっと酷いと朝起きると、かなりの倦怠感を感じます。

それらが特徴なのですが、今は稀に背中の痛みを感じる時もありますが、深呼吸しても大丈夫だし、

倦怠感もありません。そして、母親などの症状ともかなり似ているので、風邪かもしれない!と思ってま

す。このような体調が万全でないときに、運動すると、必ず咳喘息を再発します。なので、そこだけ今は

注意しているのです。本当に調子が万全になったら、運動を再開させようと思います。

準備万端にする為には、10月くらいになるかな。

ワクチン接種1回目。

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おはようございます。住職です。

昨日、1回目のワクチンを打って頂きました。ファイザー製です。

注射打って、1分くらいしたら、何だか身体に違和感が。。。

私的な言葉で言えば、調子が悪化するか、このまま改善していくのか、不安定な時の体調

のような感じになりました。打った直後に、この感覚になったので、「え?これはもしかして・・・

もあり得る???」と思ってしまいました。接種会場には、多くの若い人がおられました。

実は、私が注射を打つ直前に、私の座っていた場所の左側の一画で、パーテーションで見えなくなっている

エリアがありました。すると、突然パーテーションが開いて、ストレッツチャーに横たわっている男の子

が見えたのです。「あ!これ、調子悪くなったんだ。アナフィラキシー???」と一瞬思いましたが、

アナフィラキシーだったら二人付添っていた看護師さんとか騒いでるでしょうし、特に慌ててなかったし、

男の子も意識があり、応答していたので、大丈夫になった頃合いだったのでしょう。

それを見た直後、今度は若い10代の女の子が、親御さんに連れられて別室に運ばれていきました。

明らかに、顔面が青ざめていて、調子悪そうだったので、これも副反応だな!とわかりました。

その直後に、私の注射だったので、ちょっと気分的な問題もあったのかもしれませんね。

さて、注射を打ち終わり、違和感を覚えたまま、会場の待機椅子に座って、20分様子見しました。

会場で配布された説明用紙には、「15分から30分を目安に待機」みたいな指示があったので、20分

様子を見て、特に変化もなかったので、違和感は続きましたが、病院をでました。

以後、安静にしながら自宅で休息してました。数時間後、違和感も少し落ち着いてきたので、一安心。

今朝目覚めると、腕が少し痛い。特に腕を横に挙げていくと痛いです。まっすぐに上げる分には問題ありま

せん。皆さん、2回目で発熱など副反応がキツイと聞きますし、もしかしたら、私も2回目の副反応は

ありそうな気配を感じ、ちょっと嫌だな。と思いました。