日本文化の特徴③

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おはようございます。住職です。

昨日のブログとは別な視点で、不勉強な私が思うことですが、不思議に思うこともあります。

それは日本語と英語の一人称・二人称を表す言い方です。

一人称とは、「自分」のことを呼ぶ言い方です。

例えば、日本語であれば「私」「自分」「ぼく」などです。英語であれば、「I」でしょう。

二人称は、日本語であれば「あなた」です。英語だと「YOU」です。

ただ、ここで不思議なことがあります。

日本語の一人称は、時に二人称ともなり得る!ということです。

例えば、相手に対して「自分、お腹空いてる?」と聞く場合、時としてありますよね。

日本人であれば、まあ通じなくもないですね。

しかし本来は、「あなたお腹すいてますか?」でしょう。

また、一人称で「我」ですが、乱暴な言い方として、相手のことを「われ、なにしとんじゃい!」なんて言

うこともあります。

「ぼく」についても同じです。

一人称の「ぼく」ですが、それを「ぼく、お腹空いてる?」などと小さい男の子に言う場合があります。

何が言いたいかと言えば、本来一人称を意味する呼び名を、相手方、つまり二人称として用いてしまう事が

あるのです。

また、それで意味も通じてしまうのです。でも、英語ではそんなことはあり得ないでしょう。

「I」は一人称のみです。二人称は「YOU」。別なのです。

これらを考えて見ると、もしかしたら日本人は、相手の立場に自分を置き換えてしまうことが、文化の中に

あったのではないか!?と、つい思ってしまうのです。

なぜなら、英語ではあり得ない表現だからです。

考えすぎかもしれませんが、欧米文化では、個別主義ですから自分と相手は別人格。

当然ですね。しかし、集団主義をとってきた日本は、もしかしたら自分と相手との境界線が、欧米文化より

も低い可能性があるのではないだろうか!?とさえ思うのです。

その証拠が、相手の立場に自分を置き換えてしまう!という表現方法。

一人称を二人称にしてしまう!という表現方法。ここに感じてしまうのです。

また、その表現方法に私たち日本人は、違和感を覚えない、自然と受け入れてしまえる素地が、今の私達に

も残っている可能性さえあると思えてきます。

相手の事を自分に置き換えて考えることができる。

これも、もしかしたら日本人としての特徴かもしれません。

さらに言えば、欧米人には真似できない特徴なのかもしれません。

日本文化の特徴②

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おはようございます。住職です。

昨日ブログに綴った集団主義の名残りは、個別主義となった現代日本の中でも確認できるような気がします。

例えば、会社の社員が犯罪を犯したとします。特に問題が大きくなれば、社長の責任が問われてきます。

この感覚が顕著に表れるのが、今の政治です。

大臣がミスや不正、罪を犯せば、任命責任として内閣総理大臣が責任を追及されます。

これは地方自治体でも同じようなものでしょう。

理屈上は、任命責任という言葉で総理大臣の自己責任を問う形かもしれませんが、おそらく感覚的なものと

しては、旧来型の日本の文化、つまり、長が責任を取る!との感覚を引きずっているのかもしれないと思わ

せます。

一方の、それを見ている私たちの感覚も、それが当たり前のように、当然だと思うようになっていますね。

しかし、伝統的に個別主義であるアメリカはどうなのでしょう?大統領が任命した人がミスや不正、罪を犯

したら、大統領は任命責任を問われて辞職をすることもあるのでしょうか?国民から、任命責任を問われる

のでしょうか?

アメリカの事はあまり知らないので、断言できませんが、あまりそんな話を聞いたことがないですね。

個人が犯した不正であれば、個人が責任を取り辞任して終わりだろう!みたいな感覚だと思います。

日本文化の特徴①

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おはようございます。住職です。

そもそも長らく日本社会に根付いてきた武家社会は、個別主義だったと思いますか? 

おそらく今の私たちと同じような個別主義ではなかったでしょう。

個別主義(言い換えて個別社会)ではなく、家主義(家社会)でした。

もう少し拡大解釈すれば、一族主義(一族社会)だったはずです。

日本ではそんな武家社会が700年ほど続いてきたのです。

歴史の授業で、「武家社会の時代は自己責任が普通でした」のような話しを聞いたことがあるでしょうか? 

実際は知りませんが、歴史の授業で習ったところでは、家族の誰かが犯した過ちは、家長が責任を取る!よ

うな感覚を習いました。

家来の犯した罪は、主である殿様の責任!と教えてもらったような記憶があります。

おそらく、武家社会の日本は個別主義ではなく、連帯性をもった一族主義、あるいは集団主義みたいな感じ

だったと思われます。

だからこそ、一族の長や集団の主であったお殿様は強い責任感をもっていたでしょうし、常に「命がけ」の

精神であったと思います。武家社会の日本人は、おそらく個別主義ではなく、集団主義だったはずです。

集団の中に自分が居る。だからこそ、常に仲間と一体!という一体感みたいな感覚が当時の常識的な感覚だ

ったのだろうと思っています。

常に誰かと一緒だからこそ、以心伝心のような心の共有的表現まであるのだと思います。

しかし、欧米文化では、以心伝心なんて言葉はないのではないでしょうか?そもそも文化の土台が違うから

だと思うのです。

日本 今後に必要なもの③

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おはようございます。住職です。

残念ながら、日本の現況は、きっと明治期以前の日本文化の特徴(核心)を踏襲していません。

むしろ、明治期に一気に日本社会を近代化させる為、それまでの日本文化を形成してきた核心を問う事な

く、近代化に伴って付属されてきた欧米文化を必然的に受容してしまうこととなったのだろうと思っていま

す。

その歪が今後の日本をさらに悪い方向へと進めてしまう可能性さえあると危惧しています。

因みに、私が思う欧米の文化の特徴というのは、キリスト教に通じるように、個別主義が土台となっている

文化です。個という文化です。

キリスト教は神と私の契約が大事になります。神と私は個として、それぞれが契約をするのです。

神も個人もお互い別個なのです。

だからこそ、欧米の文化の基本は、自分は自分、他人は他人と考えていきます。お互い別人格なのです。

現在の日本人もこちらの感覚ですね。だからこそ、自己責任論がでてきます。

私が悪いことをしたならば、私が責任をとるのだ!という考え方です。

明治期に、日本は近代化と同時にこの価値観が入ってきたのだろうと思われます。

さらに第二次世界大戦後で敗戦した日本は、アメリカの影響を猛烈に受け、さらに著しく社会は欧米思想

(文化)に染まっていきました。

今の日本人の土台には、おそらく明治期以降に受け容れてきた欧米文化が自然と横たわっているのだろうと

思います。

でも考えてみて欲しいのです。もともとキリスト教の影響を強く受けて発展してきた欧米文化を、明治期以

降に日本が取り入れて、同じ土俵で欧米人と勝負して勝てるでしょうか?

勝てるわけがありません。本場は欧米人の方だから。

日本 今後に必要なもの②

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おはようございます。住職です。

世界の潮流は、ビジネスで言えば人口が多い国がフォーカスされます。政治で言えば、経済力と戦力が強い

国が主導権を握るでしょう。影響力も強いですから。

しかし、残念ながら今後の日本は今よりも衰えていく一方です。だからこそ、世界の潮流についていけるよ

うに、今後の日本人は「命がけ」で努力していかなければならないのです。ただそれだけです。

世界の潮流にのれるように努力するのみです。

そして、世界の人を相手に、ビジネスをしなければならなくなります。だから、外国語は必須でしょうね。

取りあえず、私も英語を勉強しないと(-_-;

今後、世界で活躍していく為に、究極的に大事になっていくのは、民族という特徴になっていくのだろうと

私は思っています。

日本人という民族のもつ文化や精神性が、究極的には問われてくるのだろう!と私は思っているのです。も

ちろん、他の民族もその民族の有する特徴を活用して世界で勝負してくるはずですね。

今後は、各国や各民族の特徴こそが物を言う時代に突入していくのだろうと私は予想します。

日本 今後に必要なもの①

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おはようございます。住職です。

それでは、昨日の続きです。

今後の日本人は、より世界の人々を相手に活躍を求められる時代に入っていくと、私は考えています。

数十年後は、日本国内の日本人だけを相手にして生活していくよりも、世界の人々に向けてビジネスを展開

する方が現実的となっていくでしょう。その理由は、日本の人口減少です。世界的にみれば、人口は増え続

けますが、日本だけを見れば、人口減少はとまりません。数十年後は今の半分の人口となっていきます。し

かし、世界では人口が増え続けるので、相対的に日本の影響力は弱体化していくのです。

日本市場も、人口が少ないのですから、相手にされなくなっていくでしょう。昔は海外製の電化製品などを

買っても、説明書は日本語で書かれてありました。今は、アマゾン(ネットのお店)で体温計を購入して

も、送られてきた品物に添えられている説明書は英語と中国語です。日本語で書かれていない。

すでに、日本市場は相手にされなくなってきたのです。英語は世界の標準語として扱われますし、中国は人

口も多く、巨大市場ですから、ビジネスとしても中国人から嫌われたらダメなわけですね。だからこそ、説

明書は中国人が読めるように、中国語でも書かれてあるのでしょう。

今後、日本の人口が減少し続けるのですから、益々相手にされなくなってきます。

日本 近代化で手放したもの

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おはようございます。住職です。

「日本人が大事にしてきた特徴」・・・私が思うその一つは、武家社会の礎ともなっていたであろう、

「命がけの覚悟で生きる」という精神でしょう。換言すれば、諸行無常を味わう感性、文化。

あるいは、連帯性の中で培われてきた一体性。繋がり。以心伝心と言われるような、旧来日本人が有してい

た感覚。少し解りづらいことを言うならば、現代の私たちの普通の感覚である「私」と「あなた」という区

分けが、昔はそこまで無かったかもしれないのです。もっと、「私」と「あなた」が分離していなかった。

ここら辺の日本文化の特徴を手放す契機となったのが、私はおそらく明治期の近代化なのではないか?と今

は思っています。

きっと今の日本は、明治期の変革以後の感覚を踏襲しているのだろうと思うのです。その意味では、もはや

武家社会に根付いていた感性や文化とは疎遠になっている可能性が高い。

今、日本は経済でも技術でも、世界の潮流から取り残されていく方向に向っています。今後は人口も減って

いくし、国際的な影響力も立ち位置もドンドン弱体化していくことでしょう。

日本 近代化の背景②

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おはようございます。住職です。

鎖国を解いて、明治時代に入ると、当然ながら日本も近代化まっしぐら。明治になったら、日本は脱亜入欧

(アジアを脱して、欧州列強の仲間入り!との意味)とのスローガンを掲げて、それまでの社会制度などを

ドンドン改革していくこととなります。

恐らくですが、当時の明治維新を遂げた人々は、日本と欧米の技術力との違いに危機感を持っていたことで

しょう。いち早く近代化を遂げて、欧米の技術力に追いつかなければ、日本は乗っ取られる!と思ったかも

しれませんね。

このような状況ですから、きっと近代化も徐々に!というよりも、ドンドン!という感じだったのかと想像

します。

もはや、これまでのお米を中心とした武家社会の価値観など、一気に忘れさられ、新たな価値観を構築して

いかざるを得なかった時代だったのでしょう。

上記私の仮説がそれなりに当たっていたとして、一気に近代化しなければならなかった日本の状況は、仕方

がなかったのだと思われます。だって、ノロノロしていたら、欧米に日本を乗っ取られる!と危惧する気持

ちだってあったことでしょう。日本(自分達)を守ろうと近代化に必死だったはずですね。

ですから、明治期の大変革は、これまでの日本の良さを精査し、踏襲していこう!となどとの思いもなく、

なるがままに進んだのかもしれません。(もっとも、明治維新を遂げた人々は、それまでの武家社会を解体

したかったのかもしれませんが) その結果、日本人が大事にしてきた特徴が、おそらくこの頃に手放すこ

ととなったのではないだろうか?というのが私の感想です。

日本 近代化の背景①

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おはようございます。住職です。

数日前、公家社会と武家社会との違いを学んだことをブログで綴りました。

そこから派生して、明治期に起こったパラダイムシフトによって、お寺が失ってしまったものなどを

振り返ることができそうな気がしてきました。

ここに、私なりの明確な答えを出すことで、今後のお寺の役割が明確化していくと考えます。

そこで、数日間にわたって久々の連載をしようと思います。

この連載では、最終的に西照寺の今後の活動の方向性の理由が明示されることとなります。

数日間、お付き合いください。

    ~  連載 ① ~

明治時代に入り、鎖国をしていた日本は海外との交流を持ち、近代化に向かうこととなります。

世界では18世紀の後半から産業革命が進んだことで、製鉄業が成長しました。製鉄業が成長すると同時に、

産業革命下で、石炭などを用いて、蒸気というエネルギーを人類は手に入れたのだそうです。

大きな動力を得たこと、そして製鉄技術の進歩によって、大型の船やら汽車などが開発されたのです。

人類はこれまで移動できなかった距離を、機械を使うことで移動ができるようになります。

特徴的なのは、蒸気船を用いて、海を越えて各大陸へ進出できるようになったことです。

人類が蒸気船を手に入れたことで、海を越えて、各大陸間を移動できるようになるような時代に突入したこ

とで、島国の日本にも海外から人がやってきました。江戸時代の幕末は、鎖国を解かざるを得ない状況に陥

りました。黒船来航は、当時の日本人にとってショックだったでしょうね。見たことない大きな船に、見た

ことない人種が乗っているのですからね。海外との技術レベルの違いに驚愕と驚異を感じたはずです。

武士文化

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おはようございます。住職です。

数日前の続きというか、武士社会が終わりを迎え、明治になって日本は近代化に向かいました。

当然、武士の時代が終わりを迎えることとなったので、廃刀となりました。

長らく武士の精神そのものであった日本刀。

日本刀は、数百年続いた日本の武士社会の象徴ですから、換言するなら、日本人の歴史そのものであった

可能性があるのです。つまり、日本刀が日本文化や日本人の精神に影響を与え続けていた時代が、武士社会

だったわけです。そのような角度から見ると、例え茶道。これも武士の精神と通じています。武士道には茶

道の精神性が重要だったわけです。また、昔は家社会です。武士は、家を代表するつもりで常に行動をして

いたわけでしょう。ですからきっと、武士の精神には、家の者を守る! あるいは、仕えてくれる皆を守る

!というような、いわゆる連帯性が強かったものと思われます。だからこそ、家を守る為、家の名誉を守る

為、切腹だってしなきゃならない時代だったと思われます。きっと、一族意識も強かったのでしょう。

もしかしたら、今よりもよっぽど我が身を省みる生活を遂げていた可能性があると、私は思います。

そのような意味で、今よりも精神的に強かった可能性があるのではないか!?と私は思っています。

武士はいつ朽ち果てるかわかりません。いつでも命がけ。そんな環境だったのではないか!?と

想像します。いつでも命がけ!の社会であれば、その社会で発展するのは、緊張感をもった文化。

一瞬の命の鼓動というか、そのような瞬間瞬間を感じる目線で、文化が華咲くのだろうと想像します。

代表的なものこそ、茶道や和歌、あるいは寺院の隆盛だったのだと思われます。

つまり、武士社会は、いつでも命がけを意識する必要があって、それが為に諸行無常を感じやすい

文化が隆盛したのだと思うのです。茶道の一服は一瞬の至福の時であり、その一瞬に全てが凝縮されて

いるかのような。それを茶道全体で、お茶碗や茶室、掛け軸などの備品を通じて、さらに一連の作法による

すべてのコーディネートによって、その一服が生まれる。これを楽しくのが、きっと茶道なのだと思ってま

す。私、茶道やったことないけど。 また、和歌は内容をみると、一瞬一瞬の変化や心持が表現されている

ことが多いと思います。しかも心持といっても、自分を通さないで、自分の心を表現しようとする。

全体の雰囲気というか情景に、自分の心をのっけて表現するのです。ここも日本文化の特質だと思います。

寺院は仏教ですからね。諸行無常を説く場所ですから、そのような時代では象徴的な場所です。

このような文化が、日本では確認できます。しかし、いずれも武士社会が終焉を迎えたことで、一変する

ことになってしまいました。当然ですね。価値観が変化したのだから。

私達日本人は、この変化によって、本当に大事なものを失ってしまった可能性が高いです。

失ったというよりも、見ないようにしている可能性の方が大きい。

それをひしひしと感じるこの頃となってます。

明日は、何を見なくなってしまったのか、続きを・・・