おはようございます。住職です。
今日は西照寺こども祭りの超縮小版、こども夏祭りを開催します。
妻が、幼稚園から小学3年生程度以下を対象に、本当にちょっとした催しを企画し
開催することとなりました。
コロナ禍なので、密を避けるため、一日で人数も10名程度を目指してます。
宣伝もあまりしておりません。ですから、10名も集まるのかもわかりませんが。
コロナも心配ですし、私達も感染したくはありませんし、気を付けています。
ただ、コロナ禍となって2回目の夏。
小さな子ども達は、折角の夏休なのに、何にもできない!状況は可哀想だ!と妻が言い出し、
開催の方向に傾きました。
もちろん、感染対策として、密を作らない(少人数)。換気。手消毒。発熱チェック。マスク。
なるべく大きな声は出さない。を心掛けます。また、もしもの時用に、連絡先など把握します。
さらに、熱中症対策もあるので、冷房を入れて飲み物も用意。
まずは、この程度から始めてみようとなりました。
これに伴って、西照寺の盆法要も今年から着座できるように計画しています。
もちろん、参列者には上記対策を心掛けてもらいます。また、着座される参列者には、ワクチン接種の確認
はさせてもらいます。おおよそ、法要に参列される方々の多くが高齢者の為、ワクチン接種を終えている方
が多いと予想し、今年の盆法要は着座もできるように整えています。
もちろん、私がまだワクチン接種していない為、読経中もマスクは着用し、残念ながら法話は中止です。
暑い中ではありますが、換気は徹底するつもりです。もちろん扇風機まわして。暑いでしょうが。。。
西照寺も、徐々に活動をしていこう!と準備段階に入りました。もちろん、実験的に始めるのです。
現在、東京都の感染者は激増中。感染者のほとんどが、50代以下となっています。中心は若者世代。
さらに、重傷者も今後増えてくるのでしょうが、以前の状況とは異なってきています。
以前は、高齢者が重症化し、亡くなる事態に繋がりやすかったですが、ワクチン接種が進んだことで、
高齢者へのリスクがかなり軽減しています。
そこで、西照寺の盆法要を着座(もちろん、座席の間隔はあけます)にて参列できるよう考え始めたので
す。理由は、盆法要に参列される方の多くは、高齢者の世代の方が多いからです。
これは、これまでのお寺の法要参列者の顔ぶれ、つまり私の経験から断定できるものです。
中には、50代以下の方も当然おられますが、ワクチン接種を終えている方は優先的にご着座いただき、
まだ終えてない方は、リスクがあるので、その事をお伝えし、諸対策を講じた上で自己判断していただこう
と思っています。当然席には限りがありますし、席が埋まってしまっている場合は、ご理解を賜り、
適宜判断していただこうと思っています。
また、こども夏祭りに関しては、幼少期のお子様を対象にしていること(最近、この世代の感染も増えてき
ましたので、注意はしています)、だからこそ少人数に限定していること。県内、特に西照寺近隣の方が
来て下さるのだろう(東松山市では、蔓延防止などもだされていません)!との推測。
幼少期のお子様など、若い世代の重症化が少ないこと。ここら辺を考慮し次第です。
唯一の心配事は、幼少期のお子様の親御様です。お子様を連れてこられる方は親御様です。
幼少期のお子様の親御様ですから、その多くが恐らく20代~30代と、現在の感染が広まっている中心の世代
だと予想されます。だからこそ、親御様にはマスク着用の声出しは最低限にしていただくようお願いし
、ご理解を賜ろうと思っています。
おそらく、ワクチンが各世代に行き渡り、これまでのコロナ禍自粛!を完全に抜けるのは、来年になると私
は予想しています。現在は、その中間点みたいな感じなのでしょう。
しかし、だからといってワクチン打っても感染者はでてくるし、そのような意味では来年になってからも、
感染対策は必須になるはずです。
わざわざ、西照寺がリスクを冒して活動を小規模からでも始めていこう!と考えるようになった理由は、
この状況で何ができるのか、できないのか。を西照寺スタッフが試行錯誤し、経験し、スキルを高めていく
ことが今後の社会で問われてくるはずだから!と考えたからです。
正直、西照寺の取り組みで感染者がでるかもしれません。リスクゼロではありません。
ある意味、そこは無責任かもしれませんが、最終的にはご縁でしかありません。
しかし、リスクがある中でも、高齢者がワクチン接種する以前のリスクとは状況は違います。
もちろん、感染者を増やして医療に負担をかける状況を助長することは良くありません。
それらをトータル的に勘案し、私なりの判断をしたところ、まずは小規模で実験的に取組みを始めていくこ
とを決断した!という訳なのです。
正直、社会には大きな流れ(声)がでてきます。今は、色々とミスがでてしまえば叩かれてしまいます。
だからといって、大きな流れや社会的な声が落ち着くまで待って居よう!と思ったら、流れに巻き込まれる
だけです。もちろん、それはそれでいいと思いますし、私もそのような時もあります。
しかし同時に、時には流れは作り出していく!という部分も必要だと思うのです。
この「時には!」と言う部分が難しい。誰が、どうやって判断するのか!?という事に関わってき
てしまうから。しかも、何の権限でそんな判断をするのか?と責任が問われてしまうからです。
この「時には!」との判断ができるのは、リーダーだけ。結果的に、良い判断であったならば、
素晴らしいリーダーと言われるだけです。しかし、残念ながら結果的に良くない方向にでてしまった
ならば、間違ったリーダーだと見做されてしまうでしょう。
だからこそ、リーダーは運(浄土真宗的に相応しくない用語かもしれませんが、今は伝わりやすいように)
次第かもしれませんね。
ただし、責任をとりなくないから!といって、何もしないリーダーは、「ポディションだけリーダー」みた
いで寂しいですね。私はそう思います。リーダーたるもの、自分で考え悩み、状況把握をしっかりし、
社会の流れや人々のあり方、歴史など広い視点で全体的に考慮し、現状をどうしていくべきか!?を
責任をもって実行していくべき勇気も必要だと思うのです。
私は、取り敢えず今回の決断が、良し悪し、どちらにでるのか正直わからないのです。
しかし、妻の提案や、皆様の声(着座して法要に参列したい)を伺い、改めて現況を自分なりに考慮した
結果、今回の判断に至りました。これは責任者として大きな決断ですが、社会的な声を気にして
逃げ続ける人生は嫌なので、もうドンとこい!的な覚悟でやってみることにしました。