コロナ前みたいに戻ってきました。

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おはようございます。住職です。

どうしたことでしょう。お彼岸前まで涼しい日が多かったですが、お彼岸過ぎてから

ちょっと暖かい日が続いています。こっちの方が良いのですが、walkingするにはちょっと暑いです。

さて、私は今日、午後から築地本願寺に出勤してきます。今日は事情もあるので、自家用車でETCカードを

忘れずに行ってこようと思っています。

来週も連日予定が続いており、予定表を確認してみると、私の10月は結構色々と出かけることとなって

いるのです。こんな遠方の外出も含めて、コロナ前の状況に近づいてきています。

コロナ禍で外出自体が減って、私的には嬉しい期間だったのですが、それが以前に戻りつつあります。

乗り切れることでしょうが、ちょっと遠方外出が増えると、疲れそうで不安な部分もあります。

もっとも、遠方の外出(仕事です)は、ちょっと気分転換にもなると思っているので、それはそれで

良いのですが、移動がね。

閉じ籠りたい私なので、そこが面倒に感じてしまいますね。

予定は予定。 読書も気軽に

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こんにちは 住職です。

今週は読書に専念するはず、できるはずだったのに、ちょっとしたトラブルや急な連絡も入るなど、

読書どころではない状況となっているのです。もちろん、できる時に、読書もしているのですが、

私の場合、読書はじっくりと、ゆっくりと、が私の読書法なのです。ですから、一日中じっくりと

理解を深めながら読み進めないと読書をしたように思えないし、集中して頭に入って来ないのであります。

その点、今週は集中できそうな予定だったのに、トラブルも連絡も急に入ってくることに。

正直、トラブルに関しては自分で蒔いた種の部分が大きいので自己責任なのですが、急な連絡は私が

どうこうではないので、ちょっとそっちは驚きました。

そんな訳で、昨日はトラブル対応に時間を割き、今日は急な連絡に対して、その内容を受け入れることだけ

で終わっています。事が事なだけに仕方がありませんね。

さてさて、予定なんて所詮は予定でしかありません。いざ、その時を迎えたら置かれている状況が異なるわ

けですから、所詮予定なのです。その予定に捉われすぎてしまうと、予定通りに行かないことにイライラし

てしまうわけなのです。それを知っているし、気持ち的にも予定にとらわれ過ぎなくても大丈夫なので、

読書の予定は一先ず置いておくこととしました。

実は今読んでいる本は、『神の方程式』という本で、ようは物理の話しなのです。

例えば、ニュートンの万有引力の発見であったり、アインシュタインの相対性理論などについて書かれてい

る本なのです。ポイントは、理を発見した点と、理が数式となって表される点。

驚くことに、理は、きちんと美しい数式で示すことができる点にありました。

私は数学は高校一年生の時で終わっていて、その後は文系に進学する為、数1以上はやってないのです。

中学3年生の頃は、数学は平均よりちょっと上となっていたので、数学は好きだったのですが、

高校生の時、私の大学進学を考えると、そこは文系と言われ、数学はやらなくなったのです。

なので、数式をみてもよくわからないし、微分積分といわれても、なんのこっちゃ?と思うのですが、

それらは理に通じているというので、面白そうに思えています。

それにしても、『神の方程式』を読んでいる最中なのですが、アインシュタインの部分で、ちょっとよくわ

からないのが正直なところなのです。どうもアインシュタインは、重力とは、時間と空間の歪みからもたら

される力だとか言っているようなのです。(もっとも、私の理解が乏しいから間違った読み方なのかもしれ

ないのですが)

さらに、光には追い付くことができない!とか書かれてあるっぽいのです。

仮に光と同じ速さで、光を見たら、光は止まって見えるのではないか?との仮説を、アインシュタインはた

ててみたらしいのですが(私もそんな風には思います)、しかし、よくよく考えると、光の速さに近づいた

としても、光はその分、速くなっていって、結局どこまでいっても光には追い付けないことを

アインシュタインは知ることとなった!みたいな感じで、この本には書かれていると思えるのですが、

それが私にはさっぱり理解ができないのです。書かれてあることは、何となく理解できるのですが、

イメージが追い付かないというか、どうしてそうなるんだ?とか、色々な疑問がでてきてしまって

理解が追い付かないわけです。

アインシュタインは、どうも、この気づきから相対性理論が出来ていったと書かれてあるのですが、

相対性理論ってなんだ?と。(笑)

凡人の私からすると、やっぱりアインシュタインは天才なのだなぁと、この本を読みながら思いました。

この本は、理について、つまり物理の方程式について書かれてあり、素人でも理解がしやすいように

書かれてあります。とてもよい本です。

でも、じっくりと、しっかりと読み込まないと、流し読みするような本でもないし、完読するには

根気が必要な本だとも思います。なにしろ、数学も理科もできない私ですから、想像力が乏しいです

国葬当日なのに、デモって。

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おはようございます。住職です。

今日も良い天気。秋晴れとなっています。

私は午後からZOOM会議がありますが、それ以外の時間はフリーなので、読書を進めたいと思います。

さて、昨日は安倍元首相の国葬でした。私は、開式直前までは見ていましたが、その後は違う要件に

時間を使っていました。しかし、その後のTV報道で国葬当日に大規模なデモがあったことを知り、

さすがに悲しいというか、恥ずべき日本を垣間見たように感じてしまいました。

国葬決定のプロセスや、故人の実績に対する良し悪しなど、色々な問題はあるとは思うのですが、

それでも、故人を悼む場である国葬の当日くらいは、せめて死者追悼への気持ちや、それに配慮する

気持ちを持ち合わせてもいいのではなかろうか?と思ってしまいました。

反対の声をあげるデモや、旧統一教会との関係について、問いただすのは、国葬の前後でやればいい。

今回のように、さすがに国葬当日に反対反対って。

死者に対する弔意や配慮が微塵も感じられない状況に対して、日本人として残念に感じてしまったのです。

もちろん個人的感想です。

私は今回の国葬に関しては、賛成派でも反対派でもなく、どちらかと言うとどっちもどっちだな。

と感じてました。

安倍元首相が亡くなった事件をTVで見てしまったし、一連の経過の直後に、国葬と聞けば、あの時は

気持ち的にも理解できました。しかし、そこから時間が経過し、新たな問題が浮上する中で、気持ちにも

変化が起きてきました。

冷静に考えると、国葬決定のプロセスには問題もあるし、故人の悪い側面(旧統一教会との繋がりや、各種

制定の法案など)もある事がわかってきました。

ただ、それはそれ!として、国葬をするとなった以上、その当日くらいは、おとなしく見過ごすなど、

配慮があってもよかったんじゃないかな、と私は感じます。

やっぱり、死者を追悼するという気持や、仮に弔意がなかったとしても、それを尊重できるような心があっ

て欲しいと思うのです。段々と日本人の心も欧米みたいな感じになってきているような気もします。

価値観が欧米化しているのでしょうか。自己主張が強くなり、競争を勝ち抜くことに重きがおかれ

勝者と敗者のように二分化、分断が起こってしまう。

自身の行動を顧みることが少なくなり、自己が正しい!との慢心に気づけない環境となっているような

気もします。 昨日の国葬に際し、弔問者とデモの人々の数が同じくらいらしく、TV報道では分断がみら

れたと言われていました。

分断と聞くと、数年前、イギリスのEU離脱に際しての国民投票の際の分断がありました。

アメリカではトランプ大統領が着任する際に、白人とそれ以外のアメリカ人との価値観の分断が叫ばれてい

ました。

そして今回、日本でも国葬を軸に、賛成派と反対派の分断が報道されました。

意見や見解が二分するから分断となるわけで、対立構図ができあがってしまいます。

私は、この対立構図そのものの考え方が欧米の価値観だと思っていて、それが日本にも色濃く根付いてきた

ように感じています。ここがたぶん問題なのだと思っているのです。

もちろん、生きていれば対立構図はあり得るのですが、対立構図だけ、いわゆる相対の価値観だけだと

行きつく先が最終的な孤立化に向かいます。ここを乗り越えていく、あるいは上手に付き合っていく術が

これからの日本には必要となってくるのだと思うのです。

これが難しい挑戦なのですが、やらないとね。

本質の追及 日本オリジナルの武器を

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こんにちは 住職です。

お彼岸も終わり、ようやく今日から落ち着ける時間が取れそうです。

今日から少し、自分なりの学びを深める為、読書を進めたいと思っています。

大事なのは、事の本質を追求すること。私の場合は、宗教者として真実の追及となるでしょう。

おそらく、戦後の日本は、物質的豊かさを求め頑張ってきました。そして、一時期は世界でも

ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われる程の地位を獲得。経済成長と高品質を生み出す技術力を

有した国でした。それが、アメリカなどの戦略によって、徐々に日本は力を失うことになりました。

まったくの私見ですが、戦後の日本は、アメリカの価値観を受け入れながら、アメリカを追い求めてきまし

た。それはそれで良い部分もあると思いますが、しかし、一番肝心な日本らしさを軽視し、置き忘れてきて

しまったのだと感じます。どこに置き忘れたのかと言えば、過去にです。

アメリカは日本と比べ、歴史が浅いのです。だからこそ、歴史や伝統で世界と勝負しても、勝てません。

だからこそ、新しい分野で勝負をしてきました。知識を集め、科学技術を重んじ、それを活かすことで

アメリカは発展します。というよりも、そこを活かす国造りをしてきたのでしょう。国家戦略です。

しかし、日本は戦後、アメリカの背中を追いかけたのはいいけれど、国家戦略など持ち合わせていなかった

のか、あるいはアメリカの土俵のまま勝負しようとしたのか、いつのまにか、こんな弱い国家となってしま

いました。

もちろん、アメリカの背中を追いかけ、一時的には成功を遂げたかのようですが、長期目線でみれば、

勝負にならなかったわけです。

そりゃ、アメリカの土俵のままで勝負すれば、勝てるわけないのかもしれません。

そこで、大事なのは、やはり日本らしさだと思うのです。日本には歴史があって、過去の日本人が紡いで

伝えてきてくれた文化や伝統があるのです。長時間続いてきたものこそが肝心なのです。

なぜ、長期間続いているのか?と言えば、おそらく、その本質に真実に近い何かがあるからなのだと

思うのです。

真実に近いわけだから、いつの時代でも通じるわけです。だから続くことができる。

その本質を見極めながら、日本の文化伝統は培われてきたのです。

そこには、もちろん日本の自然環境などの影響もあるから、全世界で通じる本質ではない部分だってあるか

もしれません。しかし、長い事続いているものには、必ず真実とも言える本質があるのだと思います。

そこを見極めて、受け継いでいく。ここが猛烈に大事なわけです。

まさに、そこが素地となるからこそ、日本人としてのアイデンティティとなるはずなのです。

その日本人としてのアイデンティティを受け継いだ先に、アメリカの土俵を真似ることがあってもよい。

それぞれをアレンジすることで、アメリカの土俵のままではない、日本から捉えたアメリカ!が出てくる

のです。きっとそこにこそ、世界とも勝負できる武器がでてくるのだと思います。

しかし、誠に寂しきかな、戦後の日本は、そこに重きを置かず、過去に置いてきてしまったかのようです。

本来、日本オリジナルの世界にも通じる武器があったにも関わらず、そこに視点をおこうともせず、

単にアメリカの背中を追い続けてしまったかのように感じます。

これこそが、昨日のブログにも綴ったように、表面だけ立派に見えればいい!と考えてしまう偽物国家に

なってしまった大きな原因だと思うのです。

このまま偽物国家のままであったら、日本はやがて終わります。世界でも置いてけぼり。

活躍どころか、貧しくなっていくだけでしょう。

だからこそ、最後にまだ財産が少しでも残っているうちに、次世代の人々に大事な視点を伝えて

世界でも活躍できる人材を育成しないといけないのです。

私は、そんな事を思って、残された人生で私ができる事をやろう!と思っているのです。

まったく、出来損ないの私が、そんな事を思って活動しなければならないのです。

私よりももっと優秀な人ばかりなのに、なんで劣等生の私がこんなことをやらなきゃならないんだ!と

心底思っています。ちょっと誰か、本気でやってよ! 将来の日本の為にも、お願いしますよ。

本質を見失った国葬

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こんにちは 住職です。

明日が安倍元首相の国葬なのですね。TVでは国葬反対など、世間の反応が報じられていました。

私は以前のブログで所感を綴ったのですが、国葬前日のこの雰囲気に対し、改めて宗教者として

所感を綴ってみようと思います。

そもそも、明日の国葬に対して、安倍元首相の死を悼む雰囲気では無くなってしまっていることに大きな

原因があると思います。

安倍元首相が銃撃され亡くなってから、反社会的団体旧統一教会との関係性が明らかになりました。

その後、自民党の多くの議員が、選挙運動を主軸に旧統一教会との関係性を深めていったことが明るみにで

ました。世間では、これが大きな問題となって、安倍元首相の死を悼む雰囲気は吹っ飛んでしまいました。

故人は生前、世間が知らないことを良いことに、こんな事をしていたのか!と、もはや元首相の生前の倫理

観や道徳観を失った行為を知って、さらにそれを自民党各議員にまで影響力を行使し、泥沼にはめてしまっ

たであろう、その生き方に不満と怒りを覚えて、多くの国民が怒っているわけなのです。

そもそも、国葬というのは、葬儀の事でしょう。

葬儀とは、葬送儀礼の略語です。葬とは、草の上に死体を置いてさらに草をかける。そこから葬という

漢字ができています。葬の字を見てください。一番下の升みたいな部分が、草を表しています。

その上に、死を置くのです。つまり、死体のことです。そして、その上に草冠があります。

こうやって、葬という字は、昔の死体の処理の仕方を表す語だったわけです。

しかし、葬だけだと、単なる死体処理みたいな感じになっちゃいます。

人間には、それができないのです。それが人間の自然な心なのですね。

人間は、単に死体を処理することができない。死体処理ではなく、丁重な行為をもって死体を弔う事を

始めたのです。ここに死体処理から「死を弔う」という人間ならではの行為が生まれたのです。

この弔う仕方こそが、儀式なのです。人類が昔から伝わってきた死を弔う行儀に従って、決まった行為に

則って死を弔う行為こそが、儀式なのです。

さらに、この儀式に宗教が結びついて宗教儀礼が出来上がってきました。

なぜ宗教が結びついたかといえば、死後についても触れ得るものこそが宗教が担っている領域だったからで

す。故人の死を弔う事と同時に、死後の安寧を願い、宗教儀礼が葬儀に欠かせなくなったわけです。

先日、エリザベス女王が国葬とされた際、キリスト教の儀式で行われました。イギリスの国教はキリスト教

だからです。だから国葬は必然的にキリスト教となるのです。国民は誰も疑問視しません。

この度の日本はどうでしょう? 以前は吉田茂元首相が国葬となったと言われますが、そもそも日本国に

国教はないのでしょう?政教分離なのですから。 

人類が葬儀を始めたのは、宗教の誕生よりも前です。ですから、国葬と言ったからといって、必ず宗教儀礼

である必要はないのですが、しかし、葬儀という以上、どうしても宗教性を帯びてくるものだと私は思って

います。しかし、日本は国が宗教を持っていない。神道でもないのです。だから、国葬といっても宗教性を

打ち出せないのですね。ここに現代としての大きな矛盾を感じざるを得ないのです。

そもそも、明治時代、唯物論者(全ての存在する物は、物としてあるだけで、霊魂などはない!との考え

方)であった中江兆民という方がいました。有力者です。

この人が、当時は亡くなったら葬儀が当然という時代に、私は無宗教なのだから、私が死んでも葬儀は不要

と言い出しました。中江兆民は国民からもよく知られた人で、政府に関係が深かった人物でありました。

そこで、実際に兆民が亡くなった時、国民はどうなるのか?と注目していました。

親交が深かった板垣退助が、困ったあげく、葬儀は兆民の意思に反するからできない。しかし、何もしない

というわけにもいかない!というわけで、告別式が生み出されたわけです。

告別式とは、「別れを告げる式」なので、葬儀ではない!との理屈です。

私から言わせれば、屁理屈みたなものに感じてしまいますが、取り敢えず、告別式が生み出されました。

別れを告げる式なので、式辞などを読んで、故人の生前の功績などを讃えることに主眼が置かれていきまし

た。死後の安寧などは介在しません。

このような本質を確認していけば、日本国が取るべき行動は見えてくるはずなのです。

私から言わせれば、国葬ではなく「国別式」でよいはずなのです。

国葬と言って、参列する諸外国の方々は、宗教儀礼の無い国葬をどのように受け止めるのでしょう?

まったく恥ずかしい限りです。

今の日本は、本質を確認しようともせず、形だけ立派にみえればいい!とのような姿勢で見せかけ国家

となってしまいました。

私も言いたくはないのですが、その姿勢は、当の安倍元首相ご本人の生前の生き様に反映されていたことが

この度の件で、国民にバレてしまったのだと思うのです。

その為、ここまで国民が騒いでいるのだと思えてなりません。

本来ならば、亡くなっていかれた方々に対して、敬意をもってお見送り、さらには、死後の安寧を願う弔問

行為は尊い姿勢だと思うのです。人間として、大切なものだと思うのです。

しかし、今の日本は、偽物国家。本質を確認もせず、あさはかに決断し、見せかけ上は立派な事を言って、

中身は何もない。現職首相は、「敬意と弔意でもって国葬を・・・」

「諸外国の弔問者にはしっかりとした礼節をもって・・・」「最後まで、国民には丁寧な説明を・・・」

いずれも言葉だけ。 こんな事を平然と進められては悲しくなります。

一国の首相であれば、一流の専門家のアドバイスが仰げるでしょうし、本質を確認する為の術だって

人脈や何やらでどうにでもなるように思うのです。そこを軽視し、自身の想いか、他の方からのアドバイス

かわかりませんが、軽々に決断してしまった結果が、今回の事態を招いた本質だったのかもしれませんね。

今回の件は、本質を把握してしっかりと事にあたらないと、とんでもない方向に行ってしまうという好例だ

と思わされました。

私も偉そうなことを言える立場ではありません。ただし、本質を大切にしていかないと、危険な事が起こる

んだなと思うのと同時に、このままの日本だと非常に危ない。二流国家、三流国家は目前となっています。

本当に大事な物事をしっかりと把握するような姿勢が、この国から無くなってしまっているような気がして

非常にこの国の未来が気になってしまうのです。

日本は歴史があって、素晴らしい文化をもっていて、力強いはず。世界をリードできるだけの潜在力は

持っているはずなのに。

そこに上手に、国の未来を決めていくトップの方々が導いていく責任があるはずなのに。

それなのに、反社会勢力に、選挙で力になってくれるから!みたいな自己の当選欲に負けてしまい、

挙句、国葬などの雰囲気では無くなってしまい、諸外国からみれば、非常に恥にしか映らないでしょう。

安倍元首相が外交で大きな成果をあげられてきた!と言うけれど、その功績も最後に傷つける結果に

なってしまっているような気がして、非常に何と言っていいのか、わかりません。

悲しい事ですね。

お休み

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こんにちは 住職です。

今日はお彼岸の日曜日、今年の秋季彼岸期間の祝日は、嵐の影響で、大雨や雷が鳴っていましたが、

台風一過で、今日は素晴らしい秋晴れとなっています。凄い良い天気。半袖で気持ちいくらい。

さて、私は少し頑張ったので、疲弊気味。そこで、父親が今日のご法事を引き受けてくださいました。

よって、私はお休みをいただいております。

しかし、久々晴れたので、朝からwalking。折角のお休みなのにキツかったけれど、こういう性格なので、

仕方なし。休みたいけど、ここ2日は雨で身体を動かせなかったこともあり、気持ち的に休めない!となっ

てしまい、walkingしてしまいました。一日やらないから何なんだよ!とも思うのですが、やってしまうわ

けです。( ;∀;)

walkingを終えてからは、少しダラダラできましたが、午後からは自由にしたいと思います。

因みに、夕刻はZOOMで築地の職場の上司と個別面談なのです。( ゚Д゚)

職場でそのような連絡がきたのです。私は非常勤なのですが、私にも個別面談があるんだ!

へ~。面白そう( ´艸`)

20分だけなのですが、どんな面談になるのでしょう( ´艸`)

今度の上司は、さらに気が合いそうな気がするので(実際は、わからないけど)、ちょっと楽しみな気持ち

でいる部分はあるのです。私がどうこうではなく、組織としてより良く!と考えてくださりそうな感じを

受けるので、その点が良いのです。

雨で滑りやすいです。

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おはようございます。住職です。

今日も朝から雨です。しかも昨日よりもだいぶ降っています。

残念ながら、台風?の影響でしょうね。

昨日、お中日の法要の時は、偶然にも雨があがって、多くの皆様にお参りいただきました。

しかし、今日は本格的に大雨となってしまいました。ご法事も複数勤まりますが、ちょっと大変そうです。

雨は大切ですが、外出予定の際は、出づらくなります。気持ち的にも。

また、路面も滑るので、気を付けなければなりません。

皆様、どうぞお気をつけてお墓参りをお願い致します。

雨の換気

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おはようございます。住職です。

今日はお彼岸のお中日です。西照寺では、秋季彼岸会大法要が修行されます。

昨日は、法要に向けて諸準備を行っていました。コロナ対策として、座席を離し、換気を意識しています。

ただし、今日は雨なので、本堂の天窓を開放できず、お盆の時同様の対応がとれていません。

一応、少し寒いかもですが、サーキュレーターや扇風機を回して、換気を試みるつもりです。

雨の時は、換気に苦労しますね。天窓以外の窓は開けるのですが、それでも雨が強い時や風がある時などは

雨が吹き込んでくるし。

コロナ感染者が減少してきているので、気持ち的にはホッとしている部分があるのですが、こういった時の

油断が禁物であることも、これまでの失敗や人生経験を踏まえてきて、何となくわかってきています。

ですので、ちょっと気が抜けてきた今だからこそ、コロナ対策もちゃんとやっておこうと思っています。

気温も下がってきて、昨日の準備段階で、扇風機は仕舞おうか!となったのですが、換気に必要だな

と思ったので、まだ仕舞わずに残しました。

あとは、窓を最大限開けておきたいのですが、雨が吹き込んでくるから。そこだけがスッキリしません。

まぁ、屋内が濡れてしまうだけなので、構わないといえば、構わないのですが。何だか、気分的にね。

お彼岸のお中日に大雨か!?

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こんにちは 住職です。

なんということでしょう。明日から関東は台風に発達するかもしれない低気圧の影響で、日曜日まで

大雨の予報が。お彼岸の中日だというのに。

9月は台風シーズンですが、私の記憶の中では、お彼岸のお中日に台風が来たというのは無かったような。

当てにならない記憶ですが、そんな印象です。

もっとも、明日は台風ではないみたいですが、しかし、その影響で大雨かもしれないとの事です。

折角、ご先祖様のお墓やお寺にお参りに来ていただける機会なので、良い気候で晴れか曇り程度がいいので

すが、まぁこんなこともあるのですね。雨だって降ってもらわねばなりません。自分勝手なことを言い出し

てはなりませぬ。

こんな時、一瞬自我の欲望がでてくるのですが、仏教がそれを落ち着かせてくれ、正しい方向に振り向けて

くれるのです。そうそう。大雨だって有難い。

秋の到来と、西照寺法話会に常にお越しだったご門徒さんの近況

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こんにちは 住職です。

暑さ寒さも彼岸までとはいいますが、今年の9月は上旬からすでに涼しかったのですが、

昨日からお彼岸に入ったら、突然、寒いと思うくらいになりました。夕刻以降は半袖で寒かったです。

特に夜なんて、窓開けていたら寒くて無理でした。

今朝も、子供の登校で最寄り迄、車で送ったのですが、7時半頃でしたが外は17度と表示されて

いました。18度を下回ると、肌寒く感じますね。

冬を乗り越えて、春の18度は、暖かく感じるけれど、夏を乗り越えて、秋の18度は肌寒く感じます。

さて、もう秋だな。と感じる程の気温でしたが、今朝は目からも秋を感じました。

walking途中に目についたカラスウリです。

と思ったら、ここで熊谷にお住まいのご門徒さん、Hさんご夫妻がお寺にお参りに来てくださいました。

久しぶり~✌ ご無沙汰しております。 ついつい外で話し込んでしまいました。

Hさんご夫妻は、お変わりなく、お元気そうでした。西照寺法話会でご一緒していた皆様とお会いしたいと

仰られていましたよ。皆様御元気ですか?ともお訊ねでしたので、皆様の近況を知っている私がご報告。

因みに、坂戸にお住まいの、西照寺境内美化長のHさん親子さんは、昨日も台風直後なのにも関わらず、と

てもキレイにお手伝いくださいました。有難うございます。

また、坂戸市の永代墓改装委員長のHさんは、一カ月ほど前に来てくださいまして、お顔を拝顔致しました

。もちろん、お元気でした。その時は、奥様がお見えではありませんでしたが、Hさんが変わりなく元気に

やってます!と話されておりました。

また、嵐山にお住いのHさん。久の字がつく。というか、Hさんが多いな。

こちらのHさんは、コロナ後、私もお会いできていなかったので、気になっておりました。

しかし、今月上旬だったかな。久々にお会いでき、お元気でした。コロナ禍でご入院されていたそうです。

働きすぎで過労の為、ちょっと数値が悪く、念のため、入院させられたのだとか。

Hさん以外、できない仕事のようで、コロナ禍以降、ますます頼られてしまって、大変だったそうです

(笑)素晴らしい!

鳩山町にお住いのIさんご夫妻は、私もお会いできていないのですが、私がコロナに感染したとのブログを

見てくださり、心配くださって、お電話頂戴致しました(笑) 有難かったです。

Iさんも、電話越しですが、お元気そうで、声も相変わらず。Iさんは、早朝に墓参くださいますので、

美化長のHさんが、Iさんとお会いした話を教えてくださいます。

最近、お会いできていないのが、東松山市にお住いのTさんご夫妻。

お墓参りに来られていた姿を拝見したのは、一年ほど前かな?と思いますが。少し気になっております。

そして、池袋にお住いのUさんは、腰が痛い為に、西照寺になかなかお見えになれないのですが、

今度のお彼岸に来られるとの事です。

Uさんとは、昨年の夏と、今年の春頃、お会いしたのですが、その時、もう齢86歳になった

と仰っておられたので、驚きです。

以上、西照寺の法話会に毎回ご参加くださっていた方の近況