西照坊
こんにちは 副住です。
住職の実家は「仏迎山 延浄寺」というお寺です。
もちろん浄土真宗本願寺派ですよ。
実は延浄寺は江戸時代初期に出来たお寺で
開基は西照坊というお坊さんが建立したお寺なのです。
西照という法名なので、西照坊と言われております。
ここは西照寺ですので、名前からして延浄寺の開基と関係があるのでしょうか?
住職、如何なのでしょうか?
こんにちは 副住です。
住職の実家は「仏迎山 延浄寺」というお寺です。
もちろん浄土真宗本願寺派ですよ。
実は延浄寺は江戸時代初期に出来たお寺で
開基は西照坊というお坊さんが建立したお寺なのです。
西照という法名なので、西照坊と言われております。
ここは西照寺ですので、名前からして延浄寺の開基と関係があるのでしょうか?
住職、如何なのでしょうか?
こんにちは 副住です。
今日は住職と会話をしました。
バーベキューの計画があるようです。
やりましょうね。
昨日は多摩の西照寺さんに行ってまいりました。
ゴールデンウィークだったので、西照寺さんに行く道中、
下り車線が大渋滞していたので、帰宅が不安になりました。
歎異抄の講座を終え、帰宅時間を遅らせるため、
住職の実家である調布の延浄寺に立ち寄りました。
そこで伯父さん、伯母さん、さらに従兄弟と会ってきました。
中央道~圏央道~関越道へ
帰りは渋滞もなく、スムーズに来れました。
GWはでたくないです。
こんにちは 副住です。
今日は晴れた。よかったです。
今日は多摩にある西照寺さんに行ってきます。
東京親鸞会というご門徒が学ぶ団体があり、
西照寺さんを開場として、歎異抄の勉強会が開かれているのです。
今日は私が講師を務めさせていただくこととなっているからです。
さて、男の衝動買いって、どうしてなのでしょうか。
私もしてしまう時があるので、認められるとなんとも言えなくなりますが。
しかし、住職の衝動買いと私の衝動買いでは、規模がちがいます。
器の大きさの違いなのかな??
だけど、断じて住職にストレスを与えていることはありませんよ。
人聞き悪いので、私を悪者にするのはやめてください。
むしろ、私がストレス被るほうなのに・・・
バーベキューしましょうね。ご連絡します
皆様 こんにちわ 西照寺の住職です。
雨が続きますね。
本日は西照寺がお世話になる練馬の信行寺さんの永代経法要。
副住がお勤めに参列するようです。
よろしくお願いいたします。
副住へ。
あれらは衝動買いなのです。副住が私にストレスを与えるので
その想いを買い物で発散しただけです。
よかったですよ。
そうカリカリするものではありませんよ。
お尻も治ったと言っていたではありませんか。
今日の雨のように、ストレスは流さなくてはいけませんよ。
こんにちは 副住です。
今まで住職(人)には期待しないと思っておりましたが、
もう我慢できません。
住職、突拍子もないことを次々としないでください!
周りにいる人が迷惑します。
タブレットを買う? 冗談だと思っていましたが。
そんなもの使えるわけないでしょ。
まだ、キーボードだってローマ字ようでは打てないんですから。
(なぜか、日本語用で打つんです。CAPSを押してやるやつです)
近未来みたいだからって理由だけで、買ってはダメです。
どうせやらなくなるんだから。
あと、なぜあんな重いバーベキューセットを買ってきたのですか?
一つ持ってるでしょ。
それとベンチ?なぜあれを買ってきたんですか?
お寺なのに洋風のお庭にあるような風貌ですけど
しかもそれを本堂の横の入口置くなんて。
あそこに置いても座る人少ないでしょ!
本当に、気にしないようにしているのに、
どうして目に入ってくるのか。
ついに不満が爆発です
こんばんは 副住です。
途切れ途切れとなってしまい 申し訳ありません。
少し、だれていますね。
さて、今日は暑かったですね。
九州では30度超え。
真夏日・・・
今年の夏はどうなってしまうのでしょうか。少し不安です。
ただ、冬の寒さが苦手な私は、夏の方が若干心が許せます。
寒さはお尻に響くそうですから(笑)
皆様 こんにちわ 西照寺の住職です。
突然ですが、私、最近スマートフォンがほしいのです。
しかし、坊守や娘に「使いこなせないからやめなさい」といわれます。
でも、指で画面を拡大したり縮小したりしてみたいんです。
最近は、私と同じ世代の方でもスマートフォンを使いこなしている方が
たくさんいらっしゃいますね。すごいな~。今はやっとパソコンがで
きるようになりましたから、スマートフォンまでもうすこしの辛抱です
かね?頑張ってみます!
こんにちは 寺務です☆
今日はまたレンタル墓について少しだけご紹介させていただきます。
レンタル墓とはお墓をレンタルする。既に建っているお墓を借りてお骨を納骨します。
きっと、皆さんがまず不安に思われることは、お墓をレンタルするんじゃ、自分のお墓じゃない
わけだから、お墓に「〇〇家之墓」と彫れないのではないだろうか?そうすると自分のお墓がど
こにあるかわからなくなってしまうのでは・・と思われると思います。
ですが、ご心配いりません!当寺のレンタル墓は、普通のお墓と同じように「〇〇家之墓」と彫
ることができます!もちろん現存のレンタル墓に文字をいれることはできないのですが、その代り
に分厚いプレートを石塔正面部分に貼り付けます。ですから、そのプレートに「〇〇家之墓」と
彫れるわけです。また、お好きなデザインで花の彫刻を加えたりと色々アレンジができますので、
ご自分のお墓のようにご使用できます。また、そのプレートの石の色も選ぶことができます。
こんにちは副住です
今日は法話をさせていただきます。
先日、ビデオで島田洋七さんの「佐賀のがばいばあちゃん」という映画を見ていたら、こんなワンシーンに出会いました。
6歳位の少年が、佐賀県の学校で、友達に“おまえの家は貧乏ばい”といじめられているのです。少年は家に帰るなり、お婆ちゃんに“うちは貧乏なんか?”と問いかけます。するとお婆ちゃんは
“貧乏ばい。でも貧乏人はよか! 金持ちは色々大変ばい。 おいしい食べ物を選んだり、旅行する所を探したりしよるから。でも貧乏人は、選ぶ必要なんか無か。あるものをそのままいただくだけばい。”と答えたのです。
確かに、豊かな人は欲しい物が手に入る。あとは自分の好みに合わせるだけです。好みに合わない物は、切り捨てればいいのです。ただ自分の好みに合わせるという所に、色々な迷いが生まれるのです。お金持ちは大変です。
でも貧乏であれば、選ぶ必要なんてありません。選ぶ必要がないのだから、迷いが生まれることも無いのです。ただ手に入る物を、そのままいただけばいいのです。そんな貧乏人をお婆ちゃんは“よい”と言ったのです。そこには“そのままをいただく”という心の豊かさが感じられます。
この世界のあらゆる物事には、同じ物など何一つありません。一つ一つが、かけがえのない、とても有り難いものなのです。“そのままをいただく”とは、あらゆる物事の、かけがえのなさに気付いているからこそ言える言葉だと思います。まさに仏様の心が、お婆ちゃんの言葉の中に生きているのです。
仏様の心とは、全てを平等に慈〈いつく〉しみ、あわれんで下さる心です。全てを差別なく、みつめて下さる心なのです。そのような心からすれば、あらゆるものは、一つ一つ尊くて、それぞれが大切なのだと気付かされるでしょう。“そのままをいただく”お婆ちゃんの言葉の背景には、仏様の心が隠されていたのでしょう。
最後に、お婆ちゃんは、こんな事も言っていました。
“お金は大切ばい” “でもお金よりも大切なものもあるばい”