アダム・ライオンズさん

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おはようございます。副住です。
さて、今日から京都です。
私の母校である龍谷大学で、「教誨」について研究者(大学教授
達)がプロジェクトを組んでおり、その公開研究会があります。
それに私が呼ばれておりまして、行ってくるのです。
私が呼ばれている理由は、プロジェクトを進める教授たち
の中に私の先輩、同期、後輩と顔見知りが多いからです。
「プロジェクトを進める上で、手始めに教誨の現場を知る
教誨師からの話を聞きたいが、初回から大物をお呼びするのも
憚られるし、誰か良い人いないか?」と話題になったようで、
私の名前があがった・・・という経緯です。
私も、メンバー的に同窓会みたいな気軽さだったし、
久々に京都に行けるし、忙しい中だけど、気晴らしにいいか!
と思って、最初にお引き受けしたのが、昨年の夏頃でした。
そこで、プロジェクトの内々の研究会に呼ばれて、2時間ほど
研究会を行なったのです。
私は一回限りだと思ったのですが、話の展開の中で、公開研究会
を来年やりましょう!となってしまったわけです。
その時、「え!?またやんの!?もう話す事ないけど・・・」と
思ったのですが、公開研究会だから、同じ話でも構わないとのこ
とでした。そこで、今回も京都にいくこととなったわけです。
もっとも、今回は私の他、ハーバード大学で博士号を取得された
アダム・ライオンズさん(教誨の専門家)も来られるようで、
私は初対面なのですが、教誨における最先端の専門家ですから
会話するのが楽しみです。
ライオンズさんの論文
ライオンズさんは米国におられる為、
今回は日本に訪問されている貴重な機会の一時をいただけるよう
です。よかった。因みに、ライオンズさんは、私よりも若い方
で、日本語はペラペラのようです。良かった。日本語で。
そんなわけで、ちょっと京都(龍谷大学)に行ってきます。
 

比企青年会議所 伝えたいこと ③

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おはようございます。副住です。
昨日は公益社団法人比企青年会議所2019年度の最初の事業が
ありました。反省すべきことが多々あった事業となりました。
私も自分の反省すべき点があり、偉そうに言えない自分がいるこ
ととなりました。すみません。
さてさて、そんな中なのですが、ここまで来たので続きを綴りま
す。今日でこの件に関しては、最後です。
今回は、「もう一歩抜け出す」ということについて綴ります。
会員の中には、青年会議所の入会歴が長いので、経験値が高い方
がおられます。
ですから、おおよそのことは、それなりに出来ている。
正直に言えば、「可もなく不可もなく」という程度でしょうか。
ただし、性格がとても魅力的で、会に良い雰囲気を醸成してく
れ、貴重な存在であることが特殊能力でしょうか。
故に、皆から愛されてしまうのです。それだけである程度評価さ
れてしまうのです。
これは素晴らしいことです。私とは違い、人望の為せる業かもし
れません。
しかしだからこそ、残念な部分もでてきます。
つまり本当に厳しくしてもらない。許されてしまう。
もし、当人が許されてしまう人生に自覚があるのだとしたら、大
したものです。
無自覚に、怒られないように動いているのだとしたら、そこは問
題かも。
もっとも、人から愛されて、それなりに出来るのだから、一歩抜
け出す必要があるのかわかりませんが、敢えて問題を指摘をする
とすれば、そこに「甘え」があると私には映ります。
それなりに出来る為、過信があるのか、気が抜けるのか、時々大
事な部分を踏み外します。
ここが、私には「甘え」に映ってしまうのです。
このままでいいのか、一歩抜け出す必要があるのか、私にはわか
りません。 本人が決めることです。
ただ、もし私から今回の件で伝えておくべきことがあるとすれ
ば、以下のようなことです。
現状から一歩抜け出す為には、「命がけ」という覚悟が必要にな
ります。
私は大学時代に、自分が寺を継ぐべきか悩んで、大嫌いな勉強
(仏教の教え)に臨みました。教えに納得できたらお寺やろう!
できなかったらお寺を飛び出よう!と判断基準を決めて「教え
に納得できるか?」と勉強にチャレンジしたのです。
自分の将来を左右する一大チャレンジです。この時、覚悟を決め
ました。「命がけ」の覚悟を。
当時は、「死ぬ気で勉強!」「勉強して死んでしまえ!」という
捨て身の覚悟だったので、乗り越えることができました。それで
今、お寺を継ぐ人生を歩んでいます。もっとも、勉強くらいじゃ
死にません。
「命がけ」の覚悟で物事にあたると、甘さが消えていきます。大
事な部分で踏み外すことは極力少なくなるはず。私はそう認識
しています。
昔の武士はそうだったはずです。してはいけないことをしてしま
うと、切腹だったのでしょう? 武士は命がけの人生だったので
はないかと思います。武士道というもんね。「命がけ」の生き方
なのかもしれませんね。
一方、現代はミスをしても命を奪われる環境ではありません。誤
れば済む時代です。
ここに「甘さ」がでてしまうのだろうと私は思います。JCはそれ
で済む(本当のJCは、きっとそれではダメ)でしょうが、今後の
会社を背負っていく身となるのであれば、きっと「甘さ」が問わ
れる事態だってあると思う。だからこそ、JCにいる時に、「一歩
抜け出す」という選択を問われたことがあるかどうかは大事だと
思うので、今、このように綴っています。
一歩抜け出すかどうかは自分で決めてください。
最後に、たまたまですが、昨日こんな記事がネットにでてまし
た。タイミング的にも、私が言おうとしていたことと同じ内容
だったので、驚きました。これもご縁ですね。
ご紹介させていただきます。
↓クリックしてください。
「命がけ」に関する記事です。

比企青年会議所 伝えたいこと ②

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おはようございます。副住です。
昨日の続きです。
「同じ土俵で勝負しない」ということを綴ります。
青年会議所は、そもそも地域活性化を目標にかかげる団体で
す。だから、会員は自営業の子息などが多いのです。
自営業の方は、地域活性化=自社の繁盛にも繋がりやすいし、
逆に、自社があるのは地域のお陰という思いから、恩返しのつも
りで会員になる方もいるからです。
そんな自営業者が多いと、活動を遂げる上で時間的に融通が利く
ことが当然な雰囲気さえでてきます。
しかし、時間的な融通が利きづらい会員だっているのです。
例えばサラリーマンとか。
JCは会議や例会だけでなく、他団体との繋がりで、関係行事など
にも顔を出す機会があり、JCの中心メンバーは酷いと毎日、何か
しらの行事に出席を求められるのです。
だからこそ、時間的な制約がある人は、自分が出席できないの
で、他の会員にお願いしないといけない事態が起こってきます。
そのような状況が続くので、やがて時間的な制約がある会員は、
そうではない会員に対して「迷惑をかけている」と受け止めて
しまう場合がでてくるのです。
しかし、他の会員に迷惑をかけている!などと、引っ込んでいて
は話になりません。
時間的な制約がある会員は、フリーで動ける会員と同じことはで
きないのです。当たり前のことです。
そんなこと、フリーに動ける会員だって理解してます。サボって
いるわけではないのであれば、フリーに動ける会員は、「迷惑を
かけられてる」などと受取りません。
それなのに、同じ土俵で勝負しようとするから、「迷惑かけて
る」と思えてしまうし、会への関りが 控えめになってくる。
その結果、活動が適当になっていくのです。
真剣にJCのことを考えたならば、自分に出来ること、出来ないこ
とを明確に区別し、自分に出来ることに注力すればいいのです。
JCに強い想いがあれば、その想いで勝負すればいいのです。
JCを想う気持ちがあるのであれば、仲間と意識を共有する中心者
にだってなれるでしょう。
時間の成約がある為、他の行事などに出席が難しくても、仕事の
休憩時間に仲間に電話して、コミュニケーションを深めることく
らいならできるでしょう。
その営みの先に、会の結束がみられるし、素晴らしい議案作りの
ベースにも繋がっていくのです。他にも、色々と出来ることはあ
るはずです。 時間的な制約があることは、ハンデになりません。
時間的な制約があるからこそ、フリーで動ける会員が気づけない
部分に気づけるはずです。
それを、「時間的な制約があるから・・・」などと、さもハンデ
があるかのように受け止め理由にしていくのは弱い者です。強く
なりなさい。逃げない!
私達は、地域活性化を目標に、地域のリーダーになると謳ってい
る団体なのですから。強くなる努力をしてください。
同じ土俵で勝負すれば、負けるんです。勝てる土俵を見つけて、
そこで勝負をしないと!
もっと色々と考えてください。たくさん出来る事は転がってま
す。最初から、考えることを放棄してはいけません。まず最初
に、時間的な制約がある自分に、出来ることを考え、実践してく
ださい。
あー、また長くなった。時間もなくなってきたので、③は明日に
します。明日は、「もう一歩抜け出す」ということについて綴ろ
うと思います。
因みに、今夜が比企青年会議所2019年度の第一回通常総会となり
ます。
 

比企青年会議所 現執行部との話し合い それぞれに伝えたいこと

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おはようございます。副住です。
昨夕、比企青年会議所の経験値の高い執行部と
話し合いの場を持ちました。
私は、いまのままであれば、比企JCを潰す覚悟の
つもりで臨みました。
話し合いでは、全員が反省し以後「やる!」と答えたので
私も比企JCを潰す行動を、一旦停止することにしました。
取りあえず、様子見をしていこうと思います。
もちろん、私を怒らせたのですから、あくまでも様子見。
今後の姿勢次第では、振り出しに戻るというよりも、それよりも
悪化することも充分にあり得ます。
全ては、今後の執行部の行動次第です。
さて、昨夕の件があって、現執行部の誰かがこのブログを
チェックしたとすれば、大したもの。
おそらくチェックしないでしょうから、書いても無駄だと
思うのですが、無駄でも良いから、私のケジメとして書くことと
します。
昨夕の話し合いの当事者でなければ、理解できないと思いますが
お許しください。以下3点綴ります。長いよ。
① 失敗(責任)を受け入れるということ。
誰でも失敗したくありません。でも現実には失敗します。
私は失敗だらけです。
そんな時、毎回思うのが、どうして失敗したんだろう?と
私は思います。真剣に自分が失敗に向き合う時、自分の非が
見えてきます。だからこそ、その失敗の責任は自分にもあると
受け止めることができます。その積み重ねが、自分を謙虚に
してくれます。さらに、失敗から沢山の学びを得ることができる
ようになるのです。これは、その失敗に主体的に関わるからこ
そ、そうなるのです。
しかし、失敗(責任)を受け入れることは勇気がいります。
だって、自分が悪かった!と思いたくないもん。
だからこそ、逃げたくなるのです。責任転嫁したくなるのです。
責任転嫁をする人生は、自分の非を認めない人生だからこそ、
頭が高くなりがちです。勘違い。まさに驕慢の人生です。
仏教が嫌う部分です。
人それぞれ人生は違うし、価値観だって違います。
だからこそ人生に正解もないし、誤りもない。
人生に正解か、誤りかを決めることができる人がいるとすれば、
それは自分だけです。
私は、「逃げ続ける人生」を歩みたくないと思っているので、
「辛いけど、正面からぶつかっていく人生」を選んで
います。辛いけど、沢山成長できます。
沢山成長できると、人生に自分なりの思想がでてきます。
これが人生の芯かもしれません。たぶん。
芯がない人生も良いかもしれませんが、芯を持つ人間と
対峙する場合があると、正面から向かい合うことができなくなり
ます。だって、芯がないんだから。
そこで、小手先の技を使って、視線を逸らさせようとするのです
が、芯をもった人間からすれば、浅はかな技なんかに惑わされま
せん。だから、どうしようもなくなるのです。
まず始めに、そのことを知って欲しいと思ってます。
変わるには、その事実を自分が受け入れることからでないと
次はありません。一番最初のやり方は、まず自分を受け入れるこ
とです。
長いな、②と③は明日からとします。
もうご法事の時間だ。
因みに、②は同じ土俵で勝負しない!ということです。
内容は、時間的な束縛は人によって違いがあるから
時間とう土俵で勝負するな!ということを綴ります。
それでは、明日。
 
 
 

どうなるのか

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おはようございます。副住です。
今日は土曜日、西照寺ではご法事が勤まります。
予報では、関東の上空にも強い寒気が入り込み、
雪が降る可能性があると聞いていました。
しかし、今朝は5時に起きたのですが、いつもほど
寒くなかったのです。5時40分くらいに車に乗ったのですが、
いつもは7時頃でも車のフロントガラスが薄氷で曇ってしまってい
るのですが、今日は全然凍ってない。むしろ暖かい朝でした。
これから寒くなるのでしょうか?今シーズン一番の寒さと聞いて
いるので、とても嫌なのですが、予想が外れたか?
暖かいのは、気持ち的にとても有難いです。
私は寒いのが嫌いですから。
さてさて、今日はご法事と、夜には比企青年会議所の総会の
リハーサルがあるので、一応時間はあるので、外部監事として
チェックしに行こうと予定はしております。
ただ、怒っている事に変わりはないので、どうなるか。
リハ前に行われる話し合いによって、行動が変わるかもしれませ
ん。
 

何気ない更新

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おはようございます。副住です。
昨日は築地本願寺で会議があり、参加。
その後、19時前に自宅に帰宅。
急遽、夜の予定を変更したので、時間があきました。
それなので、その時間を利用して、雑務を。
若干溜まりつつあった仕事を一つ終えることができました。
よかった!
取り急ぎ、今の目標は2月8日まで乗り切ることです。
予定が立て続いているので、それぞれ効率よく、そして
しっかりと前に進めて行くだけです。
因みに、今日は今からお参りに都内に向かいます。
夕刻から地元で別件があるため、それまでに帰宅しないと・・
さて、今日も良い天気そうです。
雪の情報もあったみたいですが、今日も一日
過ごしてまいりたいと思います。
なんの内容もないブログとなってしまいましたが、
こんな日もあっていいのです。
それでは皆様、各々有難く過ごせると嬉しいですね。

比企青年会議所 現状にキレてます。

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おはようございます。副住です。
昨日は久しぶりに、いやJCでは初めてプッツンとキレて
しまいました。本気で怒っております。
私は、本気で怒らせると面倒だと自分でも思います。
スジが違うから怒るのであって、しかも怒るまで
に長期間の積み重ねが当然ながらあるのです。
何度言っても響かない。何度言っても直らない。
何度言っても気付いてくれない。
そんな状態が続き、やってはいけないことや凡ミスを連発。
さすがに堪忍袋の緒が切れてしまいました。
こうやって、皆から「あの人、面倒くさい」とか思われていく
のでしょうね。外部監事なんか引き受けたから、人望はなくなる
一方です。トホホ。
いや、もともと人望なんてものはないか(笑)
しかし、人望なんていりません。
スジが違うから怒っているわけですから。
ここはもうガチンコなのです。
比企JCのOBの諸先輩方、誠に申し訳ありません。
今のままであれば、正直、こんな会であるならば
私は比企JCを潰しに入ります。成長の場にすらならない。
こんな会は、私の知る比企JCではありません。
一点だけ申しておきますが、理事長は大したものです。
頑張ってます。気持ちも覚悟もあるでしょう。
それ以外の経験値が高い執行部が問題なのです。
全く。
私を怒らせたんだから、もはや誤ってすむような事態では
ありません。
約束なり覚悟なりを示し、さらに行動してもらわなければ
私の怒りは収まりません。
怒るまで長期間かかったように、怒りが収まるのにも長期間
かかります。私には誤魔化しは通じません。
それなりの覚悟、自分を変える位の意気込みと約束、
それからそれに伴う実際の行動まで、一連を確認できなければ
私の怒りは収まらないでしょう。長期間かかると思います。
まずは、やるのかやらないのか決め、それを私に報告し、
以後どうしていくのか、自分たちで考え、それをもって、
私にどうして欲しいのかを伝えるべきでしょう。
私は声がかかれば、それを聞きにJC会館に出向きます。
雁首そろえて真剣に、自分たちの歩む道を伝えて欲しいと思いま
す。
やらないのなら、やらないで構いません。
私もそれなりの対応で責務を果たすだけです。
私は比企JCの現執行部に喧嘩売ることになりました。
OBのUさん、見てるんでしょ。
このブログをみて、どう行動すべきか、わかりますね?
私をJCに引き入れた先輩なんですから。
宜しくお願い致します。
 
 
 

充実感を得るには

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おはようございます。副住です。
2月8日過ぎまでは、土日以外は、ほぼ外勤などが
入っているので、忙しなく感じますが、
業務的に追い込まれるようなものはありません。
なので、今は移動が多いのですが、さほど心が疲れるような
ことはありません。ただし、充実感は低いですね。
やっぱり大変な状況の方が、充実感は上がりますね。
でも、その分、疲弊度が半端ないので、嫌ですが。
充実感っていうのは、心で感じ取る満足感なのでしょうか。
充実感を一回知ってしまうと、もう一度求めたくなるのです。
まるで麻薬の様に。麻薬やったことないので、わかりませんが。
充実感があると、疲れていても、気持ち的に満足感が高いので
頑張れるし、人生が楽しくなるのだと思います。
また、よく頑張った!と自分で自分のことを納得してあげられる
ので、そこがとても良いのだろうと思います。
自分で自分のことを受け入れてあげることができないと、結構大
変で、疲れやすいと思います。
仏教(浄土真宗)は、ある意味で自分を受け入れてあげる教えな
ので、その意味で、私は浄土真宗とであって本当に良かったな。
と思います。自分で自分を認められないと、それは苦しいと
思う。充実感を得るというのは、ある意味では、自分に納得
している状態だと思うから、自分のことを受け入れてあげること
から始まるのかもしれないと思います。
充実感=レベルの高い自己肯定、自己満足感ともいえるかも。
なので、充実感を得るには、まずは自分を受け入れてあげること
から始めてみるのもいいかもしれませんね。
自分を受け入れてあげるには、自分で自分のことを評価してあげ
られるようにすることが近道かも。
例えば、私の例で言えば、大嫌いな勉強を頑張って、自分なりに
勉強したぞ!と高いレベルで納得した。という過去があるので、
それ以降、自分を受け入れることができました。
自分が嫌いなものや、苦手なものを克服した時、自分のことを
評価してあげられる。だから大変なんですけどね。
頑張るって、そういうことだと思います。
好きなことを邁進していけば、自分の中では「頑張った!」と
言わないと思います。むしろ、「楽しんだ!」と思うのかも。
「頑張った」んだけど、「楽しんだ」ととらえてしまう。
表現の仕方が異なるのだと思います。
「頑張る!」というのは、努力が必要なので、どこかしらに
苦労がある。その難所を通り越すことで、自分を評価して
あげられる。ここに自分を受け入れてあげる素地がでてくるの
だと思います。自己肯定感。
一方で、「楽しむ!」という道は、自分が興味ある道なので、
ドンドン突っ走る。例え難所があっても、難所だと思わないか
ら、「努力」と思わない。むしろ「楽しく」感じてしまう。
ドンドン道を突き進めば、いずれ、その道の猛者となるので、周
りから「凄い」と評価される。自分では凄いと思わないけど、周
りからチヤホヤされてくると、自信に繋がる。自己肯定感が持て
る。
努力する道も、楽しむ道も、結局同じ自己肯定感に繋がる。
自己肯定感が持てれば、そこが充実感へと繋がっていく。
そう思います。
私は努力型だったので、苦難を乗り越えてきましたが、
「楽しい」ことを突き進む道を歩んでいる人を羨ましく
思います。私は「楽しい」が見つけられなかったタイプだから。
だから努力の道だったのだと思います。
「楽しい」道を進める人は、楽しいことを見つけられた時点で
羨ましいと思います。ただ、この場合、挫折をした時に脆そうだ
けど。私は挫折しまくりなので、ある意味強い。雑草ですね。
まぁつまりは、同じ道に辿りつくのだと思うのだけど、自己肯定
感という、自分を認めてあげられれば、充実感を得ることにかな
り近づけると思います。
自分を認めてあげるには、「努力」「楽しむ」どっちの道でも、
その道に没頭する、邁進するという作業は避けて通れないと思い
ます。
自分で自分を認めてあげる、評価してあげられるというのは、あ
る種簡単なようですが、それが一番難しいのかも。
だって自分だから誤魔化しがきかない。嘘が通じないのだから。
ライバルは自分ですね。
さてさて、私が猛烈な充実感をもった時のことを綴ってきましょ
う。それは、論文を書いた時を思い出すのです。
論文を書く時は、とても疲弊します。
私の場合、論文を執筆した時、3か月以上は
かかりました。(毎日数時間それだけやってるんですよ)
論文集として本に載る場合、執筆者の人数や本の状況で
ページ数が割り当てられます。
私の時は本論で15000字程。
原稿用紙(400字)にすれば、38枚程度。
これとは別に、補注をつけますが
私の場合、補注を充実させてしまい8000字程。
原稿用紙だと20枚程。
合計23000字だから、原稿用紙60枚弱を書いたものが
本格的な論文でした。
大学の卒業論文は原稿用紙50枚以内だったと記憶してます
から、それよりも少し多い位ですね。
しかし、当然内容は全然違います。
大学の卒論と、一応研究者としての論文は、内容を比較すべき
ものではありません。(笑)
だから、論文執筆の3か月間は、本当に大変。
大袈裟に言えば、命が短くなったんじゃないか!と
思えるほどの負担なのです。
論文を書いている時は、自分の言いたいことが、過去の研究者の
意見や、経典に証明されていると論建てできた時の興奮や
新たな発見もあって喜びがあります。
一方で、新たな問題や、違う分野にも視点をあてていかないと
独りよがりの、ただの自分の都合の良い主張となってしまう恐れ
もあると思い、これまで勉強してこなかった分野まで気になりだ
してきます。論文は一度発表したら、その論文は書き直せない
し、読者にその論文で自分のレベルが判断されてしまうので。
そう考えると、どこまで広く深く内容やポイントを押さえている
のか?が勝負となってくるのです。
だから、論文書いている時ほど、自分を追い込んでいる時は
ないのです。故に苦しい。
論文が出来上がって、本として校正されている段階でも最後の
最後まで悪あがきをします。校正も3回か4回ほどありました。
やっと最終校を提出した時、完全に燃え尽きます。
燃え尽きたと同時に、その分の充実感を感じます。
もちろん、自分でも成長がわかるのです。
ただし、疲弊度も半端ない。
私はもともとが怠けたいタイプなので、論文執筆の際の
疲弊度が、論文執筆の充実感や成長実感よりも勝ってしまった
のでしょう。以来、論文を書こう!とも思わず、研究から離れて
しまいました。研究者として負けたのです。もう離れてしまった
ので、研究者でもなくなりました。
だから自分でも勉強嫌いと自認しているのです。
しかし、今になって、そろそろあの頃の充実感が欲しいなと
思い始めています。疲弊度が大きかったけど、あの頃の充実感を
、今更ながら求めているのです。疲弊度と同程度、いやそれ以上
に頑張った時の充実感は、私を離してくれません。
充実感って怖いな。それほどの満足感なのです。
 
 
 
 
 
 

「美」について

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おはようございます。副住です。
おっと、昨日の更新を忘れてしまいました。
今、気づきました。
昨日は鎌倉に行ってきました。
また、諸々と学びが深まりました。
鎌倉での学びは「美」についてです。
門外漢の私ですが、縁あって、数年前から
「美」に関してご縁をいただき、そこから少しずつ
「美」の学びを深めています。
ただし、「美」には色々とあって、奥が深いのです。
門外漢の私ですので、ご縁をいただくまでは、はっきりいって
「美」について、然程興味もなかったし、興味を持とうとも
思いませんでした。
しかし、ご縁とは不思議なものです。
興味がなかったものでも、興味を持たざるを得ない状況になれば
少しづつですが、「美」について触れることとなっていきます。
また、「美」というものに触れることで、文化も考えさせられま
す。さらに、「たしなむ」ことの重要性にも気づかされます。
色々と経験すること。さらには、自分なりの哲学をもっている
ことで、「たしなむ」ことが活きてきます。
私は学生時代に学びを深めたことから、ある種の哲学をもつこと
となりました。たぶん、自分なりの哲学(考え方や捉え方)を
もっているのだろうと思います。
だからこそ、その哲学に合わないものだと、つまらないし、興味
がでない。しかし、鎌倉にいって「美」の学びを深めることが
続いているのは、学びが稀に、私の哲学にヒットする場合がある
からなのです。
ヒットする時、「おお!凄いな」と心の底から思わされます。
ある種の「感激」ですね。最近、私が学びを深めている日本の美
である「わび・さび」。これには、相当ヒットさせられました。
「わび・さび」は定義というか、捉え方は広いと思いますが、
おそらく、その「核心部分」の思想的な部分は、相当深いし
日本人的だな。と思わされています。ここにはもちろん、仏教的
影響がおおいにみられると思う訳です。
そう考えながら、それを表現している美術品(文化財)を見ると
「確かにそうだ!」とわかってきます。う~ん。「美」は深い。
このような自分なりの発見がある時、私はとても感激します。
歩みは遅いし、成長もゆっくりだけど、自分の腹に落とし込む
ような学びが好きなので、誤魔化さずにそのまま突き進みます。
本業とは別に、「美」を学び、活かすことが、私のもう一つの使
命なのです。ご縁があって、数年前からそうなってしまったので
す。ご縁とは不思議なもので、私が希望したわけでなくても、
そうなってしまうこともあるのです。
不思議って、思議(考える)することが、不(できないorしなく
てよい)と書きますが、まさに私が「どうして?」と考えても
仕方がないことなのです。
 
 

吉見町の名産 いちご

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こんにちは 副住です。
イチゴが美味しい季節となってきました。
西照寺がある東松山市の隣町の吉見町は、イチゴが名産です。
西照寺から20分ほどの距離です。
吉見町では、イチゴ狩りも盛んです。
じゃらんで紹介されてる、吉見町のいちご狩り
私もイチゴを食べますが、好きという程でもありません。
普通です。でもイチゴは美味しいですね。
近年、イチゴが好きだという方を訪ねることが多くなったので、
この季節になるとお土産に、吉見のイチゴを購入していきます。
私が吉見町でイチゴを購入する場所は、
「道の駅 いちごの里よしみ」です。

JA埼玉中央 吉見農産物直売所


ここには吉見町で採れたイチゴが大集合してます。
箱売りで、安いし、甘味の強さなどで分類されていて、
非常に買いやすいのです。もちろん、品種も様々。
ここで、お土産を買って出かけます。
購入に来るお客さんも多いので、なるべく早めがいいです。
午前中とか。ただ、イチゴも本当に沢山あるので、きっと
午後になっても、イチゴが店頭になくなれば、補充されるはず。
私はいつも午前中にいくので、午後の状態はわからないのです。
しかし、イチゴ狩りをしたい!という方は直売所はダメです。
ここではイチゴ狩りができません。
なので、近くにある個人経営のイチゴ狩りのハウスにいけば
大丈夫。もちろん各ハウスにも、イチゴは売ってるはずです。
イチゴの季節は冬。ピークはきっと1月から3月頃だったような