築地市場

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こんにちは 副住です。
昨日は築地本願寺で会議でした。
次年度の教区の推進計画(案)の決議があったのです。
特に議論もなく、発言もなく・・・(寂しい)会議は早めに終了しました。
私は気分転換を兼ね、会議の前に築地市場に行ってきました。
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すしざんまいとかあります。(すしざんまいは築地近辺に何店舗もあります)
築地市場は築地本願寺から通りを挟んだ隣に位置します。
そもそも、築地市場の土地は築地本願寺の一部だったのです。
関東大震災の際、そこにあった50カ寺くらいのお寺(築地本願寺の末寺)が焼け崩れ、皆再建しようと思ったのですが
区画整理を行い、市場を造ると都から言われ、たくさんのお寺がどかされました。(世田谷、多摩、練馬など、当時は郊外だった場所へと移転をしていったのです)
その一つのお寺が 西照寺住職の実家でもある延浄寺(調布市の「つつじが丘」にある)。
そんなわけで築地市場ができあがり、現在に至ります。
ですから築地本願寺の隣に築地市場ができたということになるわけです。
だから近い。
私は築地本願寺によく行くのですが、築地市場にはほとんど行きません。
近すぎて、いつでも行けて、逆に行かないのです。
人も多いので。
(時に行かないのはもったいないと思います)
昨日市場に行ってみましたが、細かい路地には人が多いです。
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ここはいつも人が多いのです。
人が多いのでお店をゆっくりみないのですが、色々と興味深かそうなお店もあります。
美味しそうなものも売ってます。
昨日は店先ではんぺんが挙げられたような美味しそうなものが売られていました。
(食べなかったけど)
会議が迫ってきて、30分くらいしか居れませんでしたが、ゆっくりと行きたいものですね。

築地市場

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おはようございます。副住です。
昨夕にショックな報を受け、凹みました。
JCの会議が入っていたのですが、訳を話、欠席させてもらいました。
優先順位が常々変化していくものです。
この年齢になると、いろいろなことがあります。
特に昨年からは立て続けで、人生には精神的なタフさが必要な時もあるのだと実感しています。
さて、それはそれとしてしっかりと受け止めながら日々の活動もしていかねばいけません。
今日は築地本願寺にて会議です。
昼過ぎから夕刻まで2つの会議が入っており、長丁場となりそうです。
次年度というか、次期体制について協議するのだろうと思います。
せっかく築地にいくのだから、たまには早めに行って市場でもみてこようと思います。
気分転換です。

カウンセリング 受容 火葬場の同行 

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
昨日はブログ更新できずじまいでした。ですので今日は長く書いてみます。
昨日は朝8時半からのご葬儀を勤め、火葬当日にお墓に納骨をするという珍しいケースがありました。
西照寺の倶会一処墓に納骨をいたしました。
すべてが終わった時間が12時半くらいでした。
西照寺では、ご葬儀の後、火葬場に同行し、そのまま収骨までご一緒させていただきます。(どうしても予定が重なったりする際は、例外もありますが)
その間の時間は、結構大切でご遺族の様々な関係を教えてもらったり、その一族の雰囲気がわかります。
その雰囲気を頼りに、次のご法事での話が決まってきたり、そのご遺族に合わせた仏事の仕方を何気なく伝えさせていただきます。(だから大切)
希に人付き合いに慣れておられないかのようなご遺族もおられ、火葬中の時間同席していても私がポツンと一人になってしまうこともあります(笑)
(要は会話がない状態)
私の内心はすっごい気まずいのですが、でも居続けてみます(笑)
希にですが、そのことを数年後のご法事で感謝されることがあります。
「あの時、最後まで居てくださってありがとうございました」との言葉です。
私はその時(火葬中)のことを忘れかけていたり、あるいは嫌われてたのかな?と理解しているのですが、
その言葉を聞くと、「ああ、会話ができないくらい悲しかっただけなんだな。別に私のことを嫌いとかではなかったんだ」と思わされます。
こういう時にカウンセリングを感じます。
要は「受容」なのです。悲しい時や苦しい時、一人ぼっちにしない。その悲しみを苦しみをそのまま受け入れる。
悲しみや苦しみを人は嫌います。だから悲しみにふけっている人や苦しみの只中にある人のところに、敢えて近寄っていこうとしません。
皆離れていくのです。だから、一人ぼっちになってしまいます。
反面、嬉しい時や喜びの時に人は近寄ってきますね。私もこっちの方が気持ち的にはずいぶんいい。でも僧侶は反対の機会が多いです。
愛する人が亡くなった深い悲しみの中に行くのです。最悪です。でも私は僧侶がそこに行くことが一番大事なことなのかなと最近思います。
さて、話をカウンセリング 「受容」というところに戻します。
私はその時(火葬中)そのような(悲しみを受容しようという)気持ちで同行しているわけではないのです。
ただ、「会話もしてくれないし一人ぼっちやないか!めっちゃ気まずい」と思っているのです。
だけどその場に居続けます。(居続けるより仕方ないのです。他に行く場所もないから。タバコを吸うわけでもないし、トイレにいくわけでもない。だから座ってじっとしているのです)
内心は気まずいけど、外見はそこに座り続けている。ご遺族の隣で座り続けている。黙々と。
ご遺族は、その時に悲しみにふけっているのでしょう。私は見ていてわかりません。
ご遺族は真面目なお顔をしているだけで、涙を流しているわけでもありません。外見からご遺族の内心まではわかりません。
だから私は「僕、嫌われているのかな?」と思ってしまうのです。
一方で、当然ご遺族も私の内心までわかりません。まさか隣に座っている僧侶が「めっちゃ気まずいんやけど」と思っているとは思わないでしょう。
外見からは、ただ隣に居ていると見えるでしょう。
結果的に数年後に「ありがとうございます」という言葉がでてくるのです。
私が隣にただただ座っていた事が、ご遺族にとっては「受容」となっていただけでしょう。
結局「受容」とは、ただただそこにいてもいいのだよ!と認めること。
「ご遺族は悲しみの中にいるから 近寄らないでおこう」と思い離れてしまう。これは「受容」ではないのでしょう。
これはきっと「拒否」になってしまうのかな。そう考えるとご遺族の悲しみを「認めていない」ことに繋がってしまう。
(最悪なのは、ご遺族はそのことを感じている。覚えているということです)
悲しみの中にいるご遺族を認めるという行為は、ただただ隣に座っているということになるのでしょう。
悲しみにふけっているご遺族を「拒否しない」=ただ隣に座っている=「受容」というところでしょうか。
ご遺族は数年後に「ありがとうございます」と言うのですから、あの時のことが心に残っているのでしょう。
こうなると、信頼関係が急速にできあがります。僧侶の言うことを聞きます。(もちろん、なんでも聞くわけではありませんよ)
毎日「仏壇を参りんしゃい」と言うのです。
*あと、大事なことですので付け加えてみようと思いますが、悲しみにふけっているご遺族に励ましの言葉をかけつづけたり
悲しみにふける行為を避けさせることもダメです。これもかなしみにふけるご遺族の「拒否」につながるからです。
だから、そのような時は決して何もしてはいけない。こちらの余計なはからいは必要ありません。
必要な場合は、当事者から行動に移してきます。話しかけてくるとか、泣いてくるとか。
ですからご遺族に近寄っていき「励ましの声をかけ続ける」のは、場合によっては「そのままを受け入れない」ことと繋がるのでご注意ください。
詰まるところ、火葬中に同席をして、悪いことなど何もありません。いい事づくめです。
僧侶の皆さんは是非、火葬中の同席をお勧めまします。
さてさて、話は昨日のことです。12時半をすぎその後、病院に行っていた住職の検査結果を待っていました。
(住職が検査でひっかかってしまったので、今月始めに組織をとって病理検査にだしていました。その結果報告が昨日)
なかなか電話がかかってこず、ヤキモキしながら過ごしていると、母から一報が。
「要注意段階」との結果。
とりあえず、問題はなさそうなので、経過観察とのことのようです。
白か黒かの2判断だと思っていたので、グレーと聞くと 何だかスッキリしないような
不思議な気持ちになりました。でもとりあえず、緊急の問題はなさそうだったので 今になってホッとしてます。
しかし、連日の忙しなさに、父親の心配。正直疲れますね。
しかし、こういう時こそ、長男の腕のみせどころ。一家を背負って、西照寺を背負ってやってやります!!心配ご無用!!!
皆副住についてこい!!!(後ろを振り返ったら誰もついてきていないというパターンでしょうが)

副住職のお寺づくり②

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こんにちは 副住です。
昨日は暖かかったですね。個人的にはもっと暖かいと安心できます。
しかし、明日からまた寒くなるのだとか。
このように寒暖を繰り返しながら春になっていくのですね。
さて、昨夕も青年会議所(JC)が行うジュニアスキー2015の事前説明会を開催したため、行ってきました。
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(これは会場でのリハーサル)
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ここのところ、体がとても疲れていて、食欲がなくなっているので、本当に休みたかったのですが、しかし大事なことなので行ってきました。
行く最中、不調もあったので、こんなことを思いました。
「毎日毎日何やってんだろ?僕!?」「JCのメンバーって仕事でもないのに、毎日こんなことして、本当に馬鹿だな」・・・
今日改めてよくよく考えてみると、本当にそう思います。
それだけ会議やら、企画やらが盛りだくさん。毎日あります。(今日も朝からJCの取材がありました。ケーブルテレビで流すものです)
しかも比企青年会議所は今メンバーが少ないので、入会まもない私も行かないと始まらない。
つまり、他人事ではいられないのです。我が事のように感じてしまう為、疲れてても行ってしまうのです。
そこが、「馬鹿」なのです。
しかし、こうやって皆で一緒になって行動していくことで、何にも代え難い連帯感や仲間意識が芽生えてきます。
私はまだ、入会してまもないのですが、たった3ヶ月で仲間意識が芽生えてきました。
たぶんJCは、この仲間意識が持てることが重要なことなのだと思います。
集団になって、必死になって、皆で活動をこなしていく。
こうやって、各々の力があわさって、大きな力となっていくのだと思います。
しかも携わるメンバー一人ひとりが活動を、我が事として取り組んでいく。これが一番大事。
JCの活動は、収益事業などと全く異なります。
むしろ年会費を払って活動しているくらいです。比企JCの目的は地域社会の為の事業だけなのです。
つまり個人的な利益や快楽を求める場所ではないのです。そこに個人的な時間と労力をつぎ込みます。
ですから、個人的なことが優先される現代では、メンバー減少が著しいのです。
なるほど、比企JC(その他のJCでも)にメンバーが少ないことが理解できます。
しかし、JCは大事なことを教えてくれます。
今後は共同体がこれまで以上に大事となってくることでしょう。
その共同体が輝く共同体となるには、それは個人の利益や快楽を第一に優先していく場ではなく
皆のことを考えられる、皆が我が事として考えられる共同体でしょう。
なんだか、JCはお寺ととても似ているように思います。
ただし、お寺はJCよりも古いのです。圧倒的に。
お寺は地域の中心であったり、文化の土台であったり、歴史があります。またすべての土台となりえる基本理念たる教えがあります。
そう考えると、お寺はとっても強い。
ただし、我が事としてお寺を考える人が致命的に減少しつつあるのだと思います。
お寺には仲間をつくることが大事だと僕は思います。
JCに入って3ヶ月の間だけですが活動をしてみて、そんなことを感じました。

比企のまちづくり

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おはようございます。副住です。
昨日は、お寺でご法事を勤め、すべてのご法事が終わってから青年会議所の例会に再び参加してみました。
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こちらの例会は9時から始まって、夕方の17時まで。
長丁場の例会でした。
私は朝8時すぎから会場設営などを手伝って、9時半にお寺に戻り、15時までご法事を勤め、その後例会に参加したので
講義などに関しては、ほとんど聞いていません。
しかし、メンバーの反応や取り組みなどをみていると、とても興味深いものだったのだろうな と思いました。
比企青年会議所では、来る9月19日に会議所結成35周年の記念事業が行われます。
それに向けて、未来のビジョンを発表できるように、準備している最中なのです。
私たちの比企エリアのまちの未来をつくる為、メンバー各々が真剣に考えながら、取り組んでいます。
(今からでも遅くありません。あなたも比企青年会議所に入会し、ともに考えていきませんか?)
入会資格は、20歳以上40歳未満の年齢の方で、事業所あるいは自宅が東松山市を含め、比企エリアにある方です。
メンバーが少ない時期なので、是非力になってください。
新規メンバーが必要です。あるいは、可能性のありそうな該当者の情報も募集中です。
是非、教えてください。
さてさて、まちづくりの方は、どんなビジョンが描けるのかとても楽しみです。

比企のまちづくり (東松山・滑川・小川・川島・ときがわ・嵐山・東秩父のまちをつくる)

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おはようございます。副住です。
今日は日曜日、お寺ではご法事が勤めります。
そのような中、比企青年会議所では、比企まちづくり委員会が企画した例会が開催されることに。
朝から会場設営などのお手伝いに きらめき市民大学に行ってきました。
今後の5年における私たちの「まちづくり」のイメージを作成するため、今日はご講師をお招きし
一日がかりで「まちづくり」の基礎的な部分を学び、皆で煮詰めていくのです。
僕はとても興味があるので、参加したかったのですが、ご法事もとても大事ですので、ご法事を勤めに寺に戻ってきました。
「まちづくり」は同士に任せるとして、ご法事に精一杯気持ちをもっていきます。
すべてのご法事が終わるであろう夕方に、途中参加してみようとも思っています。

お坊さんが行う 心のストレス解消法

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おはようございます。副住です。
心身ともに疲弊したので、朝から心のリフレッシュをしてみました。
あくまでも個人的な習慣というか、私が精神的に苦しくなった時に行う行為です。
昨日は早く寝てしまいました。人間、疲れると自然と寝てしまうのですね。
帰宅後お風呂に入ったらそのままZZZ
9時すぎだったようです。
今朝は5時に起床し、所用を済ませ、入浴(私は朝お風呂に入るのです。冬場は夜も入るけど)。
サッパリしたところで、誰もいない静かな場所(今日は私の書斎の勢至菩薩像の前でした)で座ります。
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(勢至菩薩は阿弥陀仏の智慧をあらわす菩薩です)
目を閉じて心を落ち着けます。(落ち着かない場合もあります。ソワソワしている時。そんな時はダメです。野放し状態にして、心のすき放題にさせる。やがて時間が経過すれば、落ち着ける時が訪れます。僕の場合はそうなります。)
その状態がきたら、心の中で、仏様と会話します。(はっきり言って妄想の世界に入るわけです)
【以下、妄想の世界での仏様と僕の会話】
僕の心の叫び「ああ!もうスッゴイ疲れる。もう嫌だ」
妄想の仏様「本当に疲れてるね。嫌だよねぇ。大変だ。少し休んだら?」
僕「休みたいですが、やすめませんよ。仕事なんですから」
仏様「そうだね。ではどうしよう?」
僕「どうにもならないから、大変なんです。ただただ我慢するしかないってわかってるけど、やってられないんです」
仏様「そうだね。ところで、なぜ我慢するの?」
僕「自分の思い通りにならないから・・・でしょうか」
仏様「思い通りにしようと思ってしまうんだね」
僕「そうですね。なぜそう思うのかわかりませんが、心の奥底から欲求がでてきます」
仏様「その欲求に心を任せると、時に苦しくなるね。苦しみを深めてしまう時がある」
僕「・・・だったらどうすれば?」
仏様「欲求に心を任せないで、今日の場合は〝あるがまま”ということに心を任せてみる」
仏様「川の流れのなかに岩がある。川の水が穏やかな時も、川が増水して激しくなったとしても岩はあるがままにしている」
「流れが激しければ、激しい流れを受け止め、穏やかな流れであれば、穏やかさを受け止めている。あるがままにしている」
「色々な流れを受け止め、いずれ岩には独自の形が刻まれ、自然美がそなわる」
「時に、あるがままを受け入れることは、不完全な人間を美しく成長させるであろう」
僕「岩が流れに対してイチャモンつけても仕方がないですしね」
「なんとなく、心の苛立ちが少なくなった気がします」
今朝はこんなやりとりを妄想しいてみました。
少し仏教の力をかりて、そして人間としての思いも重ねてみました。
こんなことをやりながら、私は心のストレスと向き合っています。
結構助かりますよ

教誨師大会

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こんばんは 副住です。
今年の6月に埼玉県で連区の教誨師大会が開催されます。
それに向けて、埼玉県の教誨師(30数名)一致団結して企画・実行しないといけないため、
各部門を設置し、部門会議や全体会議をこの一年をかけてすすめてきました。
いよいよ大会が迫ってきた中、本日第5回目の全体会議が川越少年刑務所にて行われました。
ここまで、それぞれの部門で煮詰めてきた内容や、議案を決議しながら、全体確認をすすめていきました。
細かい部分は、まだ詰めなければなりませんが、大きな流れは見えてきました。
私は初めてのホスト大会となるので、諸先輩から、よく「見ておくように」と言われています。
(川越少年刑務所の教誨師では、私が一番若手ですので、いずれ再度大会のホストとなった場合のことを見越して、よく見ておけと言われているのです)
(とても嫌です。責任重大だし、でも次回には忘れていそうだし)
そんなこんなで、他人事ではなく、流れを把握しておくことに努めています。
それにしても、今日も長い会議でした。
そもそも午前中に築地本願寺で、講座を終え、そのまま川越に移動し、昼食をとるまもなく会議・・・
しかも、先日まで連日で夜はJCの会議。昼間も組の会議や色々とあって さすがに心身ともに疲れ果ててます。
しかし、3月8日まではすべて予定が埋まっているので、正直凹んでます。
笑い事ではないのですが、何だかお尻が痛くなってきたような気がします。
疲れると、体の弱い部分にでるのかもしれません。

東松山から海老名まで 圏央道

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おはようございます。副住です。
忘れてましたが、先日(16日)鎌倉に行ってきました。
埼玉から鎌倉はこれまで2時間半から3時間ほどかかってたと思います。
16日は、昨年7月末に開通した圏央道という高速道路を通って、鎌倉に向かいました。
結論から言えば、西照寺から鎌倉までは、はやり2時間かかりました。
ただ、海老名(東名高速のSA)というところまでは、東松山から1時間で行けました。
これは驚きです。
圏央道が開通してなかった時は、東松山から海老名までは2時間から2時間半はかかったと思われます。
それが1時間でつきました。(時速は80キロから100キロで走ってました)
ただし、海老名から鎌倉までが一般道ということで、しかも海老名から周回して鎌倉に至るという経路なので、時間がかかりました。
地図上で海老名と鎌倉を直線で結べば大した距離はないのですが、実際は迂回していくようなルートしかない為、しかも一般道だったこともあって、
大した距離ではないものの、1時間ほどかかってしまいました。
今度行くときは、もっと効率のよいルートがないか探してみようと思ってます。
とりあえず、今日は西照寺から鎌倉までの時間と
圏央道を使うと、東松山から海老名までどのくらいでいけるかのご報告でした。

休み

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おはようございます。副住です。
昨日は夜に帰宅したので、更新が途絶えてしまいました。
雪が降るといいながら、積雪は確認できない今朝を迎えました。
今のところ、西照寺では小雨が降っている現状です。
先日も大雪注意報がでましたし、昨年の出来事があってのことでしょうか、少し天気予報も大げさな気がするように思います。
ただ、もし大雪となってしまう場合があったとしたら、「最初から指摘しておいてくれよ!」と思うのでしょうね。
勝手なものです。
今月は、雪予報(積もる恐れ)がでるたびにドキッとします。
積雪注意の報がでる度に、住職の顔がにやけます。
(住職は昨年のことがあったので、勝手に除雪機を購入したからです。その一件で、私と一悶着がありました)
住職もさすがに、今頃になってくると積雪を期待しながら、降らないだろうな。と感じているようですが。
それにしても、今も23区では積雪注意で交通にも乱れが・・・との報道がヤフーニュースで見られました。
これから雨が雪に変わるのかな?
私は今日、久しぶりに予定が入っていないので、休みということになりそうです。
今日は疲れているので、雑務もしない!
仕事と思えるようなことは何一つしない!と決めました。
住職も寺にいるし、万が一何かあっても、優先順位は住職→私としてもらえるよう、これから話ます。
そうすれば、95%くらいの割合で、私は休みになるはずなのです。
何がしたい・・・ということもないのですが、今日はとりあえず心身ともにゆっくりしてみようと思います。
(雪なんて降るなよ!せっかくの休みに除雪機なんか、動かしたくないんだから)