こんにちは 住職です。
今年に入り、少し時間があったので、大きくは2つの勉強をしています。
一つ目が、日本の中世における死者の事情について。
二つ目が、近未来はどうなるんだろう?との興味から、5Gなどについて。
全く異なる分野の本を読みながら、知識を増やしております。
そんな中、お寺の勤めもあって、時に悲しい現場に直面したり、「生きる」ってこと
しみじみ考えさせられます。やっぱり充実した人生というか、生まれてきて良かったな!と
思って死んで往きたいな。自分が死ぬ際は、どうなるかわからないけど、可能であれば、まだまだ
生きたいけど、ここで終わるなら、それはそれで生まれてきて良かった人生だったな!と、心の片隅
にでも、そう思えるようでありたいな!と思っています。
そんな人生を遂げる為に、最近は「生きることを楽しむ!」「楽しく生きる!」みたいな事を大切にしよう
と思っています。
勘違いされたら困るので補足ですが、「快楽にふける」という訳ではありませんよ。
「楽しく生きる!」というのは、う~ん、何て言えばよいか、わからないけど、活き活き生きる!とか、
生き方を充実させる!とか、あるいは、生きている今を感謝する!とか、換言すれば、生かされている命を
大切にする!とか、色々と表現できそうで、的を得る言い方が難しいです。要は「楽しく生きる!」です。
そんな事を思うようになって、色々と興味のある事にチャレンジしていこうと、やっているのです。
明日から、また忙しくなってしまうので、勉強もスローダウンしそうですが、仕事も楽しもうと思っていま
す。どうせ、同じ仕事をするにしても、嫌々やるよりも、楽しんでやる方がいいと思います。
もっとも、私は自分の思うように仕事をやれるだけの自由さが許されているポストだから、そんな事言える
のかもしれませんが。でも、仕事に主体的に関わっていくことで、仕事内容を変化させていけるチャンスは
絶対あります。自分に権限がなければ、上司に変化させるべき理由を説明し、上司を説得すればよいのです
。そこまで主体的に仕事に関われたら、仕事が我が事になるし、気付けば仕事が楽しい!となっているはず
。主体的に仕事をしないで、何も考えず指示されたことをやるのは、ロボットができるようになります。
それに、そんな仕事何よりやっている当事者が面白くないでしょう。単純作業だったとしても、どうすれば
、もっと効率よくできるか?とか、自分なりに工夫を見つけるとか、小さなことでも、楽しみはそこで見つ
ければいいんです。もちろん、ここで言うところの、楽しいということは、「充実」を意味している訳です
から、悲しい勤めだって自分が主体的に関われば、自分なりに「充実」をするものです。人間的な側面を
感じるし、何よりも情熱的でいられます。ですから、もしかしたら「楽しく生きる」とは、生きる情熱を
もつ!みたいなことなのかもしれません。決して、快楽ではないのです。
そんな事を、最近特に思っていて、西照寺での新たな活動を考えているところです。