情報収集の仕方

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おはようございます。住職です。

私は毎日、携帯でYAHOOニュースを開いて見ています。

私の情報源は、日々のYAHOOニュースからが多いです。

気になる情報があれば、自分のメールに記事を送信し、時間がある時にゆっくりと読みます。

YAHOOニュースは、隙間時間に開くので、一日何度も開いています。

意識はしていませんが、振り返ってみると、一日10回以上は開いていると思われます。

隙間時間があれば、開く。癖のようなものです。昔、タバコを吸ってましたので言えますが、

タバコのような感じです。(今はタバコ吸ってません)ちょっとした隙間時間にタバコに火を点ける

感じですね。あんな感覚です。YAHOOニュースは、結構更新があって、時間によって出てくる記事が違った

りするのです。稀に同じ記事が再掲されているようなこともありますが、だいたい新しい記事です。

私が飽きないのですから、新しい記事が更新されているわけです。更新する側は、すごい努力です。

有難うございます。とても有意義に活用させてもらっています。

それにしても、現代社会はそれだけ情報量が多いわけなのです。

私が見る記事は色々です。政治・経済・国際・社会・スポーツ まさに新聞のカテゴリー全般の興味ある

記事を読みます。芸能(芸能人関係)はあまり興味がないので見ません。私はそもそもTVをあまり見ないの

で。キーポイントは、記事のテーマです。テーマを見て記事を見ようか決めています。時にテーマにひかれ

て記事を見たんだけど、全然期待通りの内容じゃなかった!と思う時があるのですが、その時、テーマにや

られた!と実感します。ですから、テーマって非常に重要なのですね。私のブログでもそうですが、テーマ

で見たいと思わせることができれば、情報発信者からすれば、ほぼ成功なわけです。しかし、私はこの分野

が苦手で。言葉の扱い方というか、魅力あるテーマをつける為の言葉選びというのか、センスがありませ

ん。昔、電車の中刷りとかみて、鍛えなさい!と教えてもらったことありますが、難しいものです。

まぁ、自分でできないのだから、そういうの長けている友人を見つけて、手伝ってもらったらいいのです

が、しかし、それに長けている友人もいないので、ある意味の悩みなんです。(笑)

それにしても、ネット社会ってこういうことなんですね。新聞は朝刊と夕刊だけだし、情報更新の時間

が決まっている。さらに情報が一気に届く感じだから、読むもの大変。はたまた持ち歩かないと、読みたい

時に読めない。でもネットだと、いつでも見れて、情報更新もタイムリー。小まめな更新だから、隙間時間

に気軽に見れる。携帯で見れるから、持ち歩くという発想がない。さらに無料!

こうなってきたら、ネット利用される方は新聞とらないですよね。

死んだらどうなる? フロイトの宗教批判

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おはようございます。住職です。

予報では今朝は雪だったのですが、全然大丈夫!

やっぱり暖冬。寒い日ではありますが、これくらいが例年の冬くらいかもしれません。

今年は暖かい日が多いので、私的には嬉しいのですが。しかし、この暖冬こそ温暖化の影響で

、これは今後大きな台風やこれまで経験したことのない気象現象に繋がっていると考えれば、

とても暖冬を喜んでいられません。むしろ寒くていいから、例年通りの気候であって欲しい。

心底そう思います。

異常気象での天災なんて、予期できない規模だし、人類はついていけません。

自然相手じゃ、人になす術はありません。

もっとも、人類がこの温暖化を引き起こしたというのなら、私達に責任があるんだけど(-_-;)

私も意識を変えることも必要だと思い、最近少しですが意識しています。例えば、無駄に電気を使わない。

電気を消したり点けたり、頻繁にしたり心掛けてます。

しかし、どこまで効果があるのか?むしろ、実は効果がないとか、逆効果である!という事もあり得るかも

しれませんね。正直、正しいことが何なのか?がわかってません。

私達の頭なんて、所詮、自分が理解できる範囲のことでしか把握できません。当たり前のことです。

それが自分(人間の世界)の限界ということです。

例えば、それを超えるような事があったら、そもそも私達の頭で把握できないわけだから

理解さえできません。要は頭が追いつかないわけです。これを仏教では不可思議といいます。

「不可」とは「できない」ことを意味します。「思議」とは「考える事」という意味です。

「不可思議」ですから、「考えることさえできない」という意味。つまり、「理解できない」こと。

略したら「不思議」。不思議は今でも良く使う言葉ですね。

私達の頭では理解できない。つまり私達の論理の世界では追いつけない。

人間世界(私達の理解ができる範囲)である「論理」を超越していることを不思議といいます。

もちろん、不可思議と同意です。正式には不可思議。

因みに、科学は人間世界での常識である「論理」がベースですね。

論理とは、因果関係がきっちり説明できることです。だから、そのようにやれば、誰がやっても同じように

なる。これが論理。人間世界の中での、「間違いがないこと」です。(まぁ、それが正しいかどうかはわか

りませんが) だから科学は、人間世界の中では、間違いがないこととなります。信頼性も高いですね。

だからこそ、科学には高い再現性や証明性が求められるのです。

しかし、それは所詮人間世界でのこと。つまり、人間の頭脳で把握できる範囲の因果関係した考えられない

世界でのこと!なわけです。

人間世界を離れてしまったらどうなるの? つまり「死」とは人間世界を終えることです。

死後の世界は?と興味ある方もおられるでしょうが、これは残念ながら人間世界で理解できる論理を超えて

しまっているので、説明ができないのです。

これをもって、仏教では仏様の世界を不可思議と呼んでいるのです。

そういえば昔、フロイトという精神分析学の創始者がいました。(確か、コンプレックスということを言い

出した方だったような・・・忘れてしまいました。(/ω\))

フロイトのご両親は、敬虔なユダヤ教信者。「神こそが真理(=真実)」とか言っていたのでしょう。

しかしフロイトはそんな両親についていけなかったのでしょうね(笑)。

やがて宗教を批判をすることになります。宗教を批判し、科学こそが真理だと言い出します。

一見、なるほど!と思うのですが、私からすれば、フロイトは人間世界の事しか信じられなかったの

だろうか?と思わされます。換言すれば、何でも人間の頭脳で説明がつく!と過信しているようにも。

フロイトの宗教批判は、もし神が真実(=真理)だというのであれば、全人類に平等に理解できるもので

なければならない。真実とは、誰にとっても平等でなければならないし、誰にとっても真実(間違いがな

い)でなければならない。しかし、現実は違う。

例えば、「神の愛を受けたという人がいる一方で、神の愛を感じない人もいる」

あるいは「神が私のもとに舞い降りてきてくださった」などと言う人もいるが、ほとんどの人はそうではな

い。このような場合、神は平等ではないし、そもそも神を感じない人にとっては、神が真実(間違いない)

かどうかを判断できる素地が失われており、神が果たして真実だかどうかもわからない。

一方で、科学は万人に平等であり、誰にでも説明ができる。つまり、万人が間違いないかを判定できる。

従って、私(フロイト)は、科学こそ真実であると考えるのだ! という論理構造で宗教批判をするので

す。一見すると、「おぉ!フロイト 流石。本当にそうだ!」!となるのです。

しかしながら、大事なことが抜けています。

フロイトは人間世界の論理で説明がつかない世界のことを見ていません。代表的なもので言えば、

「死」です。「死」は人間世界での個人的命の終わりです。「死」を経験したら人間世界に戻ってこれませ

ん。「死んだまま」です。だから、「死」を人間世界で説明できた人は、これまで誰もいないのです。

「死」を経験して、戻ってきた人がいて、それを人間世界の論理にきっちりと当てはめられれば、説明でき

るのかもしれませんが、そんな人はいませんでした。

「臨死経験」された人はおられますが、しかしそれは本当の「死」ではないわけです。もっと言えば、臨死

経験を人間世界の論理で語ることは難しいとも言われてます。

人間生きている人は、誰もまだ「死」を経験していません。だからこそ、「死」を知らないわけです。

だから「死」が、どういうことなのかわからないのです。

「死」を経験したら、人間世界に戻ってこれないということは、人間世界を超越した状態になるからでしょ

うね。そうだとすれば「死」は、私達人間の世界で理解できることを超越していることを意味します。

仮に「死後の世界」なんていっても、それはもはや私達の頭を超越しているので、説明なんかできません。

不可思議なのです。

あるいは例えを変えると、「時間」ということも人間世界では説明がつかないものかもしれません。

あるいは、時間はいつから始まったのか?とか。

時間に始まりがあったとすれば、時間が始まる前はどのような状態だったのか?

よくビックバン!から全てが始まったとか聞きますが、ではビックバンの前は何だったのか?

だって、ビックバンが起こるということは、何かしらの現象というか、きっかけがあったはず。

始まりがあるということは、終わりもないといけませんね。時間が終わるとは、どのようなことか?

時間が終わったら、その後はどうなるのか? 因みに、仏教では「無始無終」と言ってます。

あるいは、ブラックホールの先はどうなってるのか?

このように、人間世界の論理で説明ができないことは多々あります。これらは、もっと科学が深まれば、

解答できる!というような分野ではないと、私は思っています。もちろん、説明できるような分野もあるで

しょうが、全ては無理です。人間の世界の限界があるからです。

フロイトは、人間世界での事しか語っておらず、そこをもって宗教を批判しますが、そもそも宗教は

人間世界を超越したところのこと、と、人間世界との関係を説いているわけなのです。

だから、残念ながらフロイトの批判は、実は批判になっていないというか、筋違いなのです。

筋違いというか、人間の世界こそ全てだ!と考えているフロイトの慢心さえ感じてしまうのです。

そんなフロイトも「死」んでしまいました。もはや、不可思議。

気持ちを引き締めて

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こんにちは 住職です。

昨日は久々に鎌倉に行ってきました。師匠のところですね。

しかし、師匠との会話で予期せぬ事態に話題が展開し、私的にショックを受けたというか、

受け止めきれないような思いでおります。詳細までは書きたくないので、書きませんが

ブログを読んでくださっている方にとっては、何だ?でしょうね。

まぁ、しかしある意味日記みたいに綴っているので、ご勘弁ください。

う~ん、何と言うか、師匠から怒られた!とか、そんな系統の話ではなく、私的にちょっと受け止めたくな

いような、そんな内容の話でした。例えるなら、私はまだまだ甘えん坊の子どもだった!ということを知る

ようなことです。自分自身でその事を自覚してしまうが如き、内容のようなものです。

そこで、帰宅は20時頃でしたが、ずいぶんと疲れてしまっており、就寝してしまいました。

私は昔から、嫌なことがあっても、翌日にはその事がはるか昔の出来事のように感じられるポジティブさが

あるので、だいたいは忘れてしまって呆気らかんとしているのですが、今回は、少し引きずってますね。

まだ、今一切り替えができないような感じです。

それでも、師匠の想いは理解できるし、単に私が甘えん坊なだけなのです。

もっと精神的にも気持ちを引き締めないといけません。

鳥獣戯画 立体アート

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こんばんわ 住職です。

今日は夜の更新となってしまいました。普段はブログの夜の更新はあり得ません。忘れているからです。

しかし、今日は西照寺にとって、嬉しい出来事があったので、夜なのですがブログ更新を思い出したので

す。

私は、知人を通じて最近、Kさんとお目にかかるご縁を頂戴したのです。Kさんのご自宅にお邪魔させていた

だいたわけです。

Kさんは、ある意味、その道を追求された職人様なのです。私も知人を通じ、耳にしたことはあるのですが

直接作品を拝見したこともなかったので、よくわからなかったのです。

それが先日、たまたまご縁を頂戴し、Kさんのご自宅にお邪魔させていただいたのです。

そこで目にしたものは、Kさんの作品でした。

素晴らしい。

ただその一言に尽きました。

その後、会話を通じてKさんから、西照寺に作品を寄贈しても良い!と仰っていただいたわけです。

正直、ご自身の大切な作品をご寄贈くださるという事をお伺いし、嘘なんじゃないか!?と思った

ことですが、現実だったわけです。

それが本日、実現したわけです。

その作品がこちら

鳥獣戯画を立体アート?にしたものです。写真でみると、立体的に見えないのが残念なのですが、とても素

晴らしい作品なのです。すこしアップしてみましょう。

残念ながら、立体的には見えませんね。でも実物は立体的なのです。

鳥獣戯画とは、貴族社会であった昔の日本社会で、貴族を風刺するような作品として描かれているもので

す。確かそうだったような気がします。

貴族をサルや蛙に見立てて着物を着せ、馬鹿にしているのです。馬鹿にしているというか、貴族だって

所詮同じ人間なんだ!ということを表現している絵が鳥獣戯画という絵巻物だったと思います。

それを、立体的に和紙でアートにしているのが、Kさんなのです。

中世フランスが起源のアートということです。

フランス発祥ということで、通例は西洋紙が一般的なのですが、ここは日本。Kさんは、それを日本風にア

レンジし、和紙で作品を完成させています。さらに、内容も鳥獣戯画。

これを西照寺にご寄贈くださったのです。とても素晴らしい作品です。ぜひ、一度見に来てください。

本当に一見の価値があります。

Kさんの作品展は、7月に美術館で行われるのですが、そちらも今後、ご案内できればと存じます。

それにしても、本当に素晴らしい作品をご寄贈くださり、有難うございます。

Kさんの想いとしては、ご自身の作品を多くの方に見ていただき、楽しんでいただきたい!という想いから

だろうと拝察しております。

これまで西照寺で開催してきた文化財鑑賞会も同じように、ご寄贈者の方から、多くの方々に触れていただ

き、作品の役目を果たせるように活かして欲しい!と言われたことと同じだと思っております。

素晴らしい作品を、なるべく多くの方々に見ていただき、感動や何かしらの想いを持って帰った欲しい!

きっと、純粋にそのような想いからご寄贈くださったのだと拝察しています。

ですから、私の使命は、そのようなご寄贈品を、多くの方々に見てもらって、感動や興味を届けることが

私の使命だと思っています。

今後は、頑張ってその役割を担っていきたいと思っております。

仲間

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おはようございます。住職です。

今日から本格的に築地本願寺への出勤が再開です。実は、築地には10日から勤務だったのですが、

その直後に3連休だったのです。さて、今週から色々と活動が再開されてきます。

私は今年から、ますます自坊の活動に注力するつもりですが、実はここには仲間が必要だということを

昨年とても実感しました。仲間といっても、仕事上のパートナーという意味ですね。

こちらが向こうとしている方向を理解してくださって、尚且つ、一緒に考えてくれる!さらに、意見もして

くれる。など、まさに「仲間」「同志」が必要となってきます。そんな仲間が集ったならば、より大きなこ

とが実現できるはず!なのです。

実は数年前、たぶん2年ほど前くらいからだったと思うけど、鎌倉の師匠から仲間を作りなさい!と言われ

ていました。正確に言うと、仲間というか、片腕となってくださる方を見つけなさい!と言われたのです。

普通に仲間と言えば、私はそれなりにいると思っているのですが、仕事上の片腕になってくださる方!とな

ると、そんな方いません。

昨年から、西照寺の活動に注力するようになって、ようやく師匠の言葉の意味が、頷けるようになりました

。これは、一人では無理。同じ方向を向いてくださる仲間が、とても大事になります。もし片腕となって

くださるような方がでてきてくださったならば、それこそ宝物でしょうね。でも、こればっかりは運みたい

なものでしょうね。浄土真宗的に言えば、ご縁。

そうなっていける環境こそが、まずは必要ですので、今年はそんなことも考えながら、新たな仲間と出会え

たらいいなぁ。と希望的観測をもちながら、活動して行きたいと思います。

生きる情熱

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こんにちは 住職です。

今年に入り、少し時間があったので、大きくは2つの勉強をしています。

一つ目が、日本の中世における死者の事情について。

二つ目が、近未来はどうなるんだろう?との興味から、5Gなどについて。

全く異なる分野の本を読みながら、知識を増やしております。

そんな中、お寺の勤めもあって、時に悲しい現場に直面したり、「生きる」ってこと

しみじみ考えさせられます。やっぱり充実した人生というか、生まれてきて良かったな!と

思って死んで往きたいな。自分が死ぬ際は、どうなるかわからないけど、可能であれば、まだまだ

生きたいけど、ここで終わるなら、それはそれで生まれてきて良かった人生だったな!と、心の片隅

にでも、そう思えるようでありたいな!と思っています。

そんな人生を遂げる為に、最近は「生きることを楽しむ!」「楽しく生きる!」みたいな事を大切にしよう

と思っています。

勘違いされたら困るので補足ですが、「快楽にふける」という訳ではありませんよ。

「楽しく生きる!」というのは、う~ん、何て言えばよいか、わからないけど、活き活き生きる!とか、

生き方を充実させる!とか、あるいは、生きている今を感謝する!とか、換言すれば、生かされている命を

大切にする!とか、色々と表現できそうで、的を得る言い方が難しいです。要は「楽しく生きる!」です。

そんな事を思うようになって、色々と興味のある事にチャレンジしていこうと、やっているのです。

明日から、また忙しくなってしまうので、勉強もスローダウンしそうですが、仕事も楽しもうと思っていま

す。どうせ、同じ仕事をするにしても、嫌々やるよりも、楽しんでやる方がいいと思います。

もっとも、私は自分の思うように仕事をやれるだけの自由さが許されているポストだから、そんな事言える

のかもしれませんが。でも、仕事に主体的に関わっていくことで、仕事内容を変化させていけるチャンスは

絶対あります。自分に権限がなければ、上司に変化させるべき理由を説明し、上司を説得すればよいのです

。そこまで主体的に仕事に関われたら、仕事が我が事になるし、気付けば仕事が楽しい!となっているはず

。主体的に仕事をしないで、何も考えず指示されたことをやるのは、ロボットができるようになります。

それに、そんな仕事何よりやっている当事者が面白くないでしょう。単純作業だったとしても、どうすれば

、もっと効率よくできるか?とか、自分なりに工夫を見つけるとか、小さなことでも、楽しみはそこで見つ

ければいいんです。もちろん、ここで言うところの、楽しいということは、「充実」を意味している訳です

から、悲しい勤めだって自分が主体的に関われば、自分なりに「充実」をするものです。人間的な側面を

感じるし、何よりも情熱的でいられます。ですから、もしかしたら「楽しく生きる」とは、生きる情熱を

もつ!みたいなことなのかもしれません。決して、快楽ではないのです。

そんな事を、最近特に思っていて、西照寺での新たな活動を考えているところです。

私の間違い

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おはようございます。住職です。

昨日の法話会は失礼いたしました。ご門徒Hさんのみのご参加となってしまいました。

どうやら、私が以前、1月の法話会は中止と発言していたようなのです。忘れてしまってました。

西照寺のご門徒の皆様は、とても信頼できる方々で、さらに人柄が皆さん柔和で優秀なのです。

だから、私の発言もしっかりと覚えてくださっているのです。

さすがに、法話会に誰も来ない!というのは、おかしい。

私が1月の法話会は開催します!と思っていても、ご門徒さんが来ないということは、以前私が何かしら発

言しているのです。

普通はだいたい自分を信じよう(1月の法話会は中止と言ったことを忘れているので、そんなこと言ってな

いと思いたい)とするものなのですが、西照寺の場合、私は自分を信じたいんだけど、ご門徒さんを信じま

す。それほど、西照寺のご門徒さんはしっかりと私の発言を聞いてくださっているのです。(-_-;)

有難いことですが、不用意な発言はできないな(・_・;)(笑)

それほど、西照寺のご門徒さんは信頼できる頼もしい方ばかりなのです。

とくに、こういった過ちを許してくれるところが素敵(笑)

そんなご門徒さんを、もっと増やしていこう!と最近思うようになってきました。

新しいコミュニティの構築を目指してみたいなぁ。

ご門徒Hさんは、西照寺の境内を綺麗にしてくださる清掃部長。

なので、先日来てくださった際、1月の法話会はありますか?と尋ねられたので、私があります!

と答えてしまい、Hさんお一人になってしまった!という訳でした。

Hさん、ごめんなさい。お忙しい中、貴重な時間をとらせてしまいました。

でも、Hさんと二人で長話もできたし、私は良かったです(笑)

そんな事で、私は自分を反省しております。

結構いい加減にならないよう気を遣っているのですが、稀にでてしまいますね。

今後、気を付けます。

ブログ更新

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おはようございます。住職です。

昨日は朝から築地に出勤してまして、帰りは19時頃でしたが、その時間になるとブログ更新は

忘れてしまいます。私はだいたい朝、書斎でメールチェックなどを行いながら、ブログ更新をします。

日課です。稀に、昼過ぎになる時もあったりしますが、それは自坊で過ごせる日に多い現象です。

お昼頃、あるいは午後の更新となる場合は、だいたい朝から雑用をしており、ブログ更新を覚えていながら

も、急な雑務などで追われて居たり、ご来客があったり、などする時です。その時は、ブログ更新作業の途

中だったり、あるいは更新を覚えているので、午後になっても、更新するんです。

でも、それ以外で、朝から書斎に入る余裕もなく、慌ただしく出勤する時など、書斎に入らなかった日は、

どうしてもブログ更新を忘れてしまうのです。もう完全に頭にありません。だから忘れたことさえ気づかな

い。そんでもって、翌朝、書斎に入りPCを起動した際に、ああ!更新忘れたな!と気付くのです。

今日もそれです。でも、このような感じでブログをやっているから、長く続くのだと思います。

もう完全に日課ですからね。しかも、更新義務感があまり強くない更新となっているので、私的にはストレ

スになりません。日常を綴ったり、気になった事を綴っているので、内容に悩むことも然程ありませんし、

これからもこんな感じだと思いますね。

さてさて、今日は西照寺法話会の日。13時半から読経 14時からご法話となります。

14時半~15時までには終わります。どなた様でもお越しください。

学ぶこととは

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おはようございます。住職です。

今日は、歯の痛みも落ち着いているような感じです。良かった。

さて、私の今年の外部活動が、そろそろ始まります。正確に言うと、明日からです。

ここ数日、本や論文を読んだり、you tubeを見たりしています。you tubeを視聴して勉強してます。

知識を深める為のyou tube視聴なのです。はやり、本を読むのとは違って、動画は入ってきますね。

それにしても、現代は本当に便利です。PCがあって、ネットにさえ繋がっていれば、自宅に居ながら勉強が

できます。本も注文できるし、プリンターがあれば、多少の論文ならPDFで載っているのでプリントアウト

できます。研究となると、まだまだネットだけでは物足りない(分野によるかもだけど)と思えますが、勉

強であれば、充分だと思います。それにしても、世界中でPCとネットが繋がる環境さえあれば、勉強が

できるということです。これまでは、学校がなければ、知識を得ることが難しかったと思われます。

貧しい国では、まずは学校を建てることが豊かになる為の第一歩だったと思われます。その為に、資金を得

る必要もあったし、学校が建っても、先生を雇う必要もありました。私は学生の頃、インドに学校を建てる

為、先輩と協力して一緒に寄付をしたことがあります。もちろん、数万円でした。その後、学校が建ったの

で、実際にインドに見学にも行ったことがあります。もう20年程前のことですが、当時はインドの地方に

いくと、貧しさ故、学校に通えない子ども達が大勢いました。多くの子どもは知識を得たいと言っていたの

です。(通訳から聞いた) 至る場所で、子ども達からペンなを筆記用具をねだられました。

ねだられた!といっても、私達が行くと、物乞いされるのです。当時、インドの地方などに外国人が来るこ

とも珍しかったのだと思いますが、車で当地につくと、どこからともなく、沢山の人が集まってくるので

す。それで、車(バス)を囲まれ、沢山の手が窓に向けてあがってくるのです。もちろん、窓は閉まってい

るので何かを取られるようなことはありません。そんな攻撃的ではなく、「何か頂戴」と手をあげてくるの

です。最初は衝撃的だったので、あげられるもの(例えば、お菓子)をあげたんですが、そうすると、次か

ら次へときりがありませんでした。最終的にお菓子はすべてなくなってしまったのですが、手は沢山伸びて

きます。そこで心は痛みましたが、見なかったことにして、車を出してもらいました。

すると、次も目的地でも同じ現象が。あらゆる所で、貧しさ故の物乞いがありました。

私は初めてインドに行った時は、1ヶ月近く滞在したので、段々と環境に慣れてきて、物乞いにも慣れて

きました。次第に、物乞いする子どもと、通訳を介して会話してみると、彼らは文字が書けないそうです。

学校にいったことがないから。でも話はできました。そこで、ペンなどをみせたら大変。

欲しい欲しい!と。!学ぶ意欲が非常に高いことに驚かされました。だって、私勉強嫌いだったから。

学ぶことが、貧困から脱することだと、きっと何となく理解しているのだと思います。

日本は恵まれているな!と、当時は思いました。そこで、当時知り合ったガイドさんから、インドの地方に

学校を建てたい!との協力要請があったので、先輩と寄付した!という訳です。

その後、2回ほど、インドを再訪してますが、結婚後は行っていません。今のインドはだいぶ発展している

はずですし、当時の状況とは違うと思いますが。

そこから20年。世界は変わました。ネットがここまで発展して。学校がなくとも、PCとネットが繋がる環

境さえあれば、学ぶことができます。

これは日本にとって、とても恐ろしいこと。だって、世界中の貧しい子ども達は、学びたくて仕方ないので

す。学ぶ意欲が猛烈なのです。一方の日本は義務教育。学べることが当たり前。しかも詰込み型教育といわ

れ、学ばされる みたいな環境です。自発的に学ぶことと、学ばされることは、伸び方に違いがあることで

しょう。日本は贅沢な環境だから、学べることの素晴らしさがわからないで、むしろ、私のように勉強嫌

い!とか言い出す子どもが沢山でてきます。まぁ、勉強できなくても、生きて生けるし。

しかし、それは世界と比較して日本が恵まれていたから。

でも、今後は違います。日本はどんどん貧しくなっていくはずです。他の国が力をつけてきているから、日

本はドンドン抜かされる。ましてや、自発的に学びたい子どもたちが、環境が整ったおかげで、自分の興味

ある分野をドンドン勉強していく。そして新たな開発やオリジナリティを発揮していく。

もう、日本の子ども達よりも、知識が豊富で、専門性に長けた人が育っていくのです。

ますます日本は落ちこぼれていくことでしょう。だからこそ、今後の世界は競争社会となるのです。

残念ですが、生き残る為には、たくさん面白いことを学んで追求し、自分のスキルをあげていかないと

いけないのです。その為には、好奇心が超重要! 好奇心が持てれば、興味があるわけですから

それを知ろう!という意欲が湧く。これが大事。勉強は好奇心です! 知りたいよいう意欲こそが

基礎です。西照寺は、そんな好奇心を持とうぜ! 好奇心を高めようぜ!と主張したいわけです。

これからは、そんな人を作っていく必要があります。本来、皆が持っているはずなのです。

でも、色々な環境によって、好奇心が潰されてしまった。その果てに、疲れ果ててしまったいるだけ

なんだと思います。そこを回復する! そんな世界を西照寺は創っていきたいし、そんな人が集う共同体

を創ってみたいと思い、今後活動を考えようとしています。

今年から、一回きりの人生を楽しみましょう!

治療

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こんにちは 住職です。

昨夕、歯医者さんに行ってきました。新しい銀歯を入れてもらうのかと思っていたら、

これから銀歯をつくるみたい。昨夕は、型どりをされました。

型どりなので、すぐに終わるのかと思いきや、麻酔をされ、歯を整えるとのことで、

奥歯を色々と削られました。奥歯なので、大きく口をあける必要があり、小一時間

やったので、疲れました。やっぱり麻酔は痛くはありませんでした。

治療では、整形した後、奥歯の型をとるので、例の柔らかいスライムみたいなものを入れられ、奥歯の型ど

りをします。上下の歯をやりました。その後、下の奥歯(治療している箇所)の隙間に再度、詰め物?をし

次回に行った時、新しい歯に取り換えるとのことでした。

その後、麻酔が切れ、若干痛みを感じながらも、現在に至っています。

最後に、新しい歯に交換するまで、できれば、左側で食事をしてください!と言われました。

どうも、右奥歯の詰め物は硬いものを食べたり、歯ブラシでゴシゴシすると、取れやすいのだそうです。

取れてしまっても大丈夫ではあるみたいなのですが、神経が生きているので、痛くなる可能性もあるそう

なので、先生の指示に従うしかありません。

次回21日が待ち遠しいです。その間は、少し食べるのが不自由です。