おはようございます。住職です。
私などは面倒くさがりで、行列に並ぶのも嫌いなタイプです。
ですから、基本的に人込みも嫌いです。
それなので、例えば歌(人気歌手)のライブなどに行きたい!などと思ったことはありません。
DVDを観ればいい!と思っているくらいです。
しかし、DVDでは一体感は生まれません。
画面を通じては、無理なのです。
画面を通じては、こちらの熱狂が歌い手には届かないのです。
ですから、リアルのような一体感は生まれないのです。
リアルでなければならない部分は、「一体感」なのかもしれません。
武家社会の特徴でもあったであろう一体感は、今でも大事な価値観です。
ただし、大事だと思われる一体感ですが、現代と昔では、その質は違うかもしれません。
ここが非常に重要です。
昔通りのままの価値観を踏襲することなど、無理な話です。
時代が違うのですから。
私が言いたいのは、昔の日本が培ってきた文化的な特徴を、現代版として見直していく必要性なのです。
もちろん、昔の状況を想像し参考にして。
さて、コロナ禍によって私達の社会ではデジタル化が一気に進みました。
仕事もリモート。
正直、距離のある仕事場まで通勤するストレスから解放された現在、リモートの素晴らしさを手放したくあ
りません。
今後は、リモートも当たり前の社会になり、リアルとネットの使い分けが進展することでしょう。
しかし、間違った方向に行けば、本当はリアルでなければならない部分をネットに依存してしまうなど、結
局余計な問題を未来に作ってしまう可能性もあると思われます。
これではダメ!
西照寺の理念である「前に生まれんものは後を導き」という部分に違反します。だからダメ!
間違った方向にいかないように、しっかりと考えて責任を自覚することが大事だと思います。
私たちはリアルかネットか、どの基本軸を設定して判断していくべきなのか?を問われてくるのです。
そんな今だからこそ、私達は武家社会の中で培われていた一体感という文化を振り返り、現代版としてアレ
ンジして蘇らせるべきだと思うのです。
一体感を大事にしてきた日本文化には、世界と戦える武器があるはずです。
一体感を潜在的に知っているかもしれない私たちは、リアルとネットの棲み分けが、世界のどの国よりも効
果的にできそうな気がするのです。
リアルの重要性を解っているからこそ、逆にネットでよい部分だって解るはずです。
また、リアルかネットか、という部分において、一体感を知っている可能性がある日本人ならではの、新た
なサービスや製品開発も可能かもしれませんよね。