日記

「③日本的美意識」

おはようございます。住職です。

今日からは、武家社会に根付いていたであろう特徴の3つ目である「③日本的美意識」について取り上げた

いと思います。

武家社会当時の価値観によって育まれた日本的美意識は、世界に通じる特徴的なものだと思われます。

特に「侘び・寂び」という美意識は、日本人が確立した世界にも通じる美意識として知られています。

この世界に通じる「日本的美意識」も、その発現を推察していけば、これまで綴ってきた武家社会の特徴で

ある「①命がけの精神性」「②一体性」から派生して育まれた特徴であろうと思えるのです。

これら二つの特徴から派生したであろう日本文化の芸術分野を取り上げるとすれば、例えば「日本刀」と

「茶道」だと私は思います。

「日本刀」は、「武士の魂」とも言われる程、大切に考えられて扱われてきました。

今の私たちからすれば、あまりにも見慣れない為、日本刀の取り扱いなど解らないことが多すぎます。

しかし、武家社会においては、武士は外出すれば常に帯刀していたようです。

その役目を考えてみれば、日本刀は自身(ここでは一族も含める)を守る武器であり、不始末を生じて

しまった際に、責任をとる「切腹」に用いる自害する為の道具でもあるのです。

一言で「切腹」と言いますが、おそらく「切腹」するにしても、きっと散り際というのか、潔さなども求め

られていたのだろうと想像します。

つまり、散り際の「美」のような美意識だってあったことでしょう。

そう考えると、日本刀は自身(一族も含む)の「生死」と共にある武器だったということになります。

だからこそ武士たちは、日本刀に自分の命との関連性を認め、最大限大切に扱ったのだと思われます。

もちろん、当時の武士も死にたくはないでしょうから、日本刀に超越的な力を求め、宗教的な要素を求めて

いた可能性もあります。

日本刀の刀身には、梵字やマークが彫られていて、守護神のような意味合いが感じられるからです。

そのような日本刀は、武器としてではなく芸術的な側面の価値もでてくるのだろうと思われます。

これらの面を含め、武士にとっての日本刀は「命がけの精神性」=「武士の魂」と呼ばれていくようになっ

たのだろうと推測します。

だからこそ、日本刀には武士の精神性が強く関係しているのだと思われます。

日本刀は武士の生き様の象徴と考えられるようになってくるのです。

鎌倉時代、日本刀は独特の形(直刀から反りへ)に進化して、太刀や刀が流行してきます。

それまでの直刀は相手を突く武器で、馬を用いた戦では、馬上から斬りつけることに不向きでした。

しかし、鎌倉時代、日本刀に反りができたことで、馬上から斬りつけることが可能となったとの事です。

日本刀と同じような形で、もっと長い物を太刀と呼びます。

太刀も同様に、反りがあることで、相手を斬りつける武器となったのです。

太刀は比較的距離がある相手に用いる武器で、接近戦は日本刀だったのかもしれません。

やがて戦国時代になると、有力武将が名刀を求めるほどになります。

褒美の品に名刀が贈られるなど、日本刀は絶大な価値を持ってきました。

その背景には、日本刀が武士の精神性と繋がっていたからだろうと思うのです。

だからこそ、日本刀を大切に扱う文化が育ったのでしょう。

あまりに大切な物(宗教的な意味も持っていたのかもしれません)だからこそ、有力者は名刀をきちんと手

入れし保存する為だけに、人を雇っていたそうです。

つまり、武家社会における日本刀は単なる武器ではなく、武士の精神性や人間の超越性を反映するそのもの

として、芸術性を帯びていくこととなります。