おはようございます。住職です。
日本刀は、武家社会において、武士の象徴的なものとして大切に扱われてきました。
全国で、刀工や研ぎ師、拵(柄や鞘など表具の外装部分)を作る工具師などが活躍することとなります。
当時の有力者が求めていた素晴しい刀は、相当な需要があったでしょうから、このような様々な職人も生活
できていたのでしょう。
廃刀令が出されて武家社会が崩壊した今となっては、上記技術者は珍しい伝統工芸となってしまいました。
しかし、日本刀は現在においても美術品としての価値は評価されています。
私は現在、美術品とみなされる日本刀(特に、武家社会の時代に存在していた日本刀)から、当時の社会的
特徴を感じ取ることができ、かつそれが大事になってくるのではないだろうか!?と考えています。
きっと、武家社会の当時に存在していた日本刀の中には、所有していた武士や刀工や研ぎ師など、その制作
に関わった諸氏の精神が宿っているはずだと思うからです。また、そのようにも言われています。
それらの日本刀を手に取って観ることで、当時の刀に宿る「命がけの精神性」や、刀一振りを生み出した諸
氏の「一体性」を感じることができるのではなかろうか?と思っています。
おそらく、相当な集中力がいるはずです。これまでやったことがない人が多いので、難儀かもしれません。
さて、このような日本刀を通じて見られる日本的美意識は、「幽玄」であると私は考えています。
幽玄とは、「奥深いこと」「趣が深く、優美・高貴なこと」の意味です。仏教の意味にも通じます。
仏教者として私から「幽玄」を説明するならば、「人間が考えることができる範囲を超越した奥深さ、
はかり知ることができない奥深さ、あるいは、その奥深さから感じられる優美な状態」という意味でしょう
か。
それが「幽玄」という美意識だと思います。
現代人は科学の力を過信して、全てが解明できると考えている向きがありますが、「幽玄」は真逆です。
人間ごときが全てを解明できるわけがない。慢心は捨てるべきです。
人間というのは、もっと愚かであることに気づくべきだと思います。
慢心状態の現代社会では、「幽玄さ」は解らない美意識かもしれませんね。